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第1回有吉佐和子文学賞応募作・エッセイ   「憂愁の空」木版画家・吉田政次と私 永井雅人                 (コンクールの審査結果よりもぜひ多くの皆さんに読んで欲しい。美術展についても) Masaji Yoshida and I

版画家である私にとって忘れ得ぬ作品がある。「憂愁の空」(1957年)というその画の中には明るい色彩は一切無い。むしろ背 景は全面的に暗く深いバントアンバーの茶褐 色で、縦43cm横71cm程の地味な木版画 である。前面には大小の黒い楕円型の宇宙船 のような謎の抽象モチーフが画面を横切りながら複数個浮かび上がっている。縦横無尽に 三角刀で彫り付けられた背景の描写効果から作者の制作時の只ならぬ緊張感と張り詰めた 心の内面のドラマが見る者に迫ってくる。 この版画の作者は1917年に和歌山県有田郡田殿村(現有田川町)に生まれた木版画 家の吉田政次(まさじ)である。彼は私の祖父より2年早く生まれた大正生まれの人であり、実は日本の抽象美術を切り開いた歴史に残るべき版画家である。しかし今日彼の作品 を思い出す事が出来るのは、残念ながら全国 でも一部の専門家だけに限られる。



彼は私の住む目黒区で中学校の美術教師を生涯の生活の糧としつつ、1971年に54 歳という若さで胃癌によって早世した。 東京国立近代美術館や和歌山県立近代美術館等にも貴重な作品の所蔵があるが、退色や 照明に弱いとされる彼の繊細な水性木版画は 長期で常設される機会はなく、実作を見られ る展覧会も多くない。また彼の代表作は、師 であった二十世紀を代表する版画家の恩地孝四郎と同じように国内より海外での評価が高く、戦後来日したアメリカ人収集家によりそ の多くが国外へ流出し、海外の美術館に収蔵されてしまった。 私が運よく奇跡的に東京国立近代美術館で 見ることの出来た彼の代表作が、この「憂愁 の空」であり、それは私がまだ美大生の頃であった。その頃の私は自身の油彩画の表現を 日々模索している絵画専攻の十代の学生だっ たが、教授陣からの毎度の厳しい酷評に加え、 自分よりもデッサンや油彩の技術に優れ、才 能を持つ同級生らとの競争に酷く挫折し、そ の現実から逃避するように関心は吉田らの版画の方に傾き始めていた。そして彼のこの作品から得た衝撃は私を版画制作に向かわせるのに充分だった。国立近代美術館で私は紙に 表現されたこうした少数の作品にこそ深く共 感した。そして自分の表現の原点はここにあ るのかもしれないと若いなりに次第に考える様になった。自分の表現の方向性を掴みかね ている状態から抜け出せるかもしれないとの僅かな希望をこの版画に感じたのだった。

実はこの作品を描いた1957年の前年に 吉田には青天の霹靂とも言える大きな不幸が あった。彼は1956年に生まれたばかりの 長男を病気で失っていたのだ。「憂愁の空」 は洗練されたモダンな抽象作品に見えるのに もかかわらず、我が子の命の喪失の体験が出 発となり生み出された画なのだった。 彼はどこまでも心の内面の「静」を追求し、 また世界の「平和」を創作のテーマとしていた。重い主題に向き合い、その悲しみすらも 見る者が共感し得る芸術にまで昇華させた点にこの画の真の価値があると私は思う。 私は和歌山の郷土が生んだ偉大な版画家吉田政次がもっと多くの一般の方々にも広く知 られるようになればと願っている。
そして優れた版画コレクションを持つ和歌山県立近代 美術館がより国内で注目され、重要視されれ ば良いと思う。 私が以前に和歌山県の高野山金剛峯寺に旅 をして感じたことだが、吉田の作品には多感 な十代を過ごした郷土での体験が自然観や死生観、その後の作品世界に深く影響していると思う。彼の後期の抽象作品はミロやピカソ など欧米からの影響が指摘されているが、私 はむしろ両界曼荼羅のように空海がもたらした密教美術や仏画に近いのだと思う。 最近私は、彼の貴重な晩年の木版画「雑草 のうた」(1968年)を入手し、制作アトリエの壁にかけて見ている。この版画がきっ かけとなり目黒区内に存命だったご家族とも 手紙のやり取りをして遺作画集を頂く事が出来た。



一枚の優れた作家の版画が生み出した不思議なご縁に日々とても感謝している。 私も吉田政次と同じく真摯に自身の心の声に向き合い、新しい時代を切り拓く厳しい表現を、版画という手間の掛かる手法で追求していきたい。それはどのような優れた生成AI にも出来ない我々版画家による真の手仕事である。現在の私は「自然と人間の関係性」「 自然の一部としての人間存在」をテーマに縦 横90cm四方を超える大型の銅版画を制作し ている。そしてそれらをフランスや台湾など 海外の国際版画展などで発表する事を励みと し生き甲斐にもしている。版画の強みは国際 郵便EMS等で実物を筒に入れて海外に手軽に出品出来る事だ。2022年にコロナ禍の混乱で作家の渡航の難しい外国でも作品は美術館で展示する事が出来た。国境も言語も文化 の違いをも超えていく版画の持つ真の力、国 際性を私は深く考えさせられた。そのきっか けを与えてくれた吉田政次を私は深く尊敬してやまない。


雑草のうた 木版画 筆者所蔵
金沢・国立工芸館での展示
吉田政次
吉田政次


吉田政次
吉田政次


版画家・吉田政次のポートレート写真

吉田政次 (よしだまさじ)
 1917年3月5日〜1971年9月19日
 版画家。
 日本版画協会会員。

略歴
 
 1917年 3月5日、和歌山県有田郡生まれ、

     和歌山県立耐久中学校を卒業、
     翌年上京、川端画学校に学ぶ、
 1941年 東京美術学校西洋画科卒業、
 1942年 現役兵として中支に派遣される、
 1946年 帰還し、同年東京美術学校研究科に入る、
 1947年 同科を修了。
 1949年 日本版画協会第17回展に木版画「働く父子」を出品、
     以後、毎年出品、
 1950年 モダンアート協会が創立された第1回展に招待出品、
 1952年 日本版画協会会員。
 1953年 モダンアート協会会友、翌年、会員、

     両展に作品「静」シリーズ、「空間」シリーズを発表し注目、
 1955年 スイス・ルガーノ国際版画ビエンナーレ展に出品、
 1956年 スイス・チュリッヒ国際版画展に出品など国際展でも活躍、
 1957年 東京国際版画ビエンナーレ展において新人賞受賞、
 1962年 モダンアート協会を退会。
 1969年 スペイン、バルセロナ市で開催された
     第8回ホアン・ミロ賞国際素描展に「門」を出品し大賞、

 1971年 9月19日、逝去。享年54。


主な収蔵先
 和歌山県立近代美術館、アーティゾン美術館、
 東京国立近代美術館、など。

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