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計画は “効果” と “効率” の絶妙なバランスの上で成り立っている(1)


計画は大切ですが、盲目的に計画を祀り上げればいいわけではありません。

「計画は必要か、それとも不要か?」

この答えは簡単ではありません。

「計画の大切さを疑うのか?」
「迷いは禁物ではないか?」

読者からはそんな声が聞こえてきそうですが、この迷いがあるからこそ、私は計画と深く向き合うことができているのです。

周囲を見渡せば計画に肯定的な人ばかりではありません。否定的な言葉をはっきり口にする人もいれば、これ見よがしに否定的な空気感を漂わせる人もいます。

「計画にかける時間がもったいない」
「計画したところで、うちの現場は計画通りにはいかない」

こういう言葉を耳にするたびに私の心は痛み、計画は必要なのか否かと真剣に悩んできました。
そして散々悩んだ末に、私は「計画は必要だ」という結論に至りました。
そのヒントは “効果” と “効率” にありました。

計画の効果 = 確実な目標達成
計画の効率 = 計画の手間

計画への賛否は効果と効率のバランスの上に成り立っていました。

このバランスを絶妙に保つことができているうちは、周囲の人々は、誰もが計画を肯定的に受け入れます。
ところが、このバランスがいったん崩れてしまうと、計画への不満は組織の中に充満し始め、否定的な立場をとる人たちが急増します。
つまり、誰もが効果と効率をバランスよく計画することができるようになれば、おのずと世の中には計画肯定派が増えることになるわけです。

では、効果と効率の絶妙なバランスは、どのようにして実現されるのでしょうか。
私は、肯定派と否定派の両方を観察し続けました。
そして、両派のある特徴に気付きました。

実は、肯定派の多くは「所詮は計画なのだから」と割り切って、肩の力を抜いて計画に取り組んでいました。

これに対して否定派は、計画を絶対的な存在として、計画に向き合っていました。
「計画したからにはそれと寸分たがわずに行動しなければいけない」
これが否定派の典型的な向き合い方でした。

否定派にとっての計画は業務指示書と同じ位置づけにあり、計画という言葉を聞くと、それを「自分たちの自由を奪う窮屈な存在だ」と捉え、忌み嫌うわけです。自分たちが大切にしてきた創意工夫であったり、わがままや息抜きといった人間らしであったり、それらすべてを葬り去る憎むべき存在、それが計画なわけです。

「所詮は計画なのだから」と割り切っている人たちが計画の肯定派となり、割り切れない人たちが否定派となる、皮肉な話ですがこれが現実なのです。

さて、“効果” と “効率“ に話を戻しましょう。

肯定派たちは「所詮は計画」と割り切って計画と向き合っていました。これが効果と効率の絶妙なバランスを生み出していました。
つまり、彼らはやりすぎないのです。
効率を捨ててまで効果を追求するようなことはありません。究極の効果を追求して時間を掛け過ぎるようなことはありませんし、逆に時間を掛けなさ過ぎて役立たずの “なんちゃって” の計画を作って、すべての努力を無駄にするようなこともありません。

肯定派たちには計画と真剣に向き合った過去がありました。
彼らは計画と向き合ううちに、計画の本質に気付きました。これがシンプルな計画へとつながったはずです。


さて、私は計画することを躊躇している否定派たちにこう問いかけます。

「あなたには、ゴールを達成できるイメージはありますか?」

この問いかけをされたとき、彼らははじめて自分の頭の中のイメージと向き合うことになります。そして、今のままではゴールを達成できないことに気付きます。
もし「達成できるとは言い切れない」と自覚できたなら、その瞬間、彼らの中に計画の必要性が生まれます。
こうして始まった計画は目的が明確なために自ずとシンプルになり、シンプルな計画は彼らの頭の中の実行イメージをシェイプアップさせます。

こうしてできあがったイメージは、彼らの中にあった計画に対する過剰な期待や恐れを徐々に和らげます。
彼らが行きつく先は、計画の効果と効率の絶妙なバランスです。

次回は具体的な例を取り上げ、計画の “効果” と “効率” の絶妙なバランスについて深堀します。


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