NLPとの出会い 私が初めてNLPの存在を知ったのは 今から約7年前、本屋さんで偶然手に取った本、 山崎啓支先生の著書「コーチングハンドブック」がきっかけでした。 当時、特に積極的にコーチングに関する本を 探していたわけはなかったのですが なんとなく、その時していた仕事に 活かせそうだなと思い自然と購入に至った気がします。 そして購入した本を持って近くのカフェへ行き 400ページほどあるその本を、その日中に読み終えました。 そこからのことはうろ覚えなのですが カフェ
前回の記事では 本当の意味での「傾聴」について、 そしてその傾聴、つまり人の話(自分を含む)を 聴くことが多くの人にとって 簡単ではない理由について書きました。 その理由の一つに 自身の持つ価値観や思い込みの影響が あると書きましたが 今回は、その「価値観や思い込み」について 少し書いていきたい思います。 そもそも、 自分はどんな価値観を持っていて、 その価値観がどのように作られたのか、と 改めて考えたことがある人は そんなに多くないかもしれません。 私自身、無意
タイトル「その人が美しい理由、傾聴」 先日のインスタライブでお話しした、このテーマ。 15分くらいの短い動画ですので もしよろしければご覧いただけるとうれしいです🌸 https://www.instagram.com/maboroshi_color そのインスタライブでは 久しぶりに会った友人が何だかきれいになっていて、その理由を自分なりに考え、話しています。 その理由は、詰まるところ「傾聴」によるものだと 理解をしたのですが、 こちらのnoteには傾聴についてもう
昔、実家でハスキー犬を飼っていた。 わたしが幼稚園に通い始めたくらいの頃に 父親が急に連れて帰ってきた。 家に来た時はまだ子犬で とても小さかったけれど わたしも同じく子供で小さかったからか 初めて会った時は、少し怖かった。 母親は、「かわいいかわいい」と言って 子犬の頃は四六時中抱っこしていた。 けれどわたしはその子犬を見て、 かわいいというよりも なんか、たぶん、「ちっちゃいオオカミ、、、」 みたいなことを思っていて、、、 ハスキー犬だから、子犬でも 顔つきが凛
10代の頃、中島らもの 「愛をひっかけるための釘」という本を 気に入って読んでいた。 1992年に発刊されたエッセイ集で 当時、その本を友達にもらったのか 自分が友達にあげたのかわからないけれど その本の中の一節が好きで 繰り返し読んでいた記憶がある。 そういえば、自分だけかもしれないけれど この本みたいな「思い出の品」を 自分が「あげた」のか、相手から「もらった」のか わからなくなることが、たまにある。 この前も、誕生日プレゼントに 自分が数年前に友達からもらった、と
「相手の為にも、指摘してあげたほうがいい」。 過去に何度か言われた記憶が、 ぼんやりとあるその言葉について最近よく考える。 何度か言われた、と書いたけれど、 何度か言ったこともあっただろうし もしかすると何度かではなく、何度も言ってきたかもしれない。 「かもしれない」と書きながら はっきりと、過去に自分が言った記憶を思い出した。 自分以外の人の、 仕事の仕方について、 人に対しての接し方について、 食生活について、健康管理について。。。 「こうしたほうが、あなたの為
「友達」について書きたくなって、 タイトルを書いてみたら 友達の「達」って複数形なんだなぁ、と気がついた。 今まで「友達」って言葉を何度も使ってきたはずなのに全然気が付かなかった。 子供の頃は、友達って言うからには、 お互いが、そう認識している必要がある、と漠然と思っていた。 「私達は友達です」って お互いが感じている必要があるって。 学校や家庭で、先生や親からそんなふうに 習った記憶はないけれど 何となくそういうものだと思っていた。 実際に友達の意味を辞書を調べた
皮膚科に行った。 乾燥からか急に肌の一部が痒くなって いろいろ市販のクリームを試したものの それが逆効果だったのか、 朝起きると、今までに見たことがない肌の色と 肌触りになってしまっていた。 そうなると、なんとなく元気もなくなって 初めての症状で、治らなかったらどうしよう、と 不安にもなってきて、、、どうにもこうにも困って、 家から徒歩2分の皮膚科に行くことにした。 ビルの3階にあるその皮膚科の看板は 毎日目に入っていたものの どんな病院なのか全く知らなかった。 念
20代の頃「言いそびれた、、」と 思うことが、よくあった。 あの時あの人に、こう言ってもらって うれしかったのに何も言えなかった、とか あの時あの人に、あれをしてもらって助かったのに きちんとお礼が言えなかった、とか。 その時その瞬間、「言うべきこと」が 言えないことが、確かにあった。 どうして言えなかったのか、 今振り返って考えてみると いろいろな理由は思いつくけれど やっぱり一番は、 素直さが足りていなかった、に尽きると思う。 当時は、「素直でいることの必要性
あと少しで今年が終わる。 今年も本にお世話になった。 どうでもいい話を聞いてくれて どうしようもない話も聞いてくれて、 誰にも言えない話もしたし 誰かに言いたい話もした。 本のおかげで、やっぱり幸せな一年だった。 毎年思う。 いつか、本みたいになりたい。 本みたいに、やさしくなって 本みたいに、愛をばらまいて生きていきたい。 _________________________________________ 今年のlast bookは 大掃除中に立ち話をしたこの
昨日、ふと、「初心へ帰ろう」と思い立った。 そう決めたものの、そもそも 初心へ帰るのって、どうすればいいんだっけ、、、 となってきて、初心の意味を調べてみた。 「物事を始めようとした時の気持ちを思い出し、 その気持ちをもって物事に取り組むこと。」 意味を知って、改めて 大切なことだと思うと同時に、 きっと簡単なことではないから 今までたくさんの人がこの言葉を使って、 みんなが知っている言葉になったのだろうなぁと思った。 たぶん、初心に帰ろう、と考える人の多くは 「何か
特技は?と聞かれても 特に、これといったものが、ずっとなかった。 もしかしたら、自信を持って 「わたしの特技は〇〇です」と言える人は 多くないのかもしれないけれど。 今までスポーツもほとんどしてこなかったし 本を読んだり、音楽を聞いたりと 好きなことや継続的にしていることはあるけれど、 ただ好きなだけで、特技か?と聞かれると ちょっとよくわからない。 自分は今まで大学生がするような きちんとした「就活」というものを ほとんどしたことがないけれど そういう機会があった人
お茶をしたり、食事をしたりと 自分が定期的に会う人は 自分より年上の方が多い。 意識してそうしているわけでは 全くなかったけれど 気がついたら、いつからかそうなっていた。 普段、特に年齢を気にして人と付き合うことはないけれど、 やっぱり自分より長く生きている「先輩」の 話を聞くのはたのしいし、 自分の気持ちの状態として、 一回り二回り年上の方と接していても 昔からあまり「気を遣う」がない。 良いのか悪いのか、わからないけれど。。 先日は、66歳の先輩とお茶をした。
「お客様の立場になって」。 以前、接客業に携わっていたころ、 自分にも、人にも、幾度となく言ってきた。 相手の気持ちに寄り添う。 相手の気持ちに共感する。 当たり前のように、 「そういう言葉」を使ってきたし、そのことが間違っていた、とも良くなかった、とも思わない。 けれど、それは「無理なことだ」と 理解できるようになった。 やっぱり、どう頑張っても その人と「同じこと」を経験したことがない限り その人の気持ちはわからない。 サラリーマンの気持ちは、 サラリーマンに
伝えたいことを、伝えたい まぼろし文具店は あなたの想いを伝えるお手伝いをします 店主より 言葉にしないと伝わらないし 言葉にすれば、言葉以上のものが伝わらない。 人間は、言葉という とてもやっかいで、とてもすばらしい宝物を 与えてもらったのかもしれないなぁと ずっと思ってきました。 わたしはそんな言葉と過ごす中で、いつからか 「言葉にならない想いを、言葉にしようとする」 その行為そのものに、とても価値があるのではないかと思うようになりました。 どこまでも、ひた
赤ちゃんが笑っているのを見ると、 かわいいなぁ、と思う。 わたしは赤ちゃんを産み育てたことがないから ママたちの大変さはわからない。 以前、仲の良い友人が赤ちゃんを育てていた頃、 「今日眠れなかったら、自分じゃなくなるかも」と 話していたのを聞いたことがあるし、別の友人は 「生んで数ヶ月の記憶があんまりない」と言っていた。 きっと、どう考えても、絶対、 「かわいいだけ」じゃないのだろうとは 思うけれど、でもやっぱり赤ちゃんが笑うと、 どうしてそんなにかわいいの!と聞いて