私たちは不完全さを補うために、理想を求める
◼️自己紹介
始めまして。東京神楽坂でヨガ・瞑想講師として活動しているMinamiです。
大学生のとき父が鬱病に患いました。私自身は父の性格に似ていて、経済合理性重視の人生でした。そんな中、大学4年のときヨガに出会い、理性ではなく身体性が重要だと気づきました。社会人になりアクセンチュアというコンサル会社を経て、2020年にヨガ講師として活動を始めました。
現在ではゲシュタルト療法という心理療法も学んでます。オンラインレッスン参加者予約受付しております。
クライアントのルアさんと初めて会った時のことを覚えています。
彼女は20代前半でしたが、振る舞いは非常に大人びていました。でも、その表情からはやつれているような深い疲れを感じ取れました。
彼女は幼少期からダンスを習っており、ヨガのポーズも難なくこなしていました。優等生特有の、真面目さがありました。
与えられたポーズの完成形に自分をはめていくような器用さでした。
レッスン後、彼女と話すことが増えて、次第に、個人的な話を打ち明けてくれるようになりました。
彼女は家庭のある男性と交際していました。
誰でもないヨガ講師だからこそ何でも話せると思ったのかもしれません。
彼女はこう言うのです
「彼は私の理想とは違うし、彼とは結婚したいと思わない。今が楽しければいいのです。」
彼女が描く理想の家庭は絵に描いたような美しさがありました。「旦那が不倫することは絶対に許せない」と笑みを浮かべながら話してくれました。
彼女は、自分のうちにある矛盾に気づいていません。
と言うより、目を向けたくないように感じました。
高い理想を抱くことで、現実を受け入れないようにしているのです。
その現実とは、自分が不完全であるという事実、自分は価値のない人間なのかもしれないという恐怖。そして愛に餓えているということ。
相手が「既婚者」という「違反」を受け入れるふりをすることで、自分を守っているのです。それは、既婚者である負い目を利用して、自分を大切にしてもらおうとするのです。
仮に、相手の愛を感じられなくても「既婚者だから」という理由で、相手から離れることもできるのです。
「幻想の危険性は、絶望的な状況を永続させることにある。人々は現実離れした目標を作り上げると、絶望感の続く状態にありながらもその目標の実現を試み続ける。幻想あるいは非現実的な目標の1つの例は、完全な妻、完全な母親、完全な友人になろうとすることである。批判傾向の強い人は完全と思われたい欲求を暗に示している。他者をあるがままに受け入れることができないということは、自分自身を受け入れられないということを反映している。完全主義はおそらくあらゆる幻想に最も共通するものであり、そして決まって人間関係を阻害する最たるものの1つである。」
(医学博士アレクサンダーローエン『引き裂かれた心と身体』より引用)
彼女は幼い頃両親が離婚して、母親に育てられました。
心の中で愛情不足を感じているのかもしれません。
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