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道〈89/1000〉

【ラジオ体操394日目】
『ニコチンレス生活115日目』

こんばんは。
茶道を習ってみないかと誘われて、あらためて「道」について考えてみたところ、10年近く没頭した「道」を思い出したコマリストです。


今日は『段位の先にあるもの』というテーマで書いていきたいと思います。


華道、茶道、剣道、空手道、書道など名前に「〇〇道」がつくものは沢山あります。


幼少期の習い事として選ばれたりもするこれらの『道』ですが、大人になってから真剣に取り組んでみたことはありますか?


今日は、1から茶道を習ってみないかと誘われたことをきっかけに、『道』に向き合ってみたコマリストの気づきについてのお話です。


〇〇道を1から始めてみる時の参考になるかもしれません。

道とは

さて、冒頭に書いたように、日本にはたくさんの〇〇道と呼ばれるものがあります。


『道』という漢字が使われている以上は、その道はどこかに繋がっているはずです。


では、どこに繋がっているか?


といっても、私は何かの道を極めた訳ではありません。


なので、到達する場所は明言することができません。


その上で、それぞれの道を極めた人がどんな境地に至るのかを考えてみた結果、ひとつの答えに辿り着きました。


それは、
どの「道」を選択したとしても、最終的に至るのは同じ場所だということです。


道は繋がっている。


こんな言葉を聞いたことがある人も多いと思います。


つまり、
目的地はひとつ。そこにたどり着くための手段として、『武』・『書』・『茶』・『華』などがあるということ。


きっと道とはそういうものであって、たどり着く目的地は「自分自身のルーツ」なんだと思います。

習い事としての道

今回、私が『道』について真剣に考えるきっかけとなったのは、茶道を勧められたことです。


私に茶道を勧めた方からは、茶道を学ぶことで日本文化を深く知るきっかけになったと聞きました。


例えば掛け軸の見方、床の間、茶器の褒め方、なぜこの茶器を使ってるのかも全て意味があるなど、私の知らない古き良き日本文化。


けれど、これを聞いた私は、こういった「知識」を知ることが、茶道を学ぶ目的ではないと考えました。


例えば茶道で言えば、この方が伝えてくれた知識や、茶の淹れ方を含む各種所作などの教養を身に付けた先にある「准教授」。


空手道で言えば、様々な型や技、所作を身に付けた者に与えられる「黒帯」。


剣道で言えば、昇段試験を経て得ることが出来る「段位(最高9段)」。


書道で言えば、国内各団体で得ることが出来る「段位(最高10段)」。


これらの段位や帯の色や資格の最高位は、各道の入口に到達したことを示すものだと思います。


つまり、古き良き日本の時代から継承されてきた『型』を身に付けたことを客観的に把握するための手段にすぎないということです。


この最高位に至った人は『型』を習得した状態であり、この型に自分自身の魂の色を付けて表現することこそ「〇〇道」の本質。


型を心得ているからこその「型破り」であり、型を心得ていないうちに自己表現を優先することは「型無し」です。


つまり、習い事としての〇〇道とは、各道の入口に至るためのものだということ。


さて、ここまで考えた私は、茶道を1から始めることを断ることにしました。


というのも、私は小学一年生の頃から書道を学び、10年近く継続したんです。


そして、その協会の最高位である8段位を取得しています。


それぞれの道が手段であり、同じ場所に到達するとした場合、既に型を身に付けている道があるなら、その道を再開した方が成果が出るまでの期間が短くて済む。


このことに気づいたので、書道を再開してみようかなと思っています。


こっそり再開するので、作品をアップすることはないと思いますけどねw

じゃ、またね!

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