室町幕府を興した足利尊氏の物語です。第169回直木賞受賞作です。
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図書館でかなりの期間、予約待ちをした末に受け取ったのですが、本を開いた瞬間、ちょっと後悔しました。約550ページある上、2段組み? 読了に結構時間がかかりそう……。
でも読み始めたら、文章が読み易く、テンポも良いので、心配は薄らぎました。尊氏の弟の高国(後の直義)の視点と、高師直の視点が交互に出てくるのも、気分転換になるというか、長編独特の何となくダレた感じになるのを防いでくれます。
高氏(尊氏の元の名)は子どもの頃からぼんやりしていたため、弟を含め、周囲の人間からちょっと軽んじられており、「極楽殿」だの「困った殿」などと呼ばれています。でもまさにその弟を筆頭に、次第に周囲の人間は、高氏は「何か」を持っているのかもしれない、と気づき始めます。とはいえ、そのそばから高氏は周囲を呆れさせ、苛立たせるようなことを言ったりやったりするのですが。
大河の「鎌倉殿の13人」では鎌倉時代初期の粛清が描かれましたが、その結果、末期にはそんなことになっていたのですね。
高氏の父が言い、高氏に強い印象を残すことになる言葉です。
高師直の弟の師泰の言葉ですが、ここから高氏のもう一つの異名「頭陀袋殿」が生まれます。後に出世して(?)「頭陀袋の神」になりますが。
高氏が謎の人徳というか、大将としての器を発揮し始める場面です。そして子どもの頃から持っていた、自分でも説明できない勘が、尊氏を助け始めます。
このあたりから、「行き当たりばったり」ではなく、本当に「壮大な意図を蔵して」いたりして、と思わされます。
高国が感じる高氏の魅力と危うさです。
なるほど。
建武の新政と共に尊氏に改名しただけではなく、見た目が公卿になったとは。
思いもかけぬピンチに立たされた時の直義の感慨ですが、この後ある意味「付和雷同する者」「軽佻浮薄の輩」の力で、彼は逆転を果たします。
288ページに書かれていた、近年まで尊氏の肖像画と思われていたいた絵(実際は高師直のもの)の裏事情(?)は面白かったです。創作でしょうけど、本当にそうだったりして。
アホな上司(尊氏)を持ったばかりに、師直、気の毒すぎます。
しかし尊氏軍が意外と負けていることには驚きました。結構負け続けで、重要な場面で買っている、という印象。正確には戦が下手なのは、直義と高兄弟ですが。
まさに「珍しく意味深げ」な尊氏の言葉ですが、印象的です。
期せずして南北朝の動乱の幕開けに関わってしまった直義についての言葉ですが、すべての人に当てはまります。
しかし後醍醐天皇のアクの強さと、優柔不断ぶりには、呆れかえるというか、いっそ感心するというか……。そしてその都度有利な方へと寝返っていく武士たちの姿にも、疲れました。いくら自分とお家の生き残りのためとはいってもね。
あれ、でも後の戦国時代、茂兵衛たちは兜首を「腰元にぶら下げて戦い続け」ていますよね。分捕切捨の法は徹底されなかったのか、はたまた仲間と示し合わせ、嘘の証言をする者がいて、機能しなくなったのか……。
この赤松円心の遺言をないがしろにしたばかりに、師直は滅びの道を進みます。そして直義(相州殿)も、「機を見るに常に敏な男で、形勢が不利と見れば、いとも簡単に味方を裏切る。あっさりと変節する」(p.399)人々のせいで、生涯の最後は悲しいことになります。
ラスト90ページほどの、師直、そして直義が滅びの道を歩む部分は、戦いに次ぐ戦いで、正直読んでいて嫌になりました。物語の始まりとは登場人物の代替わりが進んでおり、誰が誰やら分からないことに加え、裏切りに次ぐ裏切りで、誰が誰の味方か分からなくなっていくので。そして最初に書いたとおり、師直の視点と直義の視点が交互に出てくるところが良かったのに、師直が死んでしまい、直義の視点だけになったことで、ダレたというのもあります。
とはいえ、最後、尊氏が真の「極楽征夷大将軍」になるところは、やや感動的で、長い物語を読んだ甲斐がありました。人は、いくつになっても成長できるということですね。
見出し画像は、東寺の東門、通称「不開門」です。364ページに、その由来が出てきますが、尊氏の軽挙妄動ぶりと無教養ぶりには、上杉重能ならずとも、うんざりします。
↑単行本