無の中へ刻々と
生まれ変わったら何になりたい? と訊かれたとき、瞬時に、「生まれ変わりたくない」と答えていた。人間はもう十分、と。
私は、生まれ変わりとか前世とかをきっと信じていない。信じている人を否定もしないけれど。個人的には、命の源泉は無であり、死んだらまた無に還るのではと思っている。宇宙の始まりと終わりのようなイメージ。真っ暗闇から私はこの世界にやってきて、またそこへ戻る。次はない、という事実によってはじめて永遠を体感するだろう。完全なる喪失と、ジ・エンド。
でももし、どうしてもまた人間に生まれ変わらなければならないのなら、今度は男性として生きてみたいな、という気もする。
その時私は、理不尽な要求にも我慢で応え、強くあることも責任をとることも出生ゆえの当たり前の努力だと疑わないだろうか。自分の中の深い深い奥底に暴力的な要素を見つけ、驚き慄いたりするのだろうか。隣に座る彼女はやはり弱々しい存在に映り、自分が守ってやらねば、などと思うのだろうか。デートに誘った女の子を前にして「女の子で、なんで四大に行きたいと思うのかわからない」と迂闊にも言ってしまったりするのかしら、どうなのかしらん。
来世ではどう生きたいかという質問と、名前の由来も尋ねられたので、ついでに答えておこう。
先日、仕事のメールを返しているとき、吉野弘の「漢字喜遊曲」の一節が浮かんだが、私なんでこの詩を覚えているのだろう、とよくよく考えてみれば、私の名前に使われている漢字があるからであった。
「舞という字は
無に似ている。
舞の織りなすくさぐさの仮象
刻々 無のなかに流れ去り
しかし 幻を置いてゆく。
――かさねて
舞という字は
無に似ている。
舞の姿の多様な変幻
その内側に保たれる軽やかな無心
舞と同じ動きの。」
劇場で働いていた頃、ダンス公演の関係者に名刺を渡すと、「ダンスをやってらしたんですか?」と訊かれることも多かった。いいえそんな滅相もない。しかしそういわれてみれば確かに、舞台関係者になるべくしてなったような名前だ。
母が私の名前の由来を綴った文章は、何号だっけ。妹が美大の卒業制作のために文庫サイズに製本した母の個人通信を久しぶりに手に取る。なお、妹の卒業制作の詳細はここでは割愛する。簡単に述べれば、両親と自分以外に4人いるきょうだい全員に「家族とはなにか?」をインタビューしてまわり編集した、家族に向き合うためのドキュメンタリーである。末っ子のお願いに応えるために、私たちはプライベートを世間に晒すことになったのだった。やれやれ。
見つけた。2005年3月10日発行の第65号。「我らがこころは石にあらず」。確か高橋和巳の『我が心は石にあらず』をもじった、と言っていたな。
「春の野を自由に舞いおどる蝶を見て、やがて生まれたあなたに生きる喜びをあげたくて、舞野と名付けた。」
お母さん、あなたは私に、喜びも悲しみも苦しみもすべて等しく豊かに与えてくださいました。それでも、真っ先に贈りたかったものが「喜び」であること、活字とともに残っているのは私の意義です。お蔭様で、大学時代の友人、高校時代の友人、中学時代の友人、選挙事務所で知り合った政治秘書の方、職場の方、SNSで知り合った人まで(笑)、たくさんの方に「おめでとう」と言っていただきました。喜びに対し素直な心でいま向き合えるのは、あなたが私に「始まり」を授けてくれたからでしょう。
そういえば、中学生の時に国語の授業で「胡蝶の夢」という言葉を知って、あ、私の言葉、とこっそり心の中のコレクションに加えたこともある。
「夢の中で胡蝶としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか」
なんだかさっきの”舞の姿の多様な変幻”に少し似ている気もする。「一生涯、ただ幻」とは祖父が死ぬ間際に残した言葉だが、帰り支度のため生の重荷を少しずつ落としながら、終末にはやはりこれは夢だったのではと思うのかもしれない。
先日誕生日を迎えてまた一つ歳をとったのだが、早朝に母からLINEが届いていた。いわく、「なんか、生気の満ち満ちた生きる気満々な赤ちゃんだったわ。」らしい。
玄関のベルが鳴りドアを開けると、オレンジ色のバラとかすみ草がいっぱいの花束を抱えた配達のお兄さんが立っていた。母からのプレゼントだった。「受け取れ」と書いていたのはこれのことだったのね。何気なしに花言葉を調べたらオレンジ色のバラは多様な意味を持つようで、絆、信頼、熱望、幸多かれ、健やか、だそう。へえ、結構いいじゃん。花は贈る本数でも意味が変わるが、贈られた数は10本。「あなたは完璧なひとです」。これは盛りすぎ。まあきっとここまで意図して贈ってはいないだろうけど。
続け様にまたベルが鳴った。岡山県の酒造の「宇宙ラベルシリーズ」と銘打たれたクラフトビールのセットだった。姉からのプレゼントだった。え、私が今日、「宇宙」という単語をタイプしたのどこかで覗いてた? センスありすぎ。
かつて私が生まれるまで、私という人間はこの世界にいなかった。そしてこれからも、私という人間は生まれてこない。
漲る命の力にこの身を任せ、懐かしい漆黒に還るそのときまで、自らを由りどころとして今生を踊る。