命の重み、命ある生き物

2/22、『にゃんにゃんにゃん』で猫の日と呼ばれる先週土曜日。我が家に、1匹のメスの猫ちゃんを迎え入れた。色んなことが手探り状態の中、【大切な命】を育てる生活が始まった。当たり前だけど、既に分からないことだらけの私達夫婦。その都度調べては、『あーかな、こーかな?』と近づいてみたり、離れてみたり。子猫ではないので、これまでの『猫ちゃんの生活があった』訳だ。見慣れない『初めての人間』と『初めての環境』に、間違いなく【戸惑っている】し【警戒している印象】を受けた。少しずつでも、『慣れてもらえる』ように、『環境を気に入ってもらえる』ように。私達夫婦共に、今週末は特に、猫ちゃんに関わり続ける休日を過ごした。

名前は【ニコ】ちゃん。ニコちゃんが我が家に来てから丸3日になる今日。初日よりも確実に距離を縮めている手応えを感じている。なかなか、懐いてもらえるまでに時間を要することは、私達も理解している。そんな中、私達が向けるおもちゃに興味を示して戯れたり、なでなでするのを受け入れてくれたり。1日目、私達との距離を取り続けて、警戒心剥き出しにしていた時よりも、遥かに『心の距離が近づいた』気がして、嬉しい気持ちである。

それと同時に、私の場合は特に、ニコちゃんとの関わりを通して、【自分に重ねた思考回路】が慌ただしくなっている。言うまでもなく、ここからは私の問題。この3日間で『私が何を思ったのか』をまとめてみたい。

初日。私達夫婦が迎え入れた直後の車の中の話。私は、自分の膝の上で、ニコちゃんが入っているカゴを抱えながら、様子を見ていた。一見大人しく過ごしていたニコちゃんだけれど、【恐怖・警戒心】みたいな表情が伝わってきた。『鳴き声をあげていた』のも、振り返るとその時だけ。【まだ受け入れられない現実】に『悲鳴を上げている』ように感じた。
この時、私は思ったことがある。いくら【受け入れる側】が『愛情持って』とか『責任持って』とか【気持ちを持って接したところ】で、【所詮第一印象にしか過ぎない】ってこと。
【これからの関わり方次第】で、お互いの関係性は【どうとでも変化させられる】ってこと。
だからこそ、最初だけではなく、『今後どのようにして深く関わり合っていこうか』と【思い続ける行動や言動】の方が重要なんだってこと。
改めて心から納得する。

私は、過去10数年間。【自分の人となり】と言うよりは、自分が属する【固定概念の環境】を『良く思って貰うために、信じて貰うため』に、【第一印象ばかり】を気にしていた。【固定概念の一員として】ってのが、常に大前提。【同じものを追い求める、家族・親戚の中の一員】である認識が、とにかく強かった。だから、『好印象を持って貰える人』ばかりを求め続けては、『そうでない人間関係は希薄』だった。また、【同じものを追い求める人達】の中でも、深く知れば知る程に対立したり、すれ違いばかり。【お互いを理解し合うような環境】には『程遠かった』ことを振り返った。

でも、当時の私に欠けていた重要な要素を下記に綴ってみる。

【立場】としての関わり方ばかりを【優先】して、
それぞれに、【人と人】【意思のある者たち】【命ある生き物】としての『関わり方を、してこなかった』ってこと。

【私だけではない】人間や、【命ある生き物達】が沢山存在する生命体の中で、ずっと、【私の知っている価値観】・【私の周りが一緒になって求め続ける価値観ばかり】を最重要視していた。だから、『関わる人達の価値観と向き合うこと』や、その【必要性】さえも、『もはや感じていなかった』のかもしれない。

今回、ニコちゃんが『成猫になる』まで『どのような環境』で過ごして来たのか。旦那と2人で想像を膨らませる。膨らませたところで『明確な答えなど分からない』のだから、どれだけこちら側が『想像力豊かに考えるのか』って話。分からないからこそ、『あーかな、こーかな?』と次から次へと『思い当たることを試しながら近づいていく』訳だ。それが、【飼い主】と【ペット】とはいえ【命ある、意思のある生き物同士】の関わり方なのかなっていう。今更ながら、30歳目前の私の気づきな訳で。

また、【親】と【子】に置き換えても同じことだと、やっぱり思う。結局は【親】と【子】っていう【立場を重視】してしまうと【命ある、意思のある生き物同士】には『なかなかなれない・難しい』気がしている。プラス、【人間】の場合は『年齢や成長』と共に【責任】だってある。その【責任を果たすだけの1人の人間】として育てるのが【親】っていう存在なだけ。別に、【1人の人間同士】として関わることで、『十分に素敵な親子関係だ』と私は思う。その中で【自分で自分の命や意思を大切にする】こと。且つ、【1人の人間としての責任を持って生きていく】こと。
個人的な話、私は、身を持って実感している。【親】と【子】の【立場的な関係】に『こだわり過ぎる』と、『関係修復さえ本当に難しくなる』ことを。
実際、【親】には【親】ならではの苦悩があるのかもしれない。私も今、【飼い主】としてニコちゃんとの関わりながら、『これが子供(人間)だったなら』と、より現実的に考えるようになった。ただでさえ【不安症、心配症】な私。ニコちゃん相手に『既に萎える瞬間』はあった。『旦那の関わり方と比べては、自分は下手くそだ』とか、『せっかく買ってきたものが合わないだけで自分を責めたり』だとか。自分でも、『こんな私では、この先、ずっともっと大変で、一生凹み続けるわ!』って気持ちにもなる。
旦那にも話してみたけれど『気にし過ぎだよ。心配したってどうしようもない。それくらい大したことない。ちゃんと気持ち持って関わってたら大丈夫。何かが少しくらい違くても心配ない。なんとかなるし、なんとかするんや!2人で。1人じゃない。』みたいなニュアンスのことを話していた。『そうよね。私だけ不安がっていても、どうしようもないよね。不安がる前に自分がやること精一杯やるしかないんだから。もっと強い気持ちで進み続けるしかないんだからね!』っと、【自分を鼓舞する気持ち】が湧いてきた。

前回とも重なる【お金が減る】【自分の時間も減る】【自分の体力も減る】みたいな【自分よがり】な気持ち。加えて【夫婦時間も減る・寂しい】みたいなことを、私は思ってしまった。旦那に伝えたけれども「m__lovemiだってニコちゃんの相手するんだよ。」っと一言目に言われた。『間違いない』と納得しつつ、『自覚の低さ』みたいなものも実感した。それに『今は、ニコちゃんが慣れない状態だから大変なだけで、慣れてきたら、もう少し楽に関われるようになる。』と続けて言った。この発言についても『間違いなく納得する話』な訳で。『自分の思考の浅さ』と言うか、『視野の狭さ』と言うか。そんなことを痛感させられる。『いつもそうなんだよな〜』と思いつつ、そのお陰で私は、『その都度自分の価値観として取り入れる』訳で。

きっと、【子供】が生まれたって同じだろうなって、やっぱり思う。産まれる前、妊娠中だってそう。結局は、どんな時でも、どんな状態でも、『全く同じ状況が続く訳ないんだから!』って感じ。何故ならば、【絶対的に状況は変わる】から。何かしら『改善するために行動を起こして』自ら学ぶ。だからこそ『成長するし、状況を変える』訳だ。また、必然的に変わることだってある訳だから。【命ある生き物】なんて特に、『生きている』のだから変わり続ける。【成長し続ける】から変わる。そんなことも、今更改めて思い直すきっかけとなった。

更には、『やっぱり【自分以外】の言動・行動に過敏になる』ことを再認識した。もちろん理由も分かっている。『自分が自分の精一杯に満足出来ない』んだよね。旦那の関わり方を見ては、『私とは違うやり方=私もやらなきゃ!』みたいな。何かが根本的に違うんだよね。
【私は私のやり方】【旦那は旦那のやり方】でいいじゃない?って話。『旦那が出来てて私が出来てない訳じゃない』し、『私は私のやり方でやってるんだよ』って話。そう思えば別に『旦那のやり方を気にする必要もない』訳で。むしろ『あ、そのやり方もあるのね!確かに!私もやってみよう』ってなるだけの話。何の問題も無い話。自分が【気にし過ぎなだけ】ってこと。

逆に、旦那は『私に対して何とも思わない』し、『思ったことはすぐ言う』し。完全に私の問題。旦那は旦那なりに考えたり調べたりして、『納得してる』んだよね。だから、【私と違うやり方】でも大して何も思わないし、自分と違うことは『俺はこう思うからこうしたらいいんじゃないの?』みたいになるのよね。
それに対して私も『私はこう思ったからこうしたの』って『言えるようになりたい』ってことなのかも。そうしたら【自分が萎える理由】も無くなる。何故なら【自分の主張がある】から。『自信が無くても間違ってて』も、そこから『学べば良いだけ』の話。『旦那からネガティブなこと思われてるかも』って心配になる訳じゃ無くて、『m__lovemiはm__lovemiなりにやってるんだな』って印象を与えてるだけ。もっと言えば、『私は私のやり方で、やりたいようにやってるだけ』ってな感覚。
そこまで思えたら、あとはこっちのものよね。『自分を持ってる』からこそ、【自分以外の人】に対しては、『どうとでも思ってください、言ってください、私は構いませんよ』みたいなね。相手に対しても別に『きっと、私の事なんて何とも思っとらせんわ』とか、逆に『いちいち私の事干渉して心狭いのかな?』くらいに思ったり。自分も相手も【人は鏡】だからね。それくらい【強い気持ち】で、簡単にめげないで。自分の意思を大事に、【限りある命】を『自分らしく大切に生きよう』って改めて思ったよ。ってな話。



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