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【過去記事/番外編】20110131 白いウズラ
そういえばこんなこと書いたことあったわ、と思い出した。ずっと昔から、同じことを考え続けているのかもしれない。終わらない問い。
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眠れないので久々にブログを更新しようかなと思い立ちました。
つい10日ほど前、ゼミで一万字程度のレポートを書いたのですが、自分の考えを述べる、ただそれだけのことを獲得していくことが人生の課題なのではないかと思うほど、誰かの考えを読む(聴く)ということと、自分の考えを書く(話す)ということは難しいことなのだと思わざるを得ませんでした。
自分の気持ちを思考へと転換させ、もっとも適切な言葉を当てはめて世界へ出力すること。
それすらも満足にできないことに、自分の非力さと無能さを痛感しました。
それを受け止めるのは、なんと切ないものだろう、とも。
あなたの考えている言葉、あなたの見ている世界、あなたが大切だと思うもの。
その心にどんなかけ橋を渡そうとしているのか。
何一つ、見えない時がある。
スタインベックという小説家の短い一篇に、『白いウズラ』という作品がある。
ある夫婦の物語なのだが、妻は自分の創り上げた美しい庭を愛している。
その庭は彼女の精神価値そのもので、彼女は物事のすべてを、庭を基準に判断する。
結婚した夫についても、彼がその庭にふさわしいかどうか、それをイメージできることが大切だった。
その美しい庭の池に、ある日一羽の白いウズラがやってくる。
その光景のあまりの美しさに、彼女は歓喜に震えながら、あの白いウズラは私だと、心の中で確信する。
しかし、そのウズラを狙って猫も庭に舞い込んできていた。
彼女は狂ったように夫に猫を殺してくれるように頼む。
興奮する妻をなだめながら夫はある夜、猟銃を持って白いウズラを撃ってしまう。
妻には「猫は退治した」と告げながら、一人誰もいない部屋の椅子に腰かけ、「俺は寂しい」とつぶやいたところでこの物語は終わる。
この美しい庭と、そこに舞い降りた一羽の白いウズラが妻の世界であり、心であるとするならば、彼女は夫に、それを解放することができなかった。夫には理解できないと思っていたから。
夫は、その白いウズラと庭の世界に、自分の居場所を求めてやってきた一匹の猫なのに、彼女にとって猫は、その世界を壊す恐怖以外の何者でもなかった。
理解し合えないこと、共有できないこと、たとえそうだと分かっていても、時々訪れてくる一匹の猫に、わずかな居場所を与えられればよかったのに。
寂しさからウズラを殺してしまう夫も、庭の世界を誰にも理解してもらえないと信じている妻も、すれ違う人間の心の、悲しい真実なんだろう。
人間はきっと、互いに受け入れてもらいたいだけ。
でもそれは、需要と供給で量れるような経済の問題じゃない。
あなたの見ているものも
あなたの選ぶ言葉も
あなたが希望と捉えるものも
何一つ分からないとしても、
それ自体を否定することのない力が、人間に備わっていればいい。
そんな力を、学んでいければいい。
だから一生懸命読んで、聴いて、書いて、語りかけようとしてきた。
私が大学で勉強しているのは、人間の、そんな歴史なんだろうな、と思います。
何一つ、近づいていかないけれど。