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水芙蓉と羅針盤

それは地図にしてみれば点にしかならないほどの、とてもとても小さな村でした。そんな狭い場所ですから、何か新しい、自分たちが今まで見たことのないものが現れると、随分とその存在は目立つものです。
ひとりの吟遊詩人が、まるで寄り道をするようにこの村を訪れた際も、例外ではありませんでした。
それは四方を囲む山の木々が、豊かな葉を萌黄色や深紅に染め始めた、初秋の頃。平穏な湖面に、小さな石が投じられて波紋が広がっていくような出来事でした。

ある日どこからともなく姿を現した旅する吟遊詩人は、どこまでも遠くに進めるような、足にぴったりの丈夫そうで丈の短いブーツを履いていました。深緑の外套は、雨風をしのぐ旧知の相棒であるかのようによくなじんでいます。目深にかぶった鍔の広い帽子は、世の中をあるがままに見つめる鋭い眼光を隠すためのものでした。

旅人は文字通り旅をする人ですから、何にも縛られず気の向くままに方々を出歩き、立ち止まったり、眺めたりします。そして時々、村の広場の噴水の石造りのへりに腰掛け、片手に収まる小さな楽器に息を吹き込みながら曲を奏でます。楽器をとめて、薄く静かに歌うこともありました。聞いたこともない音の連なり、異国の、そして遥か昔のその言葉は、村人には初めて出会うとても不思議な生き物のようでした。
旅する吟遊詩人の歌にじっくりと耳を澄ませば、その歌詞が宿す忘れ去られた歴史も、広大な物語も、遥か昔の祈りにも気づけたでしょう。
しかし、村人はもう、歌というものを忘れて久しかったので、その意味を理解することはできませんでした。歌を、どういうふうに聴けば良いのかよく知らなかったのです。刻まれる旋律は村の時間とすこしずれていたので、余計に奇妙な響きに思えたのかもしれません。「吟遊詩人」という言葉さえ、辞書から消えて長い長い年月が経っていたのですから、当然といえば当然です。旅だって、本当にできる人が、いったい今どれだけいるのか、怪しいものです。

村の人々は遠巻きに噴水広場に佇む彼を眺めたり、少しだけ近づいてみてはまたすぐに離れたり、わざと視界に入れないようにしました。突然やってきた異質なものは、突然去ってまた元通りの世界になることを、幼い頃から教えられてきたからでしょう。彼が一体何日滞在しているのか、どこで寝食を済ませているのか、どこから来たのか、なぜこの村に来たのか、関心を寄せるものはいませんでした。彼がさりげなく残している、彼の跡に気づくものもです。ただ一人を除いて。

「あなた自身には、ないの?」

ある日のこと、いつものように噴水広場で小さな楽器を奏でる彼に、近づいてきた人影がありました。音楽が止まります。

「どこかで見たことがあると思ったら、この村唯一のバーテンダーさんか。陽の下でお会いすると少し印象が変わるね」

旅人に近づいてきて声をかけたのは、彼が一度だけ立ち寄ったことのある、重い木の扉を構えた半地下の小さなバーの店主でした。そもそも、この村にバーがあるということを知っているものも、バーがどんなところであるかを知っているものもそんなに多くはありません。偶然この店を見つけても、仕事の話をしたり、お茶やコーヒーを飲んで帰るだけの人もたくさんいました。宿り木で自身の魂を癒すような時間の過ごし方を知っているものは、本当に減ってしまったのです。
バーなのに酒瓶やグラスを棚に飾らないその違和感に、それは旅人の嗅覚とでもいうのでしょうか、カウンターの隅に座った吟遊詩人はあえて他の客が気づかないようこう尋ねました。ここには、どんな種類の魂が置いてあるの? と。その時初めて、カウンターの内側にいる彼女はサイフォンから視線を持ち上げ、旅人と目を合わせました。それは試し、探るような厳しい視線だったでしょうが、彼は飄々として動じません。
彼女はしばらく黙っていましたがようやく、小さな紙とペンを旅人の前に置きます。
「大抵のものはあります。けれど、注文は書いてください。口に出さずに」
それを聴いて旅人はにやりとしました。予感が的中した喜びでしょうか。それとも、あたりをつけた隠語が通じた喜びでしょうか。一定以上の度数を持つ酒類の総称を、異国の言葉では魂と呼ぶことを、知っているか知らないかの、賭けに興じたやり取りでした。この村では、そうしたものは劇薬として、医師の資格を持っているものしか扱えないようになっていたのです。


「ところでごめん、質問の意味がよくわからないな。何を訊きたいの?」

吟遊詩人はとても愉快そうです。それもそのはず。何日も同じ場所でこうしているというのに、村人ときたら、白昼堂々と彼に話しかけようとはしないのですから。この村に来て、彼女が初めて公の場で声をかけたのでした。

彼女は表情一つ変えず淡々と答えます。

「あなたが、この村でしていることを、私は知っている。時々、あなたと会ったであろう目印をつけた客が来るようになったから」

旅人がこの村に来てから、本当に、ごく稀に、彼女の店がどういうところかを知っている客が来るようになりました。そういった人たちは、ほかの村人とは明らかに違う表情をしています。どう言い表すのがいいでしょう、まるで本来の自分を取り戻したように清々しい表情を湛えているのです。注文するものがお茶であれ魂の一種であれ、それを本当に味わうことも自分の中に取り戻したようで、一呼吸おいてからとても満足気に「ご馳走様」と言って店を去っていきます。
ある時彼女は、そうした人々が大抵、銀色の細い光を体の内側に宿していることに気づきました。それは指先であったり手首であったり首元であったり耳だったりと人によって様々でしたが、かならず、その人が動くとちらちらとどこか誇らしく光が瞬くのです。これは、もしかすると彼女だから気づけたことかもしれません。

「だから、あなた自身には、傷はないのかと興味を持った」

光の源は、その人が抱えていた深い深い傷からだと、彼女は言うのです。

それを聴いて、旅人はますます目を細めて本当に楽しそうに笑いました。ずっと立っているのもなんだし、まあ座ったら、と自分の横の石造りの噴水のへりを促しますが、彼女は、いい、すぐ行くから、と丁重に断ります。

旅人はそんな彼女に向かってこう答えました。

「なんども色んな所を廻っているから、もうどんな傷も自分の痕にはならない。むしろ他の人が持つ傷のほうがよく見える。そしたら、逆にそれを傷ではなくその人の羅針盤に変えることができるようになった。光とたとえたのはそれのことかな? でも、ずいぶんと不思議なことを訊くね?」

彼女はやはり表情を変えず答えます。

「だって、あなたのハーモニカの曲、とても明るくてアップテンポだけど、私にはどこか悲しく聴こえる。ピエロも道化師としておちゃらけているけど、化粧で涙を描く。悲劇と喜劇って、実は双子のようなものだし。それと似ていると思った」

旅人は彼女の発言に一拍おいて、鍔の影からやや真剣な面持ちで答えました。

「バーテンダーさん、この前のやり取りもそうだけれど、君はこの村から出たことがあるの? どうしてこれをハーモニカと知っている? 村の人たちは初めて見るものとして恐怖と物珍しさと好奇心でいっぱいなのに。大道芸もここにはもうない文化と観ていたんだが、ピエロのことまで。いったい、どこで?」

「……ここでは、話せない。本当は、さっきのことも、決して言ってはいけなかった。でも、あなたはこの村を出来るだけ早く出た方がいい気がしたから。それを伝えようと思って声をかけた。もう、行った方がいい。波紋が荒波に変わる前に。」

彼女はそう言うと、踵を返して何事もなかったかのように去っていきました。その背中に向けて旅人は立ち上がり声を掛けます。

「ねえ! 今日はお店を開くの? ここで話せないというのなら、あとで訪ねるから、教えてほしいんだけど!」

彼女は振り向きもせず、返事もせず、歩く速度も変えることなく、去っていきました。その姿はまるで、陽の下からは早く逃げたいとでも言っているようでした。

やがて陽が暮れ、満月が夜を彩る頃合いに、重たい木の扉を開けて彼は彼女を訪ねました。バーは入り口の外灯を消していましたし、表向きは閉店の札が下がったままでしたが、旅人はわずかな確信をもって取っ手に手をかけたのでした。

「よかった。この村でひっそり生きている君がどうして色々知っているのか、その秘密を知ることができたら、お望み通り今夜ここを出ようかなと思っている」

彼女は黙って、カウンター下の棚から琥珀色の液体が入った瓶を取り出し、栓を外して今夜の満月の如くまん丸い氷がぴったり入るグラスに注ぎました。樫の熟れた香りがグラスの小宇宙に注がれると、何かの始まりを告げるように月の氷を冷たく響かせました。

螺旋状のうねりを有した長い銀製のマドラーを器用に操る彼女の手先を眺めながら、旅人は尋ねます。

「どうしてこんな村でバーをやろうと思ったの?」

氷から解けたわずかな水と琥珀色の魂を融合し終えると、旅人の前にコースターを置いてそのグラスを差し出します。

「私の力を隠すのに、ちょうどいいから」

「…なるほどね」

旅人はグラスから一口含むと、ずいぶん古くてマニアックなものを置いているんだね、と嬉しそうにこぼしました。こんなに癖が強いの、この村の人は受け付けないだろうに、とも。そして、帽子を外して隣の席に置き、まっすぐ彼女に尋ねました。

「誰が君に、その力を授けてくれたの?」

「…その人は、村はずれの森のそばに住んでいた魔女だった。私のことを、ロタと呼んで、この村にいながら、外の世界を見る方法を教えてくれた人」

彼女は、カウンターの内側に置いてあった樽を椅子代わりにして腰掛け、ゆっくり、昔話を始めました。

噂は知っていたけれど、その家を見つけたことはたまたまだったこと。気になって、そのあと何度も足を運んだこと。やがて、魔女から家に招かれ、何を語るでもなく、お茶を飲む回数が増えたこと。そして、逃げ場所だったその家が、ある日ロタにとっての意味を変えたことーー。

それは、とてもあたたかい春の日差しと穏やかな風が心地よい日でした。魔女は用事があるから、と家を彼女に預けて出かけていました。玄関を開放し、大窓も開けて、家の中の空気を入れ替えていたときのことです。外界からの風の通り道に誘われたのか、一羽の蝶が家の中に舞い込んできました。それは白いモンシロチョウでした。蝶を目で追いかけていると、向かった先は魔女の私室で、僅かなドアの隙間から入り込んでいきました。ロタが彼女の家に出入りするようになってからもうずいぶんたっていましたが、その部屋だけは立ち入ってはいけないような気がして、近づかないようにしていました。悩みましたが、蝶が部屋で迷い込んでいたらかわいそうと思い、ためらいながらもその扉を開けました。

初めて足を踏み入れたその部屋は、とても不思議な香りがしました。古い木と、古い紙と、インクの匂いを一緒にしたような深い香りに、少女は息をすることでその香りの先の広い世界と一体になったような錯覚に陥りました。

眼前に広がる壁いっぱいのたくさんの書物も、一人ものを考えるための机と椅子も、この世でとても素敵な光景に思えました。

蝶は遊ぶように揺らめいた後、一冊の本に止まりました。それは臙脂色の革表紙の、大きな、古い本でした。少女はそれが囁きながら自分に話かけているような気がして、無意識に少し背伸びして小さな手を伸ばしかけたそのときです。

「触るな!」

後ろから大きな声で魔女が強く断じました。それは今まで誰にも向けられたことがないほど、鋭く一直線にロタを刺したので、全身が凍り付くようだったのを今でも覚えています。

ロタはやっとの思いで、蚊の鳴くような声で答えました。

「ごめんなさい…」

魔女は部屋に入ってくると、大きな木の椅子に深く座り、こめかみを抑えながら苦悩に満ちた表情でこう言いました。

「お前はここに入り浸り過ぎたね。もっと早く追い払うんだった…。」

どこに隠れていたのか、彼女の愛猫の黒猫が魔女の膝に丸く陣取りました。
それに気づいた彼女は、眉間の皺を少し緩めて、猫を撫でます。そしてまだおびえているロタに向かって続けました。

「…魔女が、いったい何を扱っているか、知っているかい? 本当の言葉だよ。願いも怒りも悲しみも等身大の本来のエネルギーで放たれる。それは呪いであり希望であり時空をも超えるから、誰かの運命や歴史を変える恐ろしさを持つ。いじってはならない禁忌に触れるようなものだ。」

逃げることもできず佇むロタを見つめてさらに続けます。

「いいかい、よくお聴き。ここにある本を、本当に、心から読みたいというのなら、教えてやろう。でも、お前がこれから手に入れようとしているのは治癒の薬であると同時に多くの人を傷める剣となる。剣を持つ以上、それを殺戮の道具にしないために、自分と向き合わなければならないよ。お前の胸に潜む、きっとまだ、お前自身も自覚してはいないだろう大きな闇とね。そして、本当の理解者を得ることもない。同業者にでも出会わない限り。でも、もうこれを生業にしている本物の魔女は、いないか、殺されてしまった。お前は、たったひとりになる。それでも、これらの扉を開けたいかい?」

ロタは、そう言われて、少しだけ体の硬直が解けたように感じました。なぜかはわかりませんが、ここは自分にとってとても大切な場面だと思ったのです。わずかな勇気を振り絞って答えます。

「うん。ずっと不思議で仕方なかった。なぜ、私がここにいるのか。ここで教わっていることはなんなのか。この村の人たちが言っていることが、どうして私には分からないのか。毎日の習慣、時間の流れ、死んでいくこと。みんなと話が通じない寂しさ。でも、これが変わらないなら、ひとりで居続ける強さが欲しい。それはきっとこの中にある気がする」

勇気を出していると、だんだん泣きたくなってきます。もう今にも泣きだしそうでした。それでも、ロタは涙をこらえたまま一生懸命答えました。

「だから、教えてください」

魔女は膝に座る老猫を優しく撫でながら、許しを請うように小さく猫に呟きます。わかっているよ、私は罪深いね。繋いでしまう。けれどきっと、これが最後の罪になるからね。もう少しだけ、辛抱しておくれ。

魔女は猫を抱き上げ椅子から立ち上がると、身をかがめ少女に近づき言いました。

「お前ね、約束してくれるか。私はお前にこれらの読み方を教えるが、私が死んだら、この家は丸ごと燃やすと。」

「…わかった」

それを聴いて、魔女は少しだけほっとしたような表情を浮かべます。

「でも、あの、死ぬ時が分かるの?」

それはロタの素朴な疑問でした。

「そうだね、この子が教えてくれることになっている。」

魔女は抱きかかえた猫を見つめながら答えます。

「あなたは、もう、そんな歳なの?」

「…どうだろう、わからない。いつからか、この村の人たちの時間で生きることをやめてしまったから。でも、自分に残された時間は、わかっているよ」

窓の向こうの景色を眺めながら答える魔女の横顔を見て、少女はぼんやり考えます。この人は、ほんとうにいったいいくつなんだろう。時々、何百年も生きている老女のように思えることもあれば、20代の瑞々しい女性らしさが全面に出てくることもあります。彼女が過ごしてきた豊穣なときと精神の広がりが、そうした雰囲気を纏わせていたのかもしれません。彼女のそばにいると、ロタは自分が、もっと幼い子どものようにも、とっくに人生の朱夏を過ぎた時期に棲んでいるように思えることもあるのでした。

「そうだね…月と太陽を三度交互に見ても、私とこの子がこの家にいなかったら、死出の旅に出たと思っておくれ」

魔女はロタにそう付け加えます。

「しかし、それはそうと名前がないと色々不便だね。お前に、私だけが呼ぶ新しい名前をつけても構わないかい?」

少女はこくりとうなずきました。新しい名前、とはなぜこんなにもわくわくするのでしょう。

遠く遠くを眺めていたような彼女の視線が目の前の少女を捉えます。

「…ロタ、はどうかな。ある花の遠い国の音をすこしいじって、お前の可愛らしいイメージに重ねたつもりだよ」

「ある花…?」

魔女は無邪気な少女のように、少しだけいたずらっぽい笑顔で答えます。

「このたくさんの扉を開き続ける中に、ヒントを見つけるかもね」

さあ、記念すべき最初の本はどれがいい? 選んでごらんーー。
そこからの日々は、あまりに濃く、あっというまで、そして本当に幸せでした。

死んだらすべて燃やしてほしい、という彼女の約束を、本当に守れるかどうかはわかりませんでしたが、もし、そんな日を迎えなければならないことがあるならと、ロタはなるべくこれから教わることを覚えておこうと思いました。形がなくなっても、私の頭の中にこの本があれば、完璧でないにせよ書き起こすこともできるかもしれない。神経を研ぎ澄ませて魔女の話を聞き、魔女が紡ぐ言葉を、まるで糸車の糸の繰り方を覚えるように、重みを増していく刺繍のひと針ひと針を長い時間をかけて縢るように、紙に触れ、書き、声に出し、咀嚼して、体と頭の両方で身につけようとしました。

ここまで語り終えると、ロタは少し間を置いて旅人の目を見てこう告げました。

「…今日は、彼女がいなくなって、四回目の月夜だったの」

旅人のグラスの中身はとうになくなって、グラスの中の月は小さく溶け始めていました。溶けた水は小さな海で、その海に月が沈み始めているかのようです。

「…本を焼く国は、いずれ人を焼くようになるとどこかに書いてあった。私も、いずれ人を焼いてしまうかしら」

悲しそうにポツリとこぼした彼女に、旅人は答えます。

「死人を焼くことで天に還そうとする国もある。炎を神と捉える文化もある。君の望むように、考えてごらん。ここでは様々な知識が君を支えてくれたんだろうが、一度捨てて、まっさらになって、なにもない所で自分がどうしたいか、目を瞑り掬ってごらん。きっと、どこにもない新しい言葉が、君の中から生まれるだろう。その時には、魔女と呼ばれない存在になる。聖女を迫害したい人々が、異端審問で魔女と名付けた歴史があると、教えてもらった本には、なかった?」

彼女が、あまりにも自分のことを当たり前のように魔女と呼んでいたからかもしれません。確かにそうした記載があったと、旅人に言われて初めてロタは気づきました。

「蓮華を見たことはある? 昔この村には、とても美しい蓮池があって、立ち止まって見ていたら、蓮の花は輪廻の象徴なのだと教えてくれた人がいたんだ。本当に久しぶりに、近くに来たから立ち寄ったら、池は埋め立てられ、その人も居なくなってしまっていたけど」

小さな月に目を落とす旅人を見ていて、ロタは自分ではないなにかが自分の口を動かしているのをわずかに感じながら答えました。

「…あなたの羅針盤は、傷ではなく誰かやどこかの風景なのかもね」

旅人は視線をあげてロタの顔をじっと眺めます。繋いで消えるとは、どういうことか、すとんと馴染み吟遊詩人の中に落ちていきました。

「…ずいぶん昔に、君と同じことを言った人がいたよ」

旅人はそう言うと、傍らに置いていた帽子を再び被り、ロタに向かってこう告げました。

点在する光が線を結んで星座になると、大地も天も一つの宙となって、自分がどこにいるか分かるようになる。今いるこの場所が、星々の中間地点だと、宇宙に抱かれているような敬虔な気持ちで、生きていけるんだよ。

「縁あれば、またどこかでね、ロタ」

自分の中にある羅針盤を頼りに店を去る彼の表情は、どこか悲しげで、けれどとても穏やかで、その足取りと同じように軽やかでした。


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