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同じ釜の飯を食い共に世界に向き合うこと:僕のマイクロバイオーム論

鈴木農園さんのブタ母さんが子豚ちゃんに乳をやっている動画を見た。母と子のつながりを「『本能』と言う何も説明していない言葉」で学者様は表現する。
僕が知りたいのは「ネグレクトやDVとどう向き合うか」だ。子供をネグレクトする母親に「本能が欠けている」などという学者は、バカである。まるでその母親を不良品のように表現する奴らが腹立たしい。

苦しんでいるのだ。どうして、世間が期待するように子供を愛せないのか。自分はおかしいのか?感じないことが罪なのかと?

パチンコ屋の駐車場で子供を焼き殺した母親やDVする人たちを人非人と世間は大合唱である。自分は違うと大威張りだ。けど僕は人間は環境の生き物と思う。もし僕もその環境に置かれたらそうなるに違いない。
はそんなふうに追いやってしまった社会の問題だと思う。多くの彼女たちは貧困で、共に育ててくれる家族(爺ちゃん婆ちゃん)もお金で預けることもできずに、子供の将来も悲しく感じる。
自分の人生と同じ様に辛い思いをする事に悲観する。死んだほうが子供のためだと思うにやしれない。僕は選択肢のない犯罪は社会の問題だと思う。医者やアクンセラーには治せるわけがない。せいぜいよく効く薬で問題を先送りである。

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鈴木農園さんのFBから。子供たちの身体には母親の乳(=血液)が流れて、代謝系は似て。まさに母親の身体の一部になる。

子豚たちは生まれる直前まで母親の血液の循環のうちにあり、身体の一部であった。刑法的にも胎児を殺しても殺人にはならない。生まれてからは母の乳(血液が搾乳細胞で白くなった液体)で身体を満たす。多くのマイクロバイオーム(細菌やウイルスや微小の生命、免疫のパーツ=白血球)を共有する。そして、離乳してからは同じものを食べて、多くのマイクロバイオームを共有して大きくなって、それぞれに家族を作りコロニーを持つ。

群れを作る哺乳類には「律」がある。

同様に鳥類にも同じようなことが有るであろうが、大きく違うのは親と子の認識方法である。インプリンティングという面白い物があり、托卵(カッコウが他の種の鳥に卵をかえっせる)がある。池の鯉は自分の卵を餌と思い立っべる。卵の数が少なくとも種の維持が可能となるという利点がある。

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僕にも覚えがある。

おとなになった自分が、「離れて暮らしていた母親や父親」に感じる感覚とも同じである。僕は15年東京で暮らし、破綻して東京から逃げ帰ってきた33歳の時、父と母が他人に感じられた。もし、当時、母が死んでも海水浴に行っただろう。見知らぬ他人を些細なことで殺しもしたであろう(注)。

幼い頃、汲み取りトイレが有りハエが家族の食事の上を歩き、回虫をシェイクする。夏になればたくさんの蚊がアチラコチラと血を移動させる。ノミやダニも同じだ。他の猿のシラミを潰した猿はシラミを口に運ぶ。

公衆衛生は、血の繋がりをあっという間に断ち切っったのである。

noteにも親との関係を物語っているものが多い。と言うか、殆どに痕跡が見える。パターンは、小さい頃に苦しんで大きくなったらどうでも良くなった。というものが多い。

これも構造が複雑である。しかし少しヒネルととく分かる。そして、多くの心の病の主犯は「親」なのである。しかし、それは反射的なものであり、意図して何とかできるものではない。カウンセリングや投薬では防げないのだ。

同様の「律」は「教室という家族」の中の親である教師がイジメの主犯であるということも言える。この話はまた今度。イジメにおいては「親、教師、上司」が主犯で、追い落とすことで利益を得ることのできる「クラスメート、兄弟、同僚」が共同謀議者であり、裁判官はいない。自殺する他逃げる道はない。いのちの電話は役人の考えた愚かな仕掛けだ。僕は辛い。

『先生生徒のなれのはて現象』と僕は呼びたい。

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無論これは善悪の問題ではない。

もはや変わってしまったのである。今更、昔に戻ることは出来ない。社会自身が大きく変わり狭い家で三世代が共に暮らすことなど出来はしない。

しかし、問題はこの頃のメンタリティが残ったままに、生命のあり方が変わってしまったということである。

「身体という生命のコロニーが「身内」をどう認識するのだろうか。

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群れを作る動物はどう他者を認識するのか


マユのご飯を僕は作る。2019年9月25日以来毎日一日も欠かしていない。今では自分の飯より大事に作る。以前はいくら呼んでも来てくれなかったのに、今は一目散に僕の布団に来る。

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僕に腕枕するマユ僕もとても安らかである。妻は2階にねとる。

犬には媚びを売るとか、そういう意識はない(と思う)。ただ自分の気持のいいところに行くのだ。

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あなた早くいらっしゃいと僕を誘う


同じものを食べるということは体内の代謝系がにたものとなる。
当然、体内の海も皮膚も似たような代謝物に満ちるだろう。
滑落する皮膚も、粘膜が腸腸に堆積してオナラとなり、身体はオーラに包まれるように「自分代謝物」に包まれる。それは他のコロニーに影響を与える。「自分と同じ匂いがする」のだ。

「親の血を引く兄弟よりいも~」と時折歌いたくなる。

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残飯と呼んでも良いかもしれないが、マユにあげるために残したりするからなあ。よく父が宴会から食べないで折り詰めに詰めて持って帰ってきたものだ。当然唾液のついた橋で取り分けて持ってくる。妻や子どもたちは気持ち悪いと食べなかった。まもなく父の一周忌である。

キスやセックスは唾液や体液を交流する。それも厳しい選択の上である。合意がなければ法律に処罰される。法律が有るということは広範囲に行われていることなのだ。実際に僕は家族内のセックスレスについても、これの逆バージョンがあると思う。妻は僕とセックスしたがらないが、もし僕が大金持ちで海外旅行につれていくと言えば悦んでするという。セックスが生活の中のディールのパーツとなっているのだ。

この話はまた今度(笑)。こっそりね。

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類は友を呼び、共に助け合うのだ

では、公衆衛生が血の繋がりを断ち切り、毎日の食事は弁当やカップ麺を買って食べるようになった時代をどう考えれば良いのだろうか?

今は、血の繋がりが薄くなった時代なのだ。

依存症や過食や拒食、リストカットという問題も、他者との繋がりの希薄さが原因と思う。

親は子供と思い人生を強制しても、子供は親と思わなかたらそれは拷問である。親が熱心だったらそれだけ子供は苦しむ。苦しんでいない様に見えてもその期待にこた得られないときに破綻する。

期待通りにいい大学行っても今度は自分探しに出かけなける。

若者がカルト教団に入り込むことが問題視された時代があった。今ではネットゲームである。同じ「律」が見える。承認要求などというものは必要なかった。血がつながっていたのである。承認されようがされまいが、自分が属するところはあったのだ。

うつや統合失調症だって、ここまで大流行した原因は社会の変化に有るのだ。

そしてその呪縛から逃れるために近代の哲学はあった。なぜ実存主義はあったのかと言ったら、それ以前は血の繋がりを断ち切ることは出来なかったのだ。断ち切ってはじめて孤独の恐ろしさを知ったのである。

僕は十分苦しんだ。もう何かを見つけたい。

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この議論に結論はない

まずは問題の在り処をはっきりと見つめることである。

「医学の何でも見える曇った瞳」には社会の変化を見ることは出来ない。おまけにこの問題は多く格差と結びついている。大金持ちや何も働かなくとも金が入ってくる連中は「こころの病」にはならない。というか、他人に共感できないことは十分「病」では有るが。その病にかからなければ金はたまらない。

ただ方向性は見える。

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カートのおじさん

僕の大好きなカート・ヴォネガットさんは「拡大家族」と言う概念を提起している。皆が家族になれば良いのだと。それには賛成である。しかし、ハエや蚊は困る。回虫もちょっとやばい(医療目的では実験されている)。

僕は映画が好きだ。苦しんでいる人たちが共に生きる映画をときおり見ることが有る。やはり1980年代からこちらのような気がする。もう少し分析はあとになるが、苦しみながらを私達は何かを見つけようとしている。

それが生命なのだ。僕は信じてもいいかと思う。

このリンク先にリンクしている映画はみな孤独な魂が結びつきあう事が主題だ。僕はいつも涙する。

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このnoteは鈴木農園さんの記事を見てインスパイアされました。もう少し先に何かあると思う。

豚が他の親の子豚を踏み殺したり、孤児の子豚に父をやったり。ヒトを育てる狼の話や、海に落ちたヒトをイルカは助けるという。イルカは集団でサメやシャチを突き殺すのだ。動物を擬人化しないで見つめれば、そこには「律」が見える。「生命の律」である。

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僕のマイクロバイオーム論

このシリーズは身体というコロニーが森羅万象の神々に操られているという仮説が僕たちを助けてくれるのではないかと考え展開している。世代が変わり、これだけ大きな社会の変化があったのに私たちのメンタリティは過去のままである。そこに問題がある。

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注)見知らぬ他人を些細なことで殺しもしたであろう

カミュさんは実存主義の最初の頃にいる小説家である。最初に読んだときはあんまりはっきりとは分からなかった。今ならはこういう読み方をする。とは言っても読み返すのは辛いなあ。筒井康隆さんの初期作品にも同じような感触を感じる。まだサイコパスなどという言葉がない頃に見事に描いている。大きなゴキブリになる話も面白い。しかし、編集者も、そんな小説をよく出版したものだ。

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