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昔に経験したことのある仕事の話…相変わらず不器用だが、自分なりに奮闘した話①

私は現在“スチャラカ専業主婦”である。手抜きはしょっちゅうだし、大したことはできない。世の奥様方の“専業主婦”には足元にも及ばないことは、重々承知している。

だがそんな私でも、一応働いていた経験がある。そんなお話ができればと思う。

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私は最初に勤めた会社では、人事関係の仕事に興味を持っていた。希望は持っていたが、新入職員なので聞かれた記憶はない。

だが、偶然希望通りの部署に配属された。単純に嬉しかった。おそらく、私の学校で学んだ資格や経歴から、そういう流れになったのではないかと推測している。

不器用でなかなか仕事を覚えられず、時間がかかり遅くなることが多かった。「残業は美学」とは思っていなかったが、結果的に遅くなってしまう。

そこへある先輩から、「こうするともっと早く仕事ができるようになるよ。」ということを教えてもらえた。当時手書き、手計算が主流で、「電卓で計算して書く」が普通の時代だったので、ワープロの表計算を使って、「数字を入力するだけで計算して印刷する」ということは私にとって画期的だと思った。実際周りの人もそうやってる人は少数派だった。

今ならパソコンが普及し、エクセル等で行う当たり前のことが、当時はパソコンが普及する手前で当たり前ではなかったので、教えてもらえたことは大変有り難かった。

そこから私は残業してでも、表計算にできるものは全て変えていった。万が一に備え、従来の手計算もやりながらなので、通常の倍、時間がかかったが、軌道に乗るとすごく楽になった。

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また、上司達から仕事中に教わったことも多々ある。

「らびちゃん、アンタ目の前の仕事のことしか考えてないから、そうなるんやで。自分が会社の中でどこの歯車を担っているのか、それを意識しながら仕事せなアカンで。」

「営業所のモンは大変なんや。それを本店から上から目線で言われるのは、ごっつい腹が立つんや。だから『〇〇しなさい』とかいうのではなく、『ご協力お願いします』という風な伝え方せんと、皆やってくれへんで。」

等、それぞれに教わった。その時、私の心に響くものがあり、とても考えさせられたし、後々の仕事でも大変役に立ったので、その上司達や言葉に感謝している。

当時は若かったので尚のこと、怒られたり言われたりすることを嫌がっていたが、今こうして振り返っても、“言われるうちが花”というのがよく分かる。

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たくさんの失敗や怒られたり、教えてもらったりしながら、私は異動を経験した。

新しい仕事に慣れるのにいちいち時間がかかるので、その度に苦戦した。その間「それしかその仕事やってない」と言われたこともあるし、「何で、そんなことせなアカンねん!」と思うような意味の分からない、“理不尽な仕事”を言われたりして、心が折れそうになったことは何度もあった。

しかし、私のやり方は一見ムダが多く、批判もされたが、私なりに意味があってそうしていた部分もあり、今は理解されなくてもいいから、皆のためにもこうすると決めた方法を僭越ながら貫いた。(その当時の同じ部署の方には申し訳なかったが)

その数年後、私が更に異動してから後々に引き継いだ人が未だに私がメモをいっぱい書いたマニュアル本を大事に持ってらした。

「え?それまだ残ってたんですか?」

「あ、これ、らびっとさんが書いたものなの?これ、助かってるのよ。マニュアルにも書いてないことが書かれてて、ここを見たら、何とか営業所からの電話に答えられるから。よくぞ書いてくれて有り難い。」と言われた。

私の信念というか気持ちが伝わる時が来て、良かった…。私は彼女と話しながら、その古いマニュアルを見て、感謝を言ってくれたその方にこちらも救われた思いをし、改めてこの場を借りて、お礼を申し上げたい。

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私はある時、会社でしか通用しない資格に一発合格し、その関連部署に異動した。

その資格は今すぐ役立てるというよりは、定年まで働くつもりでいた私にとっては「若いうちに資格や勉強をして、おばちゃんになった頃に役立てば良い」ぐらいにしか考えてなくて、興味があったのもあり、受けたものだった。

実際、その試験は難しくて、数年がかりで合格する人も多く、私も受験した時は「もうアカン!!」と思っていたので、私自身は勿論、周囲も驚いていた。

異動する日、送り出してくれた部署の長に「その資格を活かすために配属したのだから、頑張りなさい。」という趣旨のことを言われて、嬉しかったことを今でも覚えている。

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しかし、いざ行ってみれば、定年前のオジサマばかりの部署で、後の直接の上司となる一人だけ必死に仕事をしていて、後はダベったり、ぼーっとしていたりで、散々たる状態だった。

それ故、私をその道で育てようなんて気はサラサラなく、「らびっとさんはお茶くみとコピーをしていれば良い!」と実際言われたし、会議にも研修にも混ぜてもらえなかった。仕事も時期的なものもあったが殆どなく、今まで忙しくて大変だったのがウソのようなところだった。

最初は明るいうちに帰られる時があって、とても嬉しかったし、いい骨休みと思っていたが、暇すぎるというのも困ったもので、ましてや他の部署と同じ部屋にいるので、それが目立つ。

でも以前から「なんやねん、あの部署!」と思われている所に、忙し過ぎて私宛の電話のメモが机の上に展覧会のように貼られまくった部署で働いていた私が行ったので、皆もどうするのか、興味津々だったようで、色々聞かれたりもした。

実際、クセのある上司の下で働いていた後輩が、「僕もキツイですけど、らびっとさんの部署よりマシと思っています。」と言われた時には「そこまで来たか…!」と私もビックリの状態であった。

「これはちょっとずつでも動いていかないと、とんでもないことになる!!」と色々実害も出だした所で、私なりに訴えて、ほんの少しずつだが、変わりだした。

隣の部署の人も、私が悪戦苦闘しているのを見続けてくれていたので、私があることで困っている時に、一緒に専務の所に訴えに行ってくれた。本当に有り難い。今でもそう思う。あの人がいなかったら、どうなってただろう?と思うとゾッとする。

でもトップが古い考えの人なので、Z上司は気持ちは分かってくれてると思うのだが、なかなか前に進まない。

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そんな中、他のオジサマがしない仕事を当時一番年下のグループ長のZ上司が抱え込まざるを得なくなり、悪戦苦闘しているのを見て、何かお役に立てたらと思った。

Z上司に「何か手伝いましょうか?」と言って、「ホンマか?そりゃ助かるわ!じゃあ、これ頼めるか?」「分かりました。」といったやり取りをして、手伝った。

その一つに、あるデータを作るにあたり、皆に色々慣れない文字入力させるのは時間もかかり難しいということで、「数字を入れただけで、文字入力せずともできる方法を考えてみる」とZ上司に提案し、エクセルに詳しい後輩に難しい所は教えてもらいながら、お粗末なものではあるが、そのデータ入力を作り上げて、大声でそれこそ「パソコン教室」状態で教えた。

なかなか上手くいかなかったり、違う上司の横槍が入り、軌道に乗せるのに苦労はしたが、何とか仕上がった。その様子を見て、ホッとした。

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そんなある日、査定等に関わる目標面接で、私はその後直属の上司になったZ上司に、

「らびっとさんの目標は、ここにいるみんながパソコンを一定程度使えるようになるように教えること。」と言われた。

私にはその言葉が信じられなかった。資格を取って、それを活かすところまでいかなかったとしても、せめて勉強させてもらえると思っていたのに、期待されていることは全く違うベクトルのものだった。ちなみに困っている人を助けるのには大賛成だが、私はパソコン教室の講師ではない。

Z上司にも訴えたが、むしろ怒られてしまった。

私はその後泣いた。なんであの試験、受けてしまったんだろう?なんで合格しちゃったんだろう?

私は、もう諦めて有給休暇を今まで結構ムダにしてきたので、どうせ仕事がないなら、徹底的に休んでやる!と思い、ひたすら有給休暇を取りまくった。

それと同時に、雇用保険の教育訓練給付制度を利用し、当時は対象だった興味ある勉強をしに、ある学校へ通い始めた。そこで意外と自分がある事に向いていることを知る、きっかけの一つとなるのである。

何でもやってみることは大事だと、その時思った。

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その後も、オジサマ同士でパソコンができる人とできない人の間で色々あった。

この続きはまた次回…。

▽その続きの話はこちら

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