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雪で東日本と西日本が分断される
今夜再び、名阪間が通行止めになります。
前回も今回も、「予防的通行止め」ですね。
今回は、雪による東日本と西日本の分断について述べてみようと思います。
現実は漫画ではない
今夜、東日本と西日本が分断されると言っても、今夜から融雪までの話です。
東日本と西日本の分断国家になるというわけではありません。
現実は『太陽の黙示録』ではありません。
『国境のエミーリャ』でもありません。
現実は漫画ではないのです。
現実として名阪間が東西の境である
けれども、現実として分断される日はあります。
それが前回と今回の「予防的通行止め」です。
名阪間の道路は「ほぼ全滅」と言われています。
(上記リンクでもそう言われていますね。)
日本史上、東日本と西日本は、名阪間で分かれることが多いのです。
現実として名阪間が東西の境なのです。
厳密に言えば、岐阜滋賀間です。
古代からであるので、美濃近江間と述べたほうがより適切になってきます。
壬申の乱も関ヶ原も同じところなんです。
そこが東西の境だったからです。
詳しくは、本郷和人さんの御著書を御高覧賜ると良いと思います。
祥伝社新書の『壬申の乱と関ヶ原の戦い――なぜ同じ場所で戦われたのか』が良いですね。
今夜の降雪
今夜の降雪を見てみましょう。
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まさに関ヶ原に直撃となっています。
まるで雪が岐阜と滋賀の県境に沿って降っているようにさえ見えます。
必然的な話で、岐阜と滋賀の県境は山です。
雪は山間部に降りしきって、平野部には稀にしか降らないため、そう見えます。
(稀だからこそ平野部が危ないのです。)
山は境目になる
山は境目になるのです。移動しにくいからです。
現代のようなトンネルもトンネル技術も当時にはないわけですからね。古代にも近世にも。
そして、敗戦直前においてもそうでした。
第一総軍と第二総軍の境目は、今回の雪のように別れていたのです。
県境は山であることが多いのです。
現在の県境は無理矢理合併させたところがあり、厳密な表現ではないとは言え、です。
山越えは難儀であり、大儀であるからです。
一方で、市境は川であることが多いです。
現在は大合併の繰り返しでそうでもないですが。
川は渡ろうと思えば渡れるからです。
車社会でない頃は大規模輸送の幹線道路のようなもので、両岸が栄えていたことが多いです。
不要不急の山越えは避けて
私は不要不急の山越えは避けて、と呼びかけたいと思っているのです。
コロナの時の「都道府県を跨ぐ移動の自粛」とは何だったのでしょうか。
県境の市町村は生活圏も商業圏も同一のところがいくらでもあったのに「都道府県を跨ぐ移動」が強調されていました。
大変にナンセンスな話だったと思います。
令和の現在でも山を越えると、生活圏や商業圏が違うので、山越えにこそ自粛を呼びかけるべきであったと思っています。
疫病や降雪に限りません。大雨でもそうです。
線状降水帯は土砂崩れがありますからね。
大事なのは惰性や慣習でなく判断
物流業者や運輸業者はプロです。
道路の可否が判断できる人間です。
(センターが駄目な場合があるのですが。)
プロでない人間が不要不急の出勤命令を出すから「予防的通行止め」になってしまっています。
プロでない人間が惰性や慣習で命令しているからそうなるのです。
大事なのは「惰性」や「慣習」でなく「判断」。
老害どもが惰性や慣習で決めたことなんかより、プロが判断して決めたことのほうが大事です。
日本では何故か、老害の惰性や慣習のほうが優先されてしまっていますね。
降雪時に惰性で命令を出してしまうような老害は命令を出すプロになれていないと思います。
そんなもんはプロの判断ではないですから。