職場が上下である限り人災で人間が死に続ける2
前回の続きを述べていきます。
前回、私が述べたのは、職場が上下である限り、人災で人間が死に続けること。
比喩表現でも例え話でもなく、宮城県の石巻市立大川小学校のように、実際に全滅した事例があるということ。
大川小学校の教頭のようなブラック上司は、殲滅しておかないと全滅するということ。
そして、ブラック上司文化の殲滅は、出来ることからコツコツとしなければならないということ。
今回は、ブラック上司文化を殲滅していくため、職場の上下に焦点を当てて述べていきます。
上下でなく左右
職場が上下であると、いとも簡単に全滅します。
宮城県の石巻市立大川小学校のように。
フラットにして、上下ではなく、左右だと捉えてみてはどうでしょうか。
と述べようと思っていました。
が、「斜め右上」という概念を出す愚物がいて、何故かしゃしゃり出てきて上下で喋り続けた、ということがあったのを、思い出しました。
また、左右にすると、右翼や左翼、右派や左派、というイメージが付きまとうので、やめます。
ネット右翼が、最右翼や極右を上だと見做すのに疲れ果てたことがある、というのもあります。
上下でなくポジション
私には、上下でなくポジションである、と述べていくほうが性に合っているようです。
左右で述べると、何故か右上や左下で捉えてくる愚物が出てくるからです。
大川小学校の校長や教頭は典型ではあります。
けれども、学校に限った話ではありません。
「なんたら長」は上ではないのです。
どんな職場、どんな組織であれ、「なんたら長」なんてただのポジションでしか無いんです。
サッカーで言うとFWとMFの違いでしか無い。
例えトップであろうとも、FWとGKの違いでしかないのです。
こう捉えないと、上下文化は残存します。
ブラック上司文化が殲滅できていかないです。
即ち、全滅リスクを抱えます。
宮城県の石巻市立大川小学校のように。
長はパサー
「なんたら長」は、パサーなんです。
パサーというのは、パスを出す人。
ボランチなんです、と言うと、「つまり舵取り」と飛びつく人間がいたことがあったのを思い出しました。パサーのイメージのほうが近いです。
長が、長でない人間の舵を取る、というイメージでは、舵を取る側、舵を取られる側というふうに、上下で捉える愚物が生じてしまいます。
上下にすると全滅するので、趣旨から外れます。
如何にパスを出すか、これに注力出来る人間こそ長であるべきです。
パサーが持ち込んでゴールを決めることもありはしますが、基本的には、FWに良いパスを出すのが求められているからです。
パサーは元ストライカーではない
パサーはパサーです。
パサーは元ストライカーを意味しません。
パサーが「俺は昔エースストライカーだった。」と言うのは、ただの無駄。
「俺は昔四点決めたことがあるのに。」だとか、「お前はなんで何点も決めないのか。」だとか、寝言を言うパサーに何の価値がありますか。
FWが点を決められるパスを出せ、でしかない。
ごちゃごちゃ言ってる場合ではありません。
パサーが言うべきは「ワイドで良い。」だとか、「デコイで釣れ。」だとかです。
「俺に点を取れって言うのか。」と、キレることではありません。
けれども腐敗組織にはありがちですよね。
元ストライカーの自慢話。
よりにもよって学校組織がそうですよね。
大川小学校の教頭のような愚物でも、かつては、普通の平の教員だったことでしょう。
けれども、教頭になり、人災になりました。
そして、学校ごと全滅しました。
職場や組織は、上下ではなくポジションとして、長を捉え、また、長ではない平を捉えていくのが良い。いや、そう捉えないといけない。
私はこれを何度でも言い続けたいと思います。人々の命を守り続けたいからです。