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マクロネシアの渚へ

 アダンの林を浜辺へ抜ける小径に近づくだけで、磯の香りが漂ってくる。サンゴ砂のカーペットの上を裸足で歩き、草木のトンネルをくぐる。すると、目の前に砂浜が広がる。白く波立つ干瀬[ひし]の向こうは、もう大海原だ。波が引けば岩礁に水がたまり、微細な生き物たちが行きかう。岩の上を潮が流れる音に耳をすませても、すぐに波がきてそれらの営みをかき消してしまう。砂浜と水平線からなる白と青のコンポジションを見つめてみる。いにしえの人にとって干瀬は魚介や海草をもたらす日常空間だったが、海のむこうは死んだ人の魂がいく他界だった。だから、渚に立つとき人は神高くなる。陽光が照らし、水が蒸発し、渚に空からの慈雨がふれば、水の循環に生かされている生命の姿が見えてくる。その循環するシステムを「カミ」と呼んでもよい。             

 伊良湖崎に漂着したヤシの実を見て、柳田國男は南方から「海上の道」をくる黒潮の流れを実感した。宝貝の美しさに魅せられ、それを財宝として追い求め、稲作をたずさえて海流にのってきた列島の祖先の姿を幻視した。柳田は詩人の魂をもった思想家だったが、彼がとなえた南方起源説は人類学者や考古学者たちから相手にされなかった。なぜなら、それは柳田が生涯をかけて学んだことを叡智にまで高めた「世界観を凝縮したイメージ」だったからだと吉本はいう。吉本は『海上の道』を自分なりの方法でやろうとしたと『母型論』に書いている。理系の頭脳をもつ人だったので、文学や言語学、精神分析や民俗学にとどまらず、発生学や経済学の知見まで加えてその問題に取り組んだ。

 『母型論』のなかで吉本隆明は日本人や日本民族といわず、「日本列島人(=ヤポネシア人)」という呼び方を採用している。そこには三つの側面があるだろう。一つは、六世紀から七世紀にかけて漢文を取り入れる以前の言葉が、古事記や万葉集のなかに保存されているという言語の面である。吉本は東北方言と琉球方言に共通するものを確認し、縄文時代に列島で広く使われたらしい「旧日本語」の存在を浮かびあがらせる。二つめは、記紀神話のカミや初期天皇についての伝承が、南九州以南の神話と類似しているように見えることだ。吉本は「兄妹が人間の始祖になる神話」を構造分析し、その元型が、四国、南九州、奄美、沖縄、台湾、中国南西部、東南アジア、そしてパプア・ニューギニアのトロブリアンド諸島の母系社会にまで共通するものだと指摘する。

 三つめは先のふたつから敷衍されることだが、「日本の民族性とかんがえている風俗、習慣、宗教、倫理、自然観(…)なども、もっと遡行すると複合したたくさんの種族の持ちものの融合とかんがえた方がいい」ということだ。[註1]科学的に説得するために、吉本隆明は一万七千年前に列島に入ってきた「スンダ型歯列」の人びとと、三千年前の弥生時代にきた「中国型歯列」の混血が日本列島人だという説を紹介する。朝鮮半島や大陸から渡ってきて大和民族を形成した集団よりも前に、列島にはオホーツク人、アイヌ、蝦夷、琉球人に連なる人びとがいたとされる。記紀神話に登場する国栖、隼人、熊襲といった土豪も縄文系人だったのかもしれない。わたしが『共同幻想論』と『母型論』からインスパイアされて『混血列島論』という本を書いたときは、氷河期の終わり頃の二万年前には海面が現在よりも低く、シベリアとサハリン島と北海道が地続きで、大陸からマンモスを追ってきた北方系の先住者がいたことを強調した。

『母型論』は民族起源論を語りつつ、乳幼児が母親とのつながりを感じるときの「大洋のイメージ」を発生学や精神分析を使って描出する。そして「一万二千年前までにはスンダ大陸棚は海底に沈み、インドネシア列島、日本列島、東南アジアの島々だけが残った。縄文人は、この大陸棚が沈むまえに、東アジア大陸棚の海岸線を伝って日本列島にきた」と吉本隆明が結論づけるとき、それは柳田國男の『海上の道』と同じく「世界観を凝縮したイメージ」にすぎないが、ふしぎな詩的喚起力がある。[註2]

 わたしはそれらの島々のネットワークを「マクロネシア」と呼んでみたい。macroには「大きい」だけでなく「巨視的な」という意味もある。ヤポネシア(日本列島)もまた、サハリン、奄美沖縄、台湾、フィリピン、ミクロネシア、インドネシア、ポリネシアまで巻きこんだ人類における大移動の歴史の一部分であり、それこそが吉本が残した世界観のダイナミズムである。

 ところで、わたしはときどき吉本隆明という個人、あるいは吉本が生きた時代に中々できなかったことは何だろうかと考える。たとえばそれは、中国南部からインドシナ半島に分布するゾミア(山岳地帯)の森を歩くことであり、マクロネシアの島々を巡ることではないか。吉本は『母型論』を書いたのに、台湾の山中でタイヤル族とともに骨付き肉をかじらなかったし、ルソン島のイゴロット族と銅鑼を叩いて輪踊りをすることもなかった。大海に浮かぶパラオの孤島でオカヤドカリの料理に舌鼓を打つこともなく、小スンダ列島に位置するスンバ島のパソーラ(騎馬戦)で顕現する暴力に怖れおののくこともなかった。わたしは、ロンボク島の浜辺に人びとが集まり、豊饒の神からの兆しとされるニャレ(ゴカイ)を集める姿を見たとき、渚に立って大洋のむこうから漂着するカミの力を待つ心根こそが、マクロネシアの住人に共通する他界観ではないかと思った。

 渚に立つとき、ひとは人格神として具象化する以前の「カミ」の存在を感じる。原始古代の人びとにとって、天と地と海のあいだで、生命が「独りでに生成すること」がカミなのであった。それはおのずと立ちあがる諸力であり、循環するシステムの総体のことだ。だからこそ、サンゴ礁の干瀬を前にして、海のむこうに想像される他界の存在は、遠い祖先がやってきた妣[はは]なる大洋のイメージと結びつく。少なくとも、そのようなスケールの大きい世界像をわたしたちは吉本隆明から受けとった。これからはマクロネシアのさまざまな島を訪ねて、その土地の人びとに出会いながら、自分なりの「海上の道」がどんな形をとるのか筆を走らせてみたいと考えている。

註1『母型論』吉本隆明著、学習研究社、一九九五年、六頁
註2『母型論』二〇二頁

初出:『吉本隆明全集』月報、晶文社刊行

【執筆者】
ナビゲーター  kaneko
サハリン、小笠原、奄美、沖縄などヤポネシアの島々へ旅をくり返すうちにフォークロアに関心がでる。台湾、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、マーレシア、ミクロネシア、インドへの旅を経て、現在はフィリピン、インドネシアに夢中。

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