ここのところ自分の仕事の軸を見つけたくて、未着手だった自己分析ツールを使ったり、意図的に自分の考えを職場の人に暴露してみたり、コーチングを受けたりなどしている。先日のコーチングセッションで、私にはこの国がとにかく生きづらいことを吐露したら、「もし、maiyaさんの国をつくるとしたら、それはどんな国ですか?」、「そこでの理想の1日は、いったいどんな1日ですか?」という拡大質問をされた。 そんなこと今まで誰にも訊かれたことなかったけれど、するする出てきた。特に理想の1日は鮮明な
久しぶりにnoteを開いたら、下書きに保存していた書き散らかしがあった。多分2年くらい前? せっかく世に出かけていたのにかわいそうという気持ちになったので、とりとめがなさすぎるが少しだけ整理を加えて公開してみる。 ーーー 自分が避けようと思っていた教育業界に身を置いて、しばらく経ったからだろうか。あるいは、もう子育ての季節を迎えている友人が多くなった環境の変化だろうか。 幼少期に与えられたもの、教育について、考えることがこの頃多くなった。 幼い頃、社会人というものがま
味気が足りない とあなたが言うので 私は焼き上げた魚に 特別な塩を給した 歪な形 それを力でいなせば 後で整えたものとして 刺激は降り積もる 美味しいね そうだね そうでしょう なぜならそれは特別だから 削っていたのは恐らく我が身 だからだろう 真摯な命を食せば 塩辛い涙が食卓に沿う 歪な愛を削って誰かに捧げた 虚無への供物
冷凍の肉まんを食べて 突如思い出された記憶 ずっと忘れていた 思い出す必要もなかった 辺りは暗く、 家族向けの車のシートを 寝床代わりにしたこどもたち 運転する父に 母は何かを抱えてきた ほかほかの食べもの 肉まん 私はこの非日常が嬉しくて ぱくりとかみつく すぐさま母が言う あ、紙ごと食べた、と 紙を食べている自覚など一切なく いわれて初めて気づきへらへら笑う なにがそんなに大切なのか、よくわからなかった。 母よ あなたは不断の努力を続けてきた 正しいことを伝えた
こどものころ ねぎが嫌いだった おとなになり ひとり暮らせば あえて買うほど なぜ苦手なのかと 告げる必要もなかったが 整えられた生き物の くせのないものばかりだから その悪意にふれずにきた ということなのだろうか たまたま 生活を大切にしようと思い 今日、手に取り ぴんと伸びた 手提げ袋に余るねぎを家に持ち帰り 包丁で 容赦なく ざくざくと刻めば 断面に見える かつて苦手だった粘り こんな葱がまだあったか そう思いながら しかしそれを除く あるがままを頂けば それは自然
なんの目的もあるわけではなかった。 ふと、クラシックを聴きたいな、と思ったのだ。 初めてのことである。 なので、辻井伸行のコンサート映像をアマゾンプライムから再生したのは、そんな心持ちが成した技なのだろう。感動した。何に心打たれたのかはよくわからない。私は時々、これまでも急にピアノ曲を聴きたくなることがあり、そのなかでも印象的なのがラフマニノフなので、youtubeで検索すれば彼のコンサート映像はすぐに出てきていた。だから、アマプラで彼の名前をタイトルに観たとき、再生し
頭も体もすっかり怠けてほわんほわんしているので、活字リハビリがてら去年から今年にかけて考えていたことをつらつら書いてみようかと思う。 副題に盛り込まれた「愛の不時着」とは、随分前から話題の韓国ドラマである。私の周りにはこれにハマった人がとても多く、夏頃からあちこちで話題に上っていた。「21世紀におけるドラマの最高傑作」とまで評した人もいる。Netflixでしか観ることができないのだが、仕事の繁忙期に突入してしまい、今観てはいけないと必死に自制心を利かせて年末まで耐えていた。
生まれ変わったら何になりたい? と訊かれたとき、瞬時に、「生まれ変わりたくない」と答えていた。人間はもう十分、と。 私は、生まれ変わりとか前世とかをきっと信じていない。信じている人を否定もしないけれど。個人的には、命の源泉は無であり、死んだらまた無に還るのではと思っている。宇宙の始まりと終わりのようなイメージ。真っ暗闇から私はこの世界にやってきて、またそこへ戻る。次はない、という事実によってはじめて永遠を体感するだろう。完全なる喪失と、ジ・エンド。 でももし、どうしてもま
文章になる前の言葉が、私の頭の中でバタバタと駆け巡っている。それはまるで無邪気な幼子が障子に穴を空けたり、靴を脱ぎ散らかしたり、駄々をこねて泣き喚いている様にも似ている。抱きあげるとのけぞるようにぎゃーと自己主張したりなぞする。なんというエネルギーだろう。 しかし日々の糧のためには、現実の仕事も多少なりともこなす必要がある。私はこの悪戯っ子たちと目線を合わせ、ピンと張った和紙を蹴破ることを一緒に楽しむ時間がなかなか持てない。ほんとは君たちと共に渡り廊下をバタバタ駆けて、大人
それは地図にしてみれば点にしかならないほどの、とてもとても小さな村でした。そんな狭い場所ですから、何か新しい、自分たちが今まで見たことのないものが現れると、随分とその存在は目立つものです。 ひとりの吟遊詩人が、まるで寄り道をするようにこの村を訪れた際も、例外ではありませんでした。 それは四方を囲む山の木々が、豊かな葉を萌黄色や深紅に染め始めた、初秋の頃。平穏な湖面に、小さな石が投じられて波紋が広がっていくような出来事でした。 ある日どこからともなく姿を現した旅する吟遊詩人は
暗闇の中でじっと耳をすますと、深淵から物語が生まれてくるのがよく分かる。 聴く人知らずの夜想曲は消えかかってはまたつながり、つながっては途絶えてを繰り返して、闇と共鳴しながら協奏を持ちかけているようだ。音が吸い込まれ噴き出すところ、意味になるかどうかを考えあぐねる中間地点、そこにきっとあの人はいるだろう。 四肢を軽やかに動かしながら、乱反射する途切れ途切れの音を組み立てて、闇が闇の中を進む。 織られた歳月は神話となり 様々な告白の縁を求む 祭壇の供物の赤い果実 祈りを乞う
真暗闇の客席に座る私たちを覆うべく、だんだん音量を上げるその曲に、鼓膜がビリビリと慄いた。 試すように近づいてくる太鼓の音は、ともすれば軍靴の響きにも思えてくる。その音律に言葉をのせるのはどこか可愛げがある女性の健気な声質なのに、過激な歌詞が遅れて頭の中を駆け回る。訳もわからない一抹の恐怖、私ここに座っていていいのだろうか。流れる歌詞のその意味を咀嚼する間もなく、言葉は一直線に私に殴りかかってきた。 「牛のように豚のように殺してもいい いいのよ 我一塊の肉塊なり」 膨張
そういえばこんなこと書いたことあったわ、と思い出した。ずっと昔から、同じことを考え続けているのかもしれない。終わらない問い。 ーーーーーーーーーーーーーーーー-----ーーー 眠れないので久々にブログを更新しようかなと思い立ちました。 つい10日ほど前、ゼミで一万字程度のレポートを書いたのですが、自分の考えを述べる、ただそれだけのことを獲得していくことが人生の課題なのではないかと思うほど、誰かの考えを読む(聴く)ということと、自分の考えを書く(話す)ということは難しいこ
職場の人と仕事終わりに飲んでいたら、孤独についての話になった。 酒宴の席のおぼろげな断片的記憶ではあるが、なにか大切なエッセンスを自分が落としたような気がして、シーンを手繰りメモしておく。 仕事の場で?社会で?家庭の中で? つまり、孤独を感じる場所(世界)についての問いだった。 私の返答は確かこうだ。 結局、孤独というのは自分自身をも客観的に一人の人格として疑うということなのだと思う。自分を疑う限り、それはどんな場所でも孤独であり、自分自身を生涯の伴侶にできれば、それか
今朝、コーチングを受けていたら、読書ノートとことばの話になった。 もしも火事に見舞われたとして、ひとつだけ持ち去るものがあるとしたら、私はきっと読書ノートを手に取るのだと思う。 長い年月の中で私の中に残ったたくさんの人の言葉たちと、それに惹かれた自分の感性の年輪。 これが手元にある限り、私は私の歴史を失わないで済むような気がする。 それはmaiyaさんの内側の、どこにどのような存在としてあるものですか? と問われたので、多分、こころの奥底、小さな、このくらいの、と親
これはブログではなくfbに載せていた文章。タイトルは今考えた。笑 仕事の同僚や上司とはSNSで繋がらないように、と意図していたのだが、人伝てに当時の上司がこの文章を読んだみたいで、「あなたは書き手になりたい人だったの?」と突然尋ねられたことがあった。適当に誤魔化したのを、今でも覚えている。 そして、蜷川幸雄にまつわる思い出と、舞台と観客の関係性については、ずっと書きたいと思っているテーマだな、と改めて思い出す。 ------------------------- 今日