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【読書】人はいくつになっても成長できる~『極楽征夷大将軍』(垣根涼介)~

室町幕府を興した足利尊氏の物語です。第169回直木賞受賞作です。

↑kindle版


図書館でかなりの期間、予約待ちをした末に受け取ったのですが、本を開いた瞬間、ちょっと後悔しました。約550ページある上、2段組み? 読了に結構時間がかかりそう……。

でも読み始めたら、文章が読み易く、テンポも良いので、心配は薄らぎました。尊氏の弟の高国(後の直義)の視点と、高師直の視点が交互に出てくるのも、気分転換になるというか、長編独特の何となくダレた感じになるのを防いでくれます。


高氏(尊氏の元の名)は子どもの頃からぼんやりしていたため、弟を含め、周囲の人間からちょっと軽んじられており、「極楽殿」だの「困った殿」などと呼ばれています。でもまさにその弟を筆頭に、次第に周囲の人間は、高氏は「何か」を持っているのかもしれない、と気づき始めます。とはいえ、そのそばから高氏は周囲を呆れさせ、苛立たせるようなことを言ったりやったりするのですが。


かつて得宗家は、主だった御家人を軒並み討伐した後、北条一門の内部でも有力な一族の粛清を繰り返していた時期があった。北条氏名越流や御内人の平頼綱などである。
そのせいで実務に有能な者たちも、一時の栄華の後の粛清を恐れて、府内の要職に推挙されても常に尻込みする。
みな、これまでの足利家と同じように、目立たず、幕府の中枢にはなるべく近寄らず、大過なくこの鎌倉で生き延びようとしている。
必然、府内の中枢に座る人間の質は劣化する。

p.40

大河の「鎌倉殿の13人」では鎌倉時代初期の粛清が描かれましたが、その結果、末期にはそんなことになっていたのですね。


「自分の先々は、存外に自らの料簡では決められぬ(中略)。おまえの周りにいるすべての人々の思惑、京やこの坂東を含む時代の潮流……そのようなものが大方を決める」父は、はっきりと口にした。「おぬしの望みが叶うのは、せいぜい十のうち、一分にも満たぬであろう。(中略)森羅万象が絡み合う浮世の奔流に、絶えずあちらこちらに流されていく。(中略)我らに出来るのは、その一分ほどの裁量の中で、出来る限りのことを為すだけなのだ」

p.59

高氏の父が言い、高氏に強い印象を残すことになる言葉です。


高氏殿は頭陀袋のようなものかも知れませぬな。何でも好き嫌いなく包み込む。入れる物に応じて、いかようにも形を変えられる――そう見れば、まさに担ぐには重くもなく、ほどよき大風呂敷にも思えてきまする」

p.60

高師直の弟の師泰の言葉ですが、ここから高氏のもう一つの異名「頭陀袋殿」が生まれます。後に出世して(?)「頭陀袋の神」になりますが。


近江に入る頃には、これら闘犬どもの集団はすっかり兄の高氏に懐き、昔からの飼い主に対する犬ころのように従順になっていた。

p.89

高氏が謎の人徳というか、大将としての器を発揮し始める場面です。そして子どもの頃から持っていた、自分でも説明できない勘が、尊氏を助け始めます。


そもそもこの男には倒幕に限らず、浮世に生きるはっきりとした指針などあるはずもないのだ。万事がその時の気分次第、行き当たりばったりというところだ。
それなのに、この『頭陀袋の神』の言動は、意図せずして周囲からことごとく壮大な意図を蔵しているように錯覚される。その高氏の実像と、世間が受ける印象との乖離に、またしても摩訶不思議なものを感じる。

p.112

このあたりから、「行き当たりばったり」ではなく、本当に「壮大な意図を蔵して」いたりして、と思わされます。


これが、兄なのだと思う。この自他の利害を微塵も考えぬ無責任かつ優柔不断な優しさこそが、人がついかまってやりたくもなり、見る者を惹きつけて止まない要因なのかも知れない。

p.146

虚ろの王……不意にそんな言葉が脳裏を過った。
自分にすら何も期待していない男。万事に行き当たりばったりだ。
(中略)他人にもこの世にも、本質的には何も期待していない。徹頭徹尾、表層だけで生きている。
あの時にも感じていた兄の虚無――古井戸の底知れぬ深淵を垣間見たような仄暗い気持ちが、まざまざと蘇ってくる。
そう……兄には、人としての実態がまるでない。

p.157

まったくこの正成といい、円心といい、他の有象無象の御家人たちといい、いつの間にか高氏の虚像は、世間ではとてつもなく大きなものになってしまっている。世の中の人を見る目というものは、まるで節穴だった。

p.193

高国が感じる高氏の魅力と危うさです。


武士が恩賞の多寡に拘るのは、必ずしも領土欲からばかりではなく、その拝領した封土の大きさが、個の武勇、功績の証明になるからだ。すなわち恩賞の大きさとは、武士の名誉そのものである。

p.201

なるほど。


尊氏は従三位の貴族――殿上人として、既に眉を落とし、歯には鉄漿を塗っている。そして、どう見ても間抜けなその丸顔と団子鼻に、参内する時はさらに薄化粧を施し、まだ馴染まない冠や袍を身にまとい、ぎこちなく笏を手に取って内裏へと向かう。
その様子は、師直から見てもなんとも無様で、ある意味では滑稽極まりなかった。

pp.204-205

建武の新政と共に尊氏に改名しただけではなく、見た目が公卿になったとは。


世は、正義よりも付和雷同する者で動いている。時々の勝ち馬に乗ろうとする軽佻浮薄の輩で満ち溢れている。

p.238

思いもかけぬピンチに立たされた時の直義の感慨ですが、この後ある意味「付和雷同する者」「軽佻浮薄の輩」の力で、彼は逆転を果たします。


288ページに書かれていた、近年まで尊氏の肖像画と思われていたいた絵(実際は高師直のもの)の裏事情(?)は面白かったです。創作でしょうけど、本当にそうだったりして。

もし師直がこのようなものが後世に残って、今も万民に晒されていると知ったら、情けなさと口惜しさに、泉下にて散々に憤懣をぶちまけていることだろう。

p.288

アホな上司(尊氏)を持ったばかりに、師直、気の毒すぎます。


しかし尊氏軍が意外と負けていることには驚きました。結構負け続けで、重要な場面で買っている、という印象。正確には戦が下手なのは、直義と高兄弟ですが。


「我らは神でも仏でもない。一寸先のことなど、誰にも分らぬ」そして珍しく意味深げなことを言った。「生きるとは、その闇夜の先を手探りで進むようなものだ」
なるほど、と直義はある意味で納得する。
それで兄は、自ら考えるということの一切を放棄しているという訳か。が、それはそれでひとつの処世なのかも知れぬ、とこの時ばかりは感じた。
尊氏はさらに言った。
「戦も似たようなものだろう。蓋を開けてみるまで、どうなるのかは誰にも見えぬ。分からぬ。わしらに出来るのは、その場に居続けるということだけなのではないかの」
(中略)
つまりは、この浮世の舞台に立ち続けていた者だけが、勝手に退出した者、退出せざるを得なかった者を尻目に最後まで残る。生き残る。
(中略)
命とは、今生の舞台に立ち続ける種銭そのものだからだ。

pp.307-308

まさに「珍しく意味深げ」な尊氏の言葉ですが、印象的です。


悲しいかな、すべての人はその時々の言動の、後々に生まれる意味付けにおいては不可知で、その意味で無力なものだ。誰も、未来から遡って今の言動の流れゆく先を推し量ることなど出来ない。

p.324

期せずして南北朝の動乱の幕開けに関わってしまった直義についての言葉ですが、すべての人に当てはまります。


しかし後醍醐天皇のアクの強さと、優柔不断ぶりには、呆れかえるというか、いっそ感心するというか……。そしてその都度有利な方へと寝返っていく武士たちの姿にも、疲れました。いくら自分とお家の生き残りのためとはいってもね。


師直は、この北畠軍との合戦時に、それまでの戦場での因習を一変させる画期的な軍令を打ち出した。
戦場で兜首を討ち取ったら、それを軍奉行の首実検まで腰元にぶら下げて戦い続けるのではなく、周囲の味方に確認してもらえば充分な証明とするものだ。
「分捕切捨の法」である。これにより、味方は兜首をその場で討ち捨て、身軽に動き回ることが可能になった。

p.395

あれ、でも後の戦国時代、茂兵衛たちは兜首を「腰元にぶら下げて戦い続け」ていますよね。分捕切捨の法は徹底されなかったのか、はたまた仲間と示し合わせ、嘘の証言をする者がいて、機能しなくなったのか……。


「世に最も恐るべきは悪人に非ず。己の正義を譲らぬ頑固者である。唯我独尊の道を遮二無二突き進む、わしや相州殿のような者である」

p.495

この赤松円心の遺言をないがしろにしたばかりに、師直は滅びの道を進みます。そして直義(相州殿)も、「機を見るに常に敏な男で、形勢が不利と見れば、いとも簡単に味方を裏切る。あっさりと変節する」(p.399)人々のせいで、生涯の最後は悲しいことになります。


ラスト90ページほどの、師直、そして直義が滅びの道を歩む部分は、戦いに次ぐ戦いで、正直読んでいて嫌になりました。物語の始まりとは登場人物の代替わりが進んでおり、誰が誰やら分からないことに加え、裏切りに次ぐ裏切りで、誰が誰の味方か分からなくなっていくので。そして最初に書いたとおり、師直の視点と直義の視点が交互に出てくるところが良かったのに、師直が死んでしまい、直義の視点だけになったことで、ダレたというのもあります。


とはいえ、最後、尊氏が真の「極楽征夷大将軍」になるところは、やや感動的で、長い物語を読んだ甲斐がありました。人は、いくつになっても成長できるということですね。


見出し画像は、東寺の東門、通称「不開門」です。364ページに、その由来が出てきますが、尊氏の軽挙妄動ぶりと無教養ぶりには、上杉重能ならずとも、うんざりします。


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