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堂々と老いさらばえよ!

2023年5月2日 晴れ

昨夜、『ボーヴォワール「老い」 (NHK100分de名著)』を読了。我が子を授かってから、子どもに興味を持ち、子育てに興味を持ち、教育に疑問を持ち、社会に疑問を持ち、哲学に興味を持ち、昨年より芋づる式に偉人たちの著作を拝読していますが、私にとって、こちらもまたとても刺激的でした。

また一つ新たな知識を得たような気持ちで、高揚しています。ボーヴォワールも、上野千鶴子さんも、また天才。皆さんにも、ぜひ、このスキャンダラスな書物を読んでいただきたい。なぜなら、「老い」とは、誰もが抗えない衰えの過程だから。100分で読めますしね。600円ですしね。

「老い」は誰にも避けられないのに、なぜ、厄介者にして、廃物扱いするのか?ボーヴォワールは、老いは、個人の問題ではなく、社会の問題であると主張し、著者の上野千鶴子さんは、この主張を、彼女の研究者としての出発点である、女性学の視点とも響き合うと綴っています。

上野さんの女性学についての著書もまた手に取りたいものです。また新たな知的好奇心が芋づる式に湧き上がってきます。最近、本への出費がなかなかで考えものですが、でも、いま手に取っている書籍たちは、できるだけ本という形で手元に置いておきたいと思っています。なんとなく。

さて、『老い』に話を戻すと、社会の変革のためには、まず現実を知ることが必要ということから、ボーヴォワールは膨大な資料を読み解き、厄介者扱いされる高齢者の現実と、「自分は厄介者になってしまった」と悲嘆する高齢者の心理も直視していきます。

老いを受け入れられないのはなぜか?、男の老いと女の老い、高齢男性の性、高齢女性の性、認知症に対する先進的な理解、家族のなかの高齢者、死の自己決定と実存主義(人間の自由とは何か)、などなど、現代社会に結びつけながら、上野さんが紐解いていってくれます。

老人たちは、老いという新しい冒険に乗り出しているのです。それは、認知症になることを含めて、です。だから生きていていいのです。役に立たないからと厄介者扱いするのではなく、役に立てないと絶望するのでもなく、わたしたちは老いを老いとして引き受ければいい。それを阻もうとする規範、抑圧、価値観が何であるかを、ボーヴォワールの『老い』はわたしたちに示してくれます。

同書

あと、ボーヴォワールとサルトルの関係は有名なようで、二人はお互いを生涯のパートナーとしながら、自由恋愛を実践したんだそう。ああ、昨年、哲学に興味を持って早々に手を出した、『実存主義とは何か: 希望と自由の哲学(NHK100分de名著)』もまた読み直そう。勝手に忙しい。

今朝、長女を学校へ見送ったあと、次女と登園する際、いつも通り写真を撮ろうとすると、パンチされた。シャキッとせえ!と言われているようで、気合が入った。

登園すると、子どもたちは、今日も園庭で、それぞれの遊びに没頭していた。一人の男の子が、砂場に一生懸命に水を運んでいて、「見てて」と私に声をかけてくれた。次女と一緒に見守っていると、砂場にジャーッと水を流して、水の流れを観察して、ニコッと笑った。いい表情だったなぁ。

いただいたサポートは、もちろん未来ある子どもたちへ投資します。 もしサポートをいただけたら、具体的にどう子どもたちに投資し、それによってどう子どもたちが成長していったかの記録をしていくのもいいかもしれません。