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こどもの日 ~家族との思い出にひたる~

 こんにちは。

 最近は過眠期に入り、ぼくにとっては回復期に入ったのかなと思います。
早朝覚醒や中途覚醒が続くときは当然睡眠や生活のリズムが乱れ、自律神経も乱れていきますので気分の変調も起きやすいです。

 昨日は22:00には眠り6:30には起床し朝食を摂りました。しかし眠気が残っていて7:00から13:00まで再び眠り、やっと動くことが出来ました。眠気が残りやすいだけで鬱っぽさは感じず、起きたときには『よく眠れるな』と自分に感心します。

 最近、双極性障害(躁うつ病、双極症)を抱えている当事者の方とリアルに関わることが多いのですが、過眠になると、ただ眠気が薬の影響で残りやすくボーっとしているのが、頭が重い⇒鬱っぽいと気分が落ち込みやすい方が多いです。

 軽躁、躁期の自分と比較しがちで、どこかで躁の元気な自分を❝本来の元気な自分❞と求めがちになっている傾向があります。極端な躁と鬱の両極の位置にいる自分と比較し続けて苦しみもがくのが、この双極性障害の当事者の苦しみの一つではないのかなと思うのが私見です。

 躁と鬱の両極と比較するのではなくフラットで上がりもせず落ちこみ過ぎずに動けたり働くことが出来たり、変調があっても気持ちを切り替えることが出来ている自分を一度落ち着いているときに思い出し、メモしておくと、いつでも見直し起点に立ち返ることが出来ます。

 このことについて、思い出せたのも今回、軽躁、躁症状が出て、自分なりに波をとらえて自ら休職させていただいて療養・加療していく中で思いつけた対処法なので、フラットな自分を思い出そうとしたのは最近の話ですから、出来ていない自分を責めるのではなく、『あっフラットな私のこと忘れてた』と起点に立ち返ることを思い出していただけただけでも嬉しいです。

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 今日は『こどもの日』ですね。ぼくは5月からひとり暮らしを始めるにいたって『Google Next Hub』を部屋に用意し、デジタルフォトフレームのように主に使っています。
 そのなかで、主に家族や親友、弟、妹分である後輩たち、父のように慕っている大学時代の恩師の後ろ姿、旅行先の風景写真をGoogle フォトに保存し共有して部屋で常に見れるようにしています。

 アルバムにしていると、なかなか見返すことってないですがデジタルフォトフレームにしておくことで、つねに『つながり』を感じられて、精神科医で作家の樺沢紫苑先生がいう『オキシトシン的幸福』を感じられ孤独やひとりを感じずに過ごせています。結構、寂しがりやな、うさぎ年 年男です。

●家族のはなし

 今日は『こどもの日』ということもあり家族の話に触れたいと思います。

父としょうぶ湯。しあわせな時間


 ぼくの父はぼくが中学3年生の2002年に49歳で亡くなりました。父も双極性障害(当時は躁うつ病)を抱え、ぼくが小学校低学年の頃から長く入院し外泊許可が出たときなど、年に数日から数週間、一緒にいられたら良い。そんな感じでした。

 家で見る父はまさに、双極性障害Ⅰ型の特性がハッキリと出て年々会うごとに、ふさぎ込んでいるか、もしくは多弁でエネルギッシュで、ときには感情が暴走的になりモノに当たったりする姿も見て、しばらく距離を置くため、ぼくたちは祖母の家から小学校に通う期間もありました。

 約7年入院や加療を続けてきた父は自死の道を選び、ぼく自身、反抗期は少なかったものの最後らへんは、あまり話せずに終わりました。

 今、考えると子どもながらに父に何かできなかったか、そして今生きていてくれたら、今のぼくの当事者としての病識やピアサポーターとしての能力があったら父にどのような関わりや声かけが出来ていたのかな、なんて思います。決して自分を責めてはいませんが、ふと考えます。

 父は本来は、根っから優しい人でした。
 父を知っている人から必ず言われるのは本当に色んな人の話を聴きユーモアがあり、人のことを常に考えている人だったと言われます。

 ぼくが幼稚園生の頃には珍しく色んな行事に積極的に参加する、今で言えばイクメンだったと、よく言われます。
 父のことを知っている人も、少しずつ少なくなり、亡くなって今年で21年、父との思い出が少しずつ薄らいでしまっている怖さはあります。

産んで育ててくれて ありがとう

 母は2015年に51歳の若さで亡くなりました。
 2014年に末期の脳腫瘍を患い片麻痺など出て検査を受けたときには脳幹のまわりに腫瘍が湿潤しており、手の施しようがないということで、脳神経外科の訪問診療や訪問看護、ヘルパーなど様々な医療・福祉サービスを受けて、治療から約1年の在宅介護で看取り、亡くなりました。
 もっと何ができなかったかと思うこともありますが、全力で家族で介護してきたし母に存分に愛を注げたと思います。

ひまわりのように周りを照らしてくれる母


 
 本当に明るく誰からでも愛される人でした。ぼくは喪主を務めましたが『ひまわり』のように家族だけでなく周りの人をハッと笑顔にさせる優しさや強さを持った人だったと挨拶で話しました。

 ぼくの親友や後輩たちも母を慕ってくれていて、母もその分、可愛がっていました。ずっと専業主婦でしたが闘病生活の寸前までは子育て支援の仕事をしていました。子どもに関わることや弱き人を助けたい気持ちはずっと幼少期から持っていたそうです。

 しかし、父が生きているときは、ぼくたち兄妹に父が何の病気を抱えていて、どこの病院に入院しているのか一切言わずに、本当に墓まで持っていきました。優しいけれど、強さも兼ね備えていました。

 ぼくや妹も互いに薄々は分かっていたけれど、ぼくも妹も大学で心理学で学んだり、互いに障がい福祉の仕事をしていく中で、父が何の病気や障害を抱えたのか後々分かりましたが、母が生きている間は、直接話したり、追及したことはありません。

 両親が今生きていると、今年で父は70歳、母は60歳と、まだまだ現役で働いていたかもしれないし、何か違っていたかもしれない。何も変わらなかったかもしれないけれど、やっぱり生きていてほしかったし死ぬのが早すぎるだろと突っ込みたくなります。

 寂しいと言えば寂しいのですが、ぼくは、ほぼ毎日何かしらの夢を見ており浅い睡眠のため、しょっちゅう家族が夢に出てきたり、金縛りにあうと、うっすらと家族が夢枕に立ちます。
 何歳になっても、迷惑をかけっぱなしです。

夫婦仲良く、素敵なふたり

 
 いい加減、ひとり暮らしを機に自立、自律したいものです。

 こどもの日に天国から見守ってくれている両親や祖父母、ご先祖さまや、生きて、そばで支えてくれている家族への感謝を胸に。

妹よ やくざな兄貴で すまん

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 今日は長崎は雨が降るとは言っていましたが、日中は晴れていました。まだまだ寒暖差があり衣替えには、やや早いのかななんて思ったり。

 眠ってばかりで、まだまだ荷ほどきした書類の収納やキッチン周りの収納が片付いていませんが、ぼちぼち心地いい部屋に出来たらいいなと思っています。

 引っ越しをしたため、住所や近況を、親友や可愛がっている弟分や妹分にLINEで連絡しました。しょっちゅう連絡とっている子もいますが、久々に連絡取れた子もいて、かなり嬉しいものです。

 周りに支えてくれている、支えてくれた人がいたからこそ、今の自分がいる。何かしらのカタチで恩返ししていきたいものです。

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そんなところに かわい子ちゃん
こんなところにも かわい子ちゃん

Carpediem!(今日というこの日を生きていこう)

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