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「分からない」と言える環境が成長の証拠

「ごめんなさい、もう一度教えてもらえますか」と言った経験は数えきれないほどある。

人は、「いつでも、どこでも、正直に話すのが成長と成功の近道である」ことを忘れがちだ。
失敗は成長の種になり、経験を重なると成功のゴールになるのではなく、成功のスタートになる。自分の環境を意識するだけで、ここまで辿り着ける意外なパワーが現れる。

理解できないことを理解しているように見せかけることは、大人になってからもありがちな行動だ。これを「分かったフリ」と言う。その場で「わからない!」とはっきり言えない。分からないカッコ悪さから逃げて、理解しているような行動になる。要するに、自分のステータスを作っているだけ。

耳が痛くなるかもしれないと思うけど、わかったふりは成長を妨げる!

環境が敵になるか、マイヒーローになるか。ここからの選択肢は自分次第。
環境のコントロールがなかなか難しくてできないけど、自分に対する環境を作れる。最高の場所になる。具体的に言うと、相手に認められるために動くのではなく、日常生活でどんなことがあっても自信を持てるように、自分のために努力することが大事だ。

大人になってもわからない時に言えない理由とは?

理解できないことを理解しているように見せかけることで「周囲の人から受け入れられたい」「周囲の人から叱られないようにしたい」「周囲の人からバカにされないようにしたい」など相手とのコミュニケーションと信頼度が薄くなる。これが続くと「能力不足と思われたくない」「評価が下がるのが怖い」まで考えてしまう。
その態度の理由を書いて見ると「周囲の人」という共通点が現れてくる。やっぱり、どう思われるか気になるせいでわからなくても通じなくても問題ないような格好を作ってしまうのだ。

自己判断で仕事を進めた結果、その目的が見えなくなって誰にも聞けずに抱え込んでしまう人が割と多い。ここからはストレスも溜まって不健康になることも。わかったふりをしてしまって困るのは、わからないことを聞きづらくなってしまうことだ。

この経験というか態度が昔僕にもあった。大学生時代、日本語を勉強し始めた頃、自分より上手く日本語が話せる人と会話していたとき。わからない言葉や文法があっても、負けないようにわかったふりをして会話を続けていたら、話が合わなくった。その時、1番恥ずかしくて気持ち的にはキツかった。わからないことがあれば、その時にすぐ言えていたらマイナスにならないとわかった。

現在は僕より日本語が上手くて面白い外国人と出会う時に、格好つけることより「もっと成長をしなくちゃ」の気持ちを出して話している。わからないことがあれば、確認してもらう。

「プライドが傷つくのを避ける」ことを優先しない

この気持ちを避けるために「わかった」の言葉で済ませてしまうことで、その時の解決を将来に移すだけ。最初から言えばすぐ「済む」のに気が付かないのは、人間らしさだ。
大人になって年齢を重ねれば重ねるほど、わからないことに対する意識はなくなる。

ここでやるべきなのは「わからないこと」を整理して明確にしたうえに、質問の仕方も考えること。自分の経験上、同じ質問を繰り返さないことも大事だ。同じ質問を繰り返せば、「ちゃんと話を聞いているのか」「何回も伝えたのに覚えていないのか」などの不信感を抱かれる可能性もある。メモを取ったり、自分らしく整理して理解を深めたり、調べたりすることが大事。

自分のプライドを守りがちだけど、その傷を将来に回しているだけ。しかも、そのダメージは倍になることが多い。わからないことがあれば、隠さず全面に出せばスッキリして続きが楽しくなる。

傷になる不安さを将来の楽さに変えることで、成長へのエネルギーにもなる。ここで環境を考えなければならない。まずは自分から環境を作る。たとえば、もっと理解できるために、必要な行動と準備、言葉遣いを意識する。わからない原因は言葉と言葉の間に挟まっている意味をキャッチできてないからだ。

情報追加と自分なりの考え方で理解できるように、確認していく。

相手のことを考えよう!

理解できない状態にならないように、話し手も行動しなければならない。

相手が理解できないことを理解しているかどうかを確認する。
会話中に簡単な確認をしてもらうことで、話がずれていないかわかる。そこで具体的に話して安心な環境に連れていく。理解できるまで待つという選択肢もある。そうするとプレッシャーをかけずに相手の自信を育てられる。

相手が理解できないことを理解している場合は、わかりやすく説明する。
わかりやすく話すのが1番効く方法で、最初にわかりやすく説明することによって話は自然に深くなる。話し手からのサポートも大事。

理解している人は、周りの環境のことも当たり前になってしまうことがある。話している時にそのクセを出さないように注意をしなければならない。ここで相手の立場になって「どんな気持ちになるか」「否定されているか」などをクリアすれば相手の関係がより深くなる。

「相手が理解できない=相手の理解不足」ではなく「自分からの発信にも問題ある」ことを意識すべき。自由に何でも話せる関係と環境を作れば「どう思われるか」「マイナスになる考え方」の部分はお互いに考えて進めば理解力が高まる。

新しい「manabi」に挑戦

コンフォートゾーンの中にもう一つのコンフォートゾーンがある。ここは自分の意思すら生まれない。周りのインプットが少なくなると、成長も止まる。そして、環境が遠くなることもある。これが、わかったふりをしてしまうもう一つの原因だ。
ゼロから新しいことを学ぶことでコンフォートゾーンに逃げられない。不安が努力のエネルギーに変わって、思ったより楽しい。思ったより、できる。気がつくのは新しい環境でも小さなことから動けばコミュニケーションもうまく取れるようになることだ。

わからないことに出会ったら、次のステップに進むために自分から知りたくなる。自分から質問が増えるというのは周りの目を気にせず、理解しているかしていないかを優先しなくなる。自分ではなく、その環境を守れるようになる。

自分を捨てるのではなく、自分を理解する

恥ずかしくて目立たないように、「特に問題なくわかりました」のような言葉は自分を捨てているのと同じだ。ここでまずは自分を理解すべき。「わからない」とはっきりと言うことで、自分にない部分の成長を達成するための大事な一歩になる。逆に、それを言えたら「かっこいい」と言っても過言ではない。

質問の数は学びや成長を計ることができることを忘れないでほしい。もし質問する回数が減ってしまったら、それは学びが少なくなっている。要するに、成長が止まっているということだ。

「自分がダメだ」と思って生きているうちに「自分は価値がない」に変わってしまい、ここからチャレンジもしなくなる。難しい道になるかもしれないけど、諦めて自分を捨てることではなく、自分のために時間をかけて理解してみる。短所と長所、不安の元、言葉遣いをフォーカスすることで新しい自分と出会う。意外と、いいところがたくさんあると気が付く。ここでご褒美も入れることでリラックスして脳のリセットもできて、積極思考の種を蒔く感じだ。

わからないことは「恥」ではなく、伸びしろである

分からないことは、生きていることである。人生の「更新中」の証拠でもある。
僕も恥ずかしくて「わからない」より「わかりました!」と言いがちの時期があって、今思い出すと当時の成長が止まっていた。インプットとアウトプットは一気にゼロになって、人生の進み方までわからなくなった。

周りの目より、自分の成長を優先してしばらく「わからない、わからない」と言っているうちに検索力と発言力から自信まで上がった。「わからない」と言えなくなったところに気が付いたこともあった。相手の立場になって「恥」を感じさせないようになった。言葉遣い、一つの空間に入ってもらうことで「1人」の感覚にさせない。わからない大切さを一緒に発見しに行く。そうすると、自分にもいい勉強になる。

忘れていけないのは、スタート時点は同じだということ。どんなにレベルが上がっていても自分と比べない。いつも最初の頃の自分を思い出すべきだ。当時はこうして欲しかった、これがあればよかったなどの思いやりを意識する。当時の苦労をさせない気持ちは相手だけではなく、自分にもプラスになって相手からの信用感が強くなる。ダメな経験を活かすと、いい勉強になるのだ。環境は理解の元である。

「わからない」の言葉は小さく見えるかもしれないけど、それを言える勇気とパワーは相当だ。その一言を言おうとしている自分は「ただものではない」と思っていてもいい。

成功でも失敗でも自分らしく行く

恥ずかしいことを言えるようになっても失敗することがある。失敗の繰り返しで成功できる。人生の中には色んな展開があって精神的な波も激しく動く。変に格好つけずに、自分らしさを大切にして守る。この大切さを形にする方法は、また「わからない」と言えることだ。そして、未経験プロのレベルは割と危険な部分があって「理解できない=格好悪い」の考えである。

僕の経験上、毎日必ずわからないことと出会う。何でもできる、何でも知っている人物はこの世の中にいるはずがない。生きている楽しさとは、わからないことがあったらクリアして前に進むこと。


みなさん、わからないと言えることで新しい自分に近づいていく。そして、毎日少しずつ前に進むことで成功者より、立派な人間になる。社会的に自分の存在が誰かに残れば、誰かの役に立てば、その「わからない」を言える環境を作ってよかったとなる。


みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。