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優しい練習

「自分は優しくないよ」。
この前、友達がそう話していた。

「優しくしたいと思う相手には優しくできるけど
そうでない相手には優しくするのが難しい。
すぐ良くないところが目に付くし、損得勘定が働く。だから自分は優しくない」。

そう続ける彼女を見ながら、
久しぶりに「優しい」を考えた。


生まれた時には平等に手にしていた「優しさ」を
手放さずに大人になれた、という人がいたら
それはすごく、すばらしいことだと思う。

わたしはそういう人を
とても尊敬しているし、感謝しているし、
たぶん死ぬまで敵わない、と知っている。

直接的でなくとも、
一見全く自分と関係のないように思えても
巡り巡って、大袈裟ではなく、そういう人に
今まで生かされてきたんだろうなぁ、と思ったりもする。


だけど、もともと「自分は優しくない」と
思っている人が優しくしようと努力することは
同じくらい、もしくはそれ以上にすごいことだ、とも思っている。

それは、単純に、難しいことをやっているから。

出来ないこと、難しいことをやるには「意志の強さ」がいる。


賢い先生から学ばないといけないし、
何度も練習をしないといけないし、嫌になるほど時間がかかる。

それでも、「やると決めてやっている人」は、やっぱりすごいと思う。


自分はそれを、偽善や偽りの優しさだとは思わない。
そんなことを誰かに言っている暇があれば
上手になるように、練習している人の方がよっぽど魅力的に見える。

だから今、あなたが優しくなくても、わたしは一緒にいたいのだ。



最後に、わたしが昔出会った「先生」を紹介します。
よければ会ってみてください。

「やさしさ」はどこから生まれるのか。

考えていた自分に届いた本。どうかたくさんの人に届きますように。


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