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うつに至った経緯を振り返る
無職になって半年以上経った。
noteを書く気力が湧いてきたので
うつ病に至った経緯を振り返りたいと思う。
第二子育休明けの転職
第二子が約1歳になるタイミングで憧れだった業界に転職をした。
第二子育休明けってやつだ。
少し遡るが、新卒から色々あって非正規で働いており、20代前半で結婚や第一子出産をしたため、30歳までに社会復帰して「ちゃんとしたキャリア」を築いていきたいという目標があった。
そのため育休中は手に職と言われるような資格を取得。
未経験での就活は、なかなか厳しいものだったが、経験よりも熱意を買ってくれた第一希望の会社に採用された。
本当にすごくうれしかった。
ここで経験を積んで、将来はもっとキャリアアップするんだ、と意気込んでいた。
上司のパワハラ
入社して数日経つと、配属先の上司は、言い方や叱り方がきつい人だと分かった。
その上司の下には若手がいない状態だったし、居室でたびたび大声で怒鳴っていて、そのたびに嫌な気持ちになった。
初めての業界。右も左も分からない状態だったが、分からないことを気軽に質問できるような状態じゃなかった。
機嫌を配慮する必要があり、話しかけるときは緊張して声が震えた。
業務の判断を間違えたときは、細かく問い詰められ人格を否定するような言い方。
毎日ピリついた居室、機嫌の配慮、子供が低月齢で風邪が多くても休みを申し出れなくて、苦しかった。
毎朝きつい、行きたくないという気持ちはあったが、
憧れの業界だったから経験を積みたい。
更に難しい資格を取得して大手に転職したい。
未経験の就職がなかなか難しかったため、この環境でも3年位は…と考えていた。
体調の変化
次第に会社に行くことが怖くなり、明日が不安で眠れなくなった。
朝起きても気分が暗い。
朝ごはんは喉を通らない。
通勤中は動悸、会社に着けば頭痛と常に心拍数が高い。
常に仕事のことを考えてしまい、自宅に帰っても子供の相手ができなくなっていった。
退職、すぐに別の仕事に就く
ある日、居室の中央で大声で強い叱責を受けて、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。
その日の退社後めちゃくちゃ泣いた。もう二度と出社できないと思った。
試用期間までは頑張るつもりだったけど、出勤のことを考えると涙が止まらなくなり、メールで退職の旨を伝えて逃げるように辞めた。
まさか自分が「突然会社に来なくなった人」になるなんて…。
辞めた後は外出することが怖くなり、自宅に引きこもる日々が続いた。
近所の人に平日昼間から家にいると思われたくなかったため、電気をつけず部屋の隅で座り込んでいた。
だが、無職でいることに対する不安と子どもたちの保育園継続のためにも、急いで就職先を探さなければいけない状況だった。
その結果、派遣で事務の仕事に就いた。
ちなみに、心療内科行くという発想は全くなかった。
回らない仕事と欠勤ばかりの自分
派遣という働き方は過去に何度も経験があり、予め決められた業務内容をやればいいため、負担がないと分かっていた。
しかし、紹介された派遣先はそうではなかった。
ルーチン業務で同じ業務をする派遣スタッフが何名かいたが
業務プロセスは標準化されておらず、都度リーダーの指示に従って作業を進める必要があった。
ミスやコミュニケーションの課題も多く、さらに人手不足で契約内容と異なる業務を振られる。
他のスタッフが短期間で離職する環境だったため負担が大きかった。
それに加えて子供二人が病気がちで仕事を休んでばかりだった。
3週間おきに1,2週間休んでいたため、契約終了にならないかハラハラしてばかり。風邪を引いたって子供の体調より仕事が心配。クビにならないか不安でならなかった。
正直辞めたかったが、辞めたら保育園が退園になる。
また退職して時短の仕事を探すハードルが高いと分かっていたため、辞めるという選択がなく、今の環境で頑張るしかないと思っていた。
うまく回らない仕事と育児の両立に苦戦し、ストレスが溜まっていく一方だった。
契約終了の宣告と体調の変化
この状況をなんとかしようとマニュアル化を行った。
判断基準ができてミスが減り、無駄な業務が大幅に減った。
すると人手が余り、翌年度以降の契約更新がないと告げられた。
予め長期と言われていて、派遣されて半年も経っていない。
長く自分が働けるために頑張ったのに、仕事が落ち着いたからもういりません、なんてことがあるなんて。
今の仕事への怒りと今後仕事への不安で常に頭がいっぱいになり、仕事の日は動悸や歯痛といった症状が出るようになった。
切り替えが下手で子供の相手が全然できなくなり、話しかけられても「あっちいって」「来ないで」と拒絶した。
休日は寝室にこもるようになってしまった。
心療内科の受診、無職に
この状況を見かねた夫に連れられ、心療内科を受診した。
具体的な病名は言われなかったが適応障害か軽度のうつ病だろう。
仕事は、体調不良に悩まされていたため、最後の更新のタイミングで終了を希望した。
病気のことは誰にも言わなかった。
いや、誰にも言いたくなかった。
他のスタッフや派遣先から反感を買い、何度も「辞めないで」と言われたり、派遣会社の営業を通して引き止めもあった。
続けたら「使い勝手のいい人」で終わってしまうため、誘いは全て断り契約期間を終えて
無職になったが、今思えば診断書を以てさっさと休職すれば良かったかもしれない。
自分のプライドが高いせいでできなかった。
当時はとにかく必死で、2社とも辛くても頑張ったり、責任感を発揮したりしたけど、私ががんばる必要はなかった。プライドなんて捨てて逃げれば良かったのに。
あとはもっと早く(1社目の心が折れる前に)心療内科に行くべきだった。
子どもは保育園に預けたかったから、なんとしてでも働かなければいけないと思っていたけど、心療内科で診断書を貰えば、継続して預けることだってできた。
無知だったために、自分がおかしくなるまで働いてしまった。
最初こそ、うつ病になって情けない、と自分を責めたけど
これをきっかけに自分の考えを整理していきたいと思う。