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【助けて】息苦しい世の中に生きていて、人知れず「傷」を抱えていることを誰か知ってほしいのです:『包帯クラブ』(天童荒太)

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「見えない」せいで、そこにちゃんとある「傷」や「痛み」はなかったことになってしまう

「見える傷」と「見えない傷」

私はこれまで、「メンタルが安定しているわけではない人」「メンタルが強いわけではない人」に多く出会ってきました。今でこそ落ち着きましたが、私自身も20代ぐらいまではずっと不安定で、個人的にはなかなか大変でした。そして私のそんな雰囲気が伝わるのでしょう、恐らく「同類」だと認識してもらい、そんな話で盛り上がったりすることもあります。

私が関わってきた人たちの多くは、「表向きは明るく元気で楽しそうに生きている人」でした。みんなの輪の中心にいたり、いつもニコニコ楽しそうにしていたり、テンション高めに振る舞う人です。そういう人たちが、少し鎧を脱いでくれるようになると、「ホントはこういう明るい性格じゃないんです」「テンションが高いのって疲れますよね」みたいな話になっていきます。

私は本当にそういう人をたくさん見てきたので、今では、元気そうにしている人を見ると「大丈夫かな?」と感じてしまうようになりました。

そういう人たちが抱えている「傷」は、なかなか目に見えません。もちろんそれは、本人が見せないようにしているからです。しかし「何故見せないようにしているか」まで考えてみると、「自分が『傷』を抱えていることが知られたら、相手の負担になるかもしれない」と想像できるでしょう。

私は、そういう発言をする人にたくさん出会ってきました。「自分なんかのために気を遣ってほしくない」「めんどくさい人にはなりたくない」みたいなことをよく聞きます。”適切に”その「傷」に触れてくれるならいいんだけれど、過剰に心配する人や逆に過剰に批判する人が出てくるせいで、「傷」を見せられないのです。

そうやって「傷」を隠してしまうから、その「傷」はなかったことになってしまいます。そして、ぐじゅぐじゅと治りきらないままどんどん「傷」が増えていって、結局あちこち傷だらけになってしまう、という悪循環から逃れられなくなるでしょう。

「見える傷」ならいいのか、というともちろんそんなことはありません。ただ私は、一般的な人よりは他人の「見えない傷」に反応しやすいと思っているので、できる範囲でそういう人たちと関わろうと日々思っているのです。

子どもの頃に考えていたこと

子どもの頃のことは正直あまり覚えていませんが、常にしんどかった記憶はあります。

家も学校も、客観的に見れば全然悪い環境ではなかったと思います。親からの虐待もなく、裕福ではないけれど貧乏というほどでもなく、学校でいじめられていたわけでも、友達がいなかったわけでもありません。外的な環境という意味では、全然悪くなかったと思っています。

ただそれでも結構キツかったです。それは、今振り返ってみて言語化すればいろんな要素に切り分けられますが、ただ当時の感情を正確には再現できないだろうなとも思います。例えば、やりたいことは何もなかったし、将来について考えたくなかったし、知らない環境に進むことが怖かったし、やりたくないと感じることが多かったし、自分の存在が誰かにとっての邪魔になっていないかどうかが心配でした。他にもきっといろいろグルグルしていたと思います。

たぶん小学生ぐらいの頃から、「このまま行ったら人生どこかで破綻するだろうなぁ」ということは、ぼんやり考えていたはずです。小学生の頃に家出未遂をしたことがあるし(結局「家出未遂をした」ということさえ誰にも知られないまま終わった)、大学時代には飛び降り自殺を試みようともしました。

それでも私は、「自分が抱えている苦しさ」みたいなものを、誰かに話すことがなかなか出来ませんでした。

大人になった今は、「自分が抱えている苦しさ」を表に出すことにあまり抵抗がなくなりました。その理由は恐らく、「捨てるものがなくなったこと」と「言葉を得たこと」だと思っています。

学生時代は、好きだったこともあって勉強が結構出来たので、なんとなく勝手に「親からの期待」みたいなものを感じていました。直接的に何か言われたりすることはたぶんなかったはずですが、長男だったこともあり、「成績が良い人間の正解ルートを辿らないといけないんだろうなぁ」と考えていました。

正確な記憶ではありませんが、いつだかの卒業文集みたいなものの中に、「クラスメートが将来何になっているか」というようなコーナーがあり、私は「総理大臣」と書かれていた記憶があります。クラスメートから見ても、優等生然りという感じだったのでしょう。そしてそんな雰囲気からも「正解のルートを辿るんだろうという期待」を勝手に感じていました。

そしてそれは、「ちゃんとしている人としての振る舞いから外れにくい」ということでもあります。苦しさを表に出すことは、自分のダメな部分をさらけ出すことでしかなく、子どもの頃は出来なかったのでしょう。

一方、大人になって猛烈に文章を書くようになったことで、「自分が今何を考え、どう感じているのか」を、それまでとは比べ物にならない解像度で認識出来るようになりました。そしてそのお陰で、「自分が何に対してどう辛さを感じているのか」を他人に割と正確に伝えることが出来るようになったのです。

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