最古に戻る『ダンマパダ』『スッタニパータ』
我が家は一族としては仏教徒のはずで、なぜならお寺のお坊さんが田舎の仏壇にお経をあげにくるし、亡くなったらお葬式は仏教な感じで行われていた記憶しかないので、生まれた時から仏教徒の家にいたと言うのでほぼ間違いないと思う。
しかし仏教もいろいろなんだな、と気がつき始めたのは大人になってからのこと。小さい頃の認識は、世の中には宗派というのがあって、その宗派によってお寺が違ったりマナーが違ったり呼ぶお坊さんが決まっていたりする、というくらいの曖昧なものだった。
幼少期に感じた仏教への違和感
私が仏教に違和感を持っていたのは、今にして思えば親族の思想や在り方に疑問を持っていただけのことであって、仏教そのものに原因があったわけではないのだろう。小さい頃の私が想像できる範囲の仏教というのは、親や親族の慣習や行動を通じてのものしか存在し得なかった。「ルールだから」「そういう習慣だから」という理由だけで鵜呑みにして、きちんと自分の頭で考えずに行動を染み込ませていくような親族の在り方に、私は小学生の頃から疑問を抱いていた。けれど我が家では年上の人たちに反論することは許されず、特に母親に対しては絶対的なYESマンとして生きることが、子供としての唯一選択できる生存方法だった。私が幼少期に感じていた様々な疑問は一切外に出されることもなく、つまり解決されようのないまま蓋をされ、家という最小単位の社会の中で、事なかれ主義の子供として疑問に蓋をしながら生き延びていた。
大人が鵜呑みにしている何かへの違和感
改めて確認するが、私は仏教が悪いと言っているのではないし、田舎の習慣化された仏教行事やお寺とお坊さんに関連した慣習がダメだといっているのでもない。
でもずっと長い間、私の心の中にあり続けた「なんか違うな」という違和感。気にはなるものの、お葬式や法事でもない限り特にそのような行事と密に関わることもないので、ずっと見ないふりをしてきた違和感だった。しかし最近、やっとその違和感の正体が見え始めている。
最古の仏典を知る
きっかけは何だったか、全く思い出せないのだが、私はどこかで『スッタニパータ』という最古の仏典の存在を知ることになった。『スッタニパータ』には長らく愛読されてきた有名な日本語訳もあり、さらには近年新訳も出版されていた。図書館のウェブサイトから蔵書検索をすると開架で書棚にあることがわかり、すぐに借りて読み始めた。
初めて『スッタニパータ』を読んだ時の感想は一言では言い表せないような喜びであった。
私がずっと探していたものは、ここにあったのだと思えた。
その後、この『スッタニパータ』の前には『ダンマパダ』というこちらも同時期に成立したと思われる最古の仏典があり、読むことにした。
それと同時に、これら二つの最古の仏典をもとにした、現代のお坊さんや学者さんたちが書いた本なども数冊読んでみた。どれも2、3年前から古ければ10年ほど前に出ている本で、最古の仏典を現代に応用していく処世術はどれも「古い時代」を感じる解説になっていたが、それは時代を反映したものなので、一概に悪いとは言えないだろう。
例えば、これらの最古の仏典に出てくるゴータマ・ブッダの行動のように、一日一度の質素な食事だけをし、殺生をせず、昼を過ぎたら食べず、与えられたものだけで云々、という行動は現代社会で実践するのは難しいからこうしましょうね、というような話が、過去に出版されてきた解釈本では述べられている。しかしよくよく社会を見渡してみれば、セレブリティたちの行動にも影響されてか殺生を避けるヴィーガンも今や一般的なものになり、一日一食生活も珍しい行動ではない。さらには食べることを手放す不食の人たちも少しずつだが確実に増えてきているのを感じる。もちろん古い時代の考え方のまま一日三食おやつ付きで食べ続けてそれを消費するために強い運動をガンガンして、痩身エステに通ったり痩せる何かを買ったりしてまたそこでお金を使い、そしてまたガンガン食べて、というのを繰り返すことが楽しめている人たちもいる。しかし5年、10年前の時代よりは確実に、これらの最古の仏典で言われている推奨すべき生活に、自然と近づいてきている人間が増えてきているのではないか、と思うのだ。
私の幼稚園時代は仏教まみれ
幼稚園生の頃、私が通った幼稚園は仏教系の幼稚園だったため、お釈迦様に関連した行事があった。一番華やかなのは「花まつり」だ。大きなヘッドピースをつけて暑い中延々と歩かされるこの行事が私は嫌いで、最終的には体調を崩してリタイヤしていたのではなかったか。この「稚児行列」ようの衣装を全身に纏い、眉間に皺を寄せて険しい表情で必死に歩いている私の写真を昔どこかで見たように思う。今ならわかる。私の肉体のスペックにそれは過酷すぎて無理です、他の子ができていてもそこのマリさんには無理なんですよ、と過去にトラベルできたら言ってあげたい。母は鬼の形相で聞く耳は持たないだろうけれど。
さてそんな幼稚園に通っていたため、ブッダの生涯については何度も繰り返し聞かされる機会があった。「花まつり」もブッタ誕生についての行事だ。神輿の中に上下を指差すブッタの像があり、そこに水を杓でかけていたように思う。行列には白い象(の作り物)もあった。幼い頃から色々疑問を飲み込みながら生きてきたものの、このゴータマ・ブッタの生涯については疑問を持ったことがなかった。特に幼い子供にもわかるように描かれた涅槃についての絵などは、何度見ても好きなジャンルで、特に動物たちが亡くなったブッダの周りで悲しんでいる様子に、幼い私はいつもときめいていた。
時代ごとの解釈
長い年月の中で、時代や国ごとに色々な解釈が発生し、多くの「仏教」が生まれてきたのだろう。直近の日本で解釈されてきた内容に違和感を覚える部分が出てきたのなら、先人たちの知恵を借りながらも、私は新たに自分で自分の答えを見つけなければならない。
数年前から私は食事を再度念入りに改め、人との関わりを改め始め、しばらく経ってようやく最近、新しく吸収したり前に進めたりができるようになってきた。
私の新時代のために、最古の知恵に遡ることは、一つのヒントになるはずだ。
古典からヒントを得て新時代に立ち向かう
世界的な大きな変化に強制的に押されながらも、確実に時代はどんどん変わり、それに伴って各個人もどんどん変わらざるを得ない状態になっているのだろう。物価が上がれど給料は上がらないのなら、生活を変えなければならないし、そこで「昔はこうだったのに」なんて言っていても何も始まらない。例えば親世代や祖父母世代の、いわゆるちょっと昔の知恵というのは、時代が違いすぎることにより現代の生存に役立たないことが多いが、何周かして原点まで戻ってみると、すんなり解決することがあるのだろう。
『ダンマパダ』と『スッタニパータ』が最新の人気小説を抜いてベストセラー本になる日も近いかもしれない。
これらは読むたびに違った一文が気になり、読むたびに学びになる。
最近の私が気になったのは以下。
この本の注釈には第二次世界大戦のサンフランシスコ対日講和条約でセイロンのジャヤワルダナ蔵相がこの一文を根拠とした自国の対応を示した話が記されていた。あの大きな大戦の後始末について、しかも一国家としての対応の姿勢として、この一文を用いることができるだなんて、驚愕するほどの神のような対応だ。この一文が気になったというよりも、ジャヤワルダナ蔵相(のちの大統領)の存在が気になり過ぎた。
ブッダの考えを理解するには、輪廻転生が元にあることを前提に考えなければならない。教えの中では、この度の生をもって転生が終了する、輪廻の輪から外れることができる状態を目指しているため「生まれ変わることもない」というのは悲観する話ではなく、目指している方向であるということだ。
老犬との暮らしで生と死を考える
我が家の老犬は17歳になり、日に日に衰え、おそらくもう1年は生きられないのではないかと思えるような様子だ。元気に暮らしているが、何かが確実に終わりに向かっているのが毎日の様子から感じられる。そんな横になっている老犬と、たまに他愛もない話をする。「次に生まれて来るときは頑丈な体に生まれてくるといいね」だとか「犬でもいいし、猫でもいいし、なんでも好きなものに生まれたらいいけど人間以外で、しかも一緒に住めそうなものにしておいてね」だとか。しかし思えば、もはや輪廻転生する必要がなくなっているのなら、それでいいのではないか(畜生界に生まれていて犬だからそれはない、という話は一旦置いておく)。あまりにも行いが良く、あまりにも素晴らしい生涯だった我が老犬には、飛び級もあるかもしれない。悪行をせず、他の生命を常に思いやり、時に毅然とした態度もとり、流されず、しかし優しく、家族の幸せを願いながら毎日を過ごしている、そんなちょっと気持ち悪いくらい出来過ぎな犬なのである。だからブッタの思想について考えて以来「私の寿命までの間に犬だったらあと1周くらいは生まれ変わって一生を共にできるかもしれないけど、疲れちゃって、卒業できそうだったら、もう戻ってこなくてもいいんだよ」とも言っている。
ミニマリストから始まる執着を捨てる生き方
多くの現代人が、できる限り執着を捨て、貪り食うことなく、貪欲に溜め込みすぎることなく、心の平安を保ちながら、わずかな糧で大きな幸せが得られると心の底から感じながら生きられるようになれば、戦いも言い争いもない、静かな世界になるだろうか。
資本主義を牛耳る人たちには「不都合な真理」ブッタの教え
今はまだ、資本主義経済の権化のような生き方が「かっこいい」と思われ、それができればできるほど、お金持ちになればなるほど、たくさんの物を所有できればできるほど「羨ましい」と思われる時代の風潮が強く残っているが、いつかブッダのような生き方がカッコよくて憧れるという考えに変わる時代が来るだろうか。おそらく資本主義経済を動かしている大いなる何者かは、人々がブッダのようにならないように、全力で阻止することだろう。
それでも時代がどんどん変わって、菜食の人々が増加し、モノに執着しないミニマリストが現れ、無駄に買わないことを美徳とするジャンルが登場し、田舎で半自給自足をしようとする若者や、生活維持費を下げた状態で幸福を見出す人、お酒を飲まない人、少食の人などが、勝手にどんどん湧いて出てくるということは、資本主義経済に染まり切った在り方もそろそろ賞味期限切れの潮時なのかもしれない。
誰もが最後は一人
また、どんなに頼りになる人がそばにいたとしても、最後の最後、根本としては、ただ一人で行くしかないのだということを、『ダンマパダ』と『スッタニパータ』を読んでいると、端々に感じる。もちろん素晴らしい相手と協力しながら生きていくことを、永遠に続けられたらと思う。けれど究極の最後、死ぬときに自分のことを心の底から整理できるのは自分しかいない。死の間際に愛する人に手を握っていてもらえていたとしても、真の意味では誰もが一人で死んでいくしかない。時々、夜中に目が覚めて、体がバラバラに引き裂かれるような感覚に陥ることがある。それはとても怖く、自分の肉体がまだ確実にここにあることを腕や足やお腹や膝をバシバシと叩いたり撫でたりしながら確認して、なんとか心を鎮めようと努力する。それは私が私という存在に執着しているが故の恐怖感かもしれない。
私というのは、他の何かとの関係性の中でしか存在しえない。他があるから私があり、私があることを確かめるために他を認識する。
新実在論のマルクス・ガブリエルが言うように、世界は存在しない理屈を、次第にすんなり受け入れられるようになりつつある私は、私という存在も同様であると感じている。
思考の整理が追いつかないが、私は存在して今この文章を書いているが存在しない、と言う状態を、死ぬまでの間に本心から理解したいと願う私には、色々な心の変化もこれから出てくるのかもしれない。
「私」「世界」の存在の危うさに心細くなった時
『スッタニパータ』を知っている人なら誰もが知っているだろうほどの有名な「犀の角」の文章は、例に漏れず最初に読んだ時に最も心を打たれたフレーズが散りばめられていた。全ての一文が「犀の一角のようにただ独りで歩め」となっている。
繰り返されるこのフレーズに、「そのままで大丈夫だから自分の道をただまっすぐに歩きなさい」と背中を押してもらえているような気持ちになる。
この人頭大丈夫か?
聞く人、読む人によっては世界の存在論だとか、自分という存在についてだとか、執着を捨てる方法を考えるだとか、ちょっとこの人大丈夫ですか?と思うようなところも多いかもしれないのだが、自分らしく生きようと決めたらこうなってしまったので、なんだかどうしようもないのである。そんな私にとって、『ダンマパダ』と『スッタニパータ』は、在り方を否定されも強要されもしない状態で、生存できる希望が持てる本だった。
なんか、現代社会って生きづらいな、と思っている人は、もしかしたらこれらを読んでみると少し楽になるかもしれない。ネット上には「ダンマパダ・全文」「スッタニパータ・全文」などのキーワードで検索するとどんな内容なのかを簡単に知ることができるページがいくつかある。
でも結局書籍になっている方が読みやすくて、私は本の方で熟読しているのだが。情報だけ手に入れようと思うならば、まずはネット検索でも充分色々な情報が得られるはずだ。