アマゾンのPrime Readingを利用して読んだ、6冊目にあたります。先に読まねばならない本が、間にだいぶ入ってしまったため、約5か月かかって読了しました。
↑kindle版
ずいぶん時間をかけて読んでしまったため、最初の方は記憶がおぼろなところもありますが、以下、備忘録代わりに、気になったところをまとめておきます。
私はこの『ソクラテスの弁明』を、歴史小説のような感覚で読みました。「プラトンの創作」であるという意味で、その読み方は、あながち間違っていないと思っています。
一方で、目の前で独り芝居を観ているような感覚で読むこともできました。
メレトスやアニュトスの言葉そのものは書かれておらず、ソクラテスの一人語りで展開されるので。
「彼」というのは若いころからのソクラテスの友人であるカイレフォンですが、彼が「ソクラテスよりも知恵ある者はいるか」などという、余計なお伺いを立てたのが、そもそもの発端です。そういう意味では、ソクラテスは被害者ともいえます。
で、「自分より知恵ある者はだれもいないなんて、そんなはずはない」と思ったソクラテスは、自分より知恵がある人を探そうとします。しかしその結果、ソクラテスはこう結論付けます。
まぁここまでは良いでしょう。しかしここから、ソクラテスのお節介が始まります。
そしてこれを、いろいろな人に繰り返したわけです。
まずいのは、若者たちがソクラテスのまねをしたことです。で、その非難がソクラテスに向き、若者たちを堕落させている、ということになったわけです。
いや、本当にそうかもしれないけど、それを自分で言うから、ますます怒らせるのではないかと……。
なお解説で、納富さんは「『アポロン神託事件』は、プラトンによる象徴としての創作ではないかとも考えられる」(p.95)と、大胆なことを言っています。でも事件があったかなかったかは、本質ではないわけです。
現代の小説家やマンガ家なども、「決定的に重要な役割を果たす」とまでは言えなくても、「文化人・教育者」としての面を持つ気がします。
なるほど。
これまた、なるほど。
もはや、唸るしかありません。
なお裁判の評決は2度行われ、1度目でソクラテスの有罪が決まった後、2度目の評決でどんな刑罰が相応しいかを決めることになります。そこでソクラテスが提案したのは、アテナイの会堂プリュタネイオンで食事を饗応される権利でした。自分は悪いことはしていないという確信があればこそですが、裁判員たちの反発を買うに決まっていますね。その後、罰金刑なども検討するとはいえ、その結果はというと……。
ソクラテスの態度も態度であるとはいえ、無罪から死刑に回ってしまう人々の手のひら返しに、恐ろしさを感じます。しかもこれが、形を変えて今でも行われていることに……。
見出し画像は、東京駅の丸の内北口ドームです。これを選んだことに、大した意味はありません(^-^;
↑文庫版