九條です。
今回の講読も少し長い(本文約8,500文字/現代語訳のみで約2,600文字)です。すみません。^^;
長いですから、お時間がお有りの時にでもご覧になってくだされば有り難いです(現代語訳だけをご覧いただいても良いかと思います)。
さて、我が国の歴史上において、最初で最後の「宗教戦争」といえる争いが丁未の乱です。この乱は飛鳥時代、いまから1430年ほど前の用明天皇二年(587年)に起こりました。
我が国に仏教が伝来したのが宣化天皇三年(538年)もしくは欽明天皇十三年(552年)とされていますから[01]、丁未の乱は仏教公伝後35〜50年後に勃発した内乱となります。
『日本書紀』などでは(当時の最先端の大陸・朝鮮半島の文化を吸収したいとして)仏教導入に積極的であった大臣・蘇我氏および厩戸皇子を中心とした上宮王家(いわゆる崇仏派)と、我が国古来の伝統にもとづいた神道を重んじ、仏教を遠ざけようとした大連・物部氏一族(いわゆる排仏派)との争いのような体裁をもって書かれていますが、その実態は(宗教的・文化的理念の衝突というよりも)それまでの政治的な衝突、苛烈な権力闘争の末での戦であったと考えられます。
この「丁未の乱」と「乙巳の変」そして「壬申の乱」は、我が国の古代史上特筆すべき三大事件ですね。
とくに今回講読する丁未の乱については『日本書紀』作者の筆が乗っていて非常に勢いのある文体となっています。『日本書紀』の中でも非常に面白くて大きく盛り上がっているシーンです。よろしければ味わってみてください。
今回の「読み下し」は、いつもにも増して丁寧に「ふりがな」をつけてみました。このあたりは約35年前に私が卒業論文を書いたという、想い出深く私が好きなテーマなので。^_^
では、早速…。
【註】
[01]このとき伝わった仏教の内容は(南都六宗のうちの)三論宗の断片だったと考えられる。三論宗の法灯は日本では現存しない。現存する日本最古の宗派は(南都六宗のうちの)法相宗
[02]国史大系版『日本書紀』(前編)吉川弘文館 1973年
[03]「人(ひと)」という人名
[04]名前の文字が欠けている
[05]現在の大阪府藤井寺市・同八尾市・同和泉市辺りにまたがる地域
[06]現在の大阪府八尾市渋川町あたりか?
[07]古代において急襲に遭ったときに藁や草木や石などで急いで造った急ごしらえの砦
[08]染色に用いる木。現在も大阪府東大阪市に「衣摺」の地名が残っている
[09]「護世四王」四天王の古称・別称
[10]「摂津国四天王寺」現在の大阪市天王寺区の四天王寺
[11]「飛鳥法興寺」現在の奈良県明日香村の飛鳥寺
※1999年に行なった市民講座向けの講義ノートから抜粋・編集しました。
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