【自分が言いたいこと】から【目の前のことを自分ならどのように伝えるか】へ〜話題は常に目の前にある〜
ブレインストーミングには限界がある
noteを始めた頃は、
毎日書きたいことが溢れていて、
今日はこれを書いて、
明日はこれを書いて…
明後日はこれ…
というように、
同じ日にリストを組むような感覚で話題を考えていました。
しばらくすると、いわゆるネタ切れの状態になり、同じような内容になってしまうこともありました。
ブレインストーミングといって、
一旦自分が思っていることをできるだけたくさんアウトプットすると言うことがありますが、
もちろん無限に出るわけではありません。
なので、ある時点では自分が何を言いたいのかについても、無限にあるわけではありません。
話題・コンテンツの役割
約600万年前、
人類は"今生きること"を考えていました。
毎日の衣食住が確実に保証されているわけではなかったので。
あれから約600万年経ち、
人類は過去に生きたこと、未来に生きることも考えることができるようになりました。
逆に言えば、
考えなければならない量が増えました。
もっと言えば、
かなり人類にとって人生が"暇"になりました。
本来、生物が誕生して死ぬまでに行う最大のミッションと言えば"種の存続"であり、人類はそのための安全が確保され過ぎてしまったので、本来は確保するための時間で他のことをしなければならなくなりました。
しかも最近では長く生きすぎてしまっているので、更に時間が増えてしまいました。
そこで、いまの人類の人生の暇時間を潰すために重要な役割を果たしているのが、話題、コンテンツだと思っています。
話題・コンテンツを作るとは
少し話題がそれましたが、
"話題"や"コンテンツ"を作るという発想があります。
例えば、テレビやYouTube、雑誌や新聞やゲーム…エンタメ、芸能、政治…
あらゆる業界が持続的に存続するにはコンテンツはなくてはならないものです。
伝えたい中身。それがなければ存在する意味がありません。
需要と供給を回さなければなりません。
それを作るために人々は躍起になっています。
そしてそれが人間の仕事の大部分を占めます。
それを作る人、持続させる人、消費する人。
ほぼその3種類でしょうか。
それほどコンテンツ、話題とは人類の悩みの根本に位置すると言っても過言ではありません。
話題は作るものではなく、在るもの
そんな"話題"は、
冒頭からの例では、
"いつかは尽きるものである"という認識で書いていきましたが、私はもっと違う観点があるんじゃないかなぁと思っています。
つまり、
自分が話したいものという解釈と、
目の前のものを自分が話すならという2つの解釈です。
自分が話したい話題を探すから、
いつかは尽きます。
目の前のものを自分が話すなら、
話題は無限です。
だって、
話題やコンテンツを躍起になって作る人たちがたくさんいるわけですから。
それを自分なりに拾って話すということです。
話題に限らずなんでも選り好みせず、
目の前のものを楽しめると、
人生が豊かになるんじゃないかなぁと思っています。
今回は『【自分が言いたいこと】から【目の前のことを自分ならどのように伝えるか】へ〜話題は常に目の前にある〜』について書かせていただきました^ ^
また、あしたね😊✨