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暗闇の中にいた日々は

思い出したくはない。思い出したくはないが、忘れたくないので、ここに最初で最後、書き留めておきたい。

とは言ってもあの時のことはそこまで鮮明に覚えていない。高校生の頃は特にその時の気持ちを書き留めていなかったからだ。高校時代は目の前のことで必死だった。ずっと部活のこととか勉強のことを考えていたみたい。
結局この部活やら勉強やらが原因で私は少しずつ壊れていった。

高校時代、今でも覚えているのは。。。。。
朝起きた時に一番に思うことが「あぁ、死にたい」だったこと。
高校時代の口癖は間違いなく「死にたい」だ。
美味しいはずのお母さんの料理が美味しくなかったこと。なぜか味がしない。
1日に20回以上ため息を吐いていたこと。学校でトイレに行くまでの廊下と座った瞬間までで5回くらい吐いて、誰とも目を合わせずにずっと下を向いていた。
授業中も頭の中は「死にたい」の4文字で埋め尽くされて、何回も涙をこらえていた。プリントに死ねって何個も書いた。
授業中に部活のことを考えると吐き気がして息がしずらかった。
笑ってなかった。家でも学校でも。笑ってたけれどそれが本当なのかわからなかった。
生きること=辛いこと、耐えることだと思っていた。
常に負の感情を抱えていたから、たまに何も感じなかった日に感動していたこともあった。(笑)
死ね なんて言葉、中学生まであまり縁がなかったけれど、憎しみと自分への嫌悪で日常的に口に出していた自分は今思うとどこかおかしかったなあ。
でも必死すぎて精神状態とは裏腹にすごく活動的だったし、毎朝洗脳されたように5時半から朝練に行った。部活は結局やめれず続けた。

そんなこんなであれだけ必死になってた部活はコロナのおかげで目標だった最後の関東大会がなくなった。それを聞いた時呆然とした。
おもしろい。
ここで勝つことを目標にしていたから関東大会が無くなった今部活をやる意味はない、という理由で部活は引退になった。3月ごろから早めにぬるっと受験期に入った。当然エンジンはかからなかったが、ほどほどに勉強も頑張った。

勉強に手がつかなくなったのは共通テスト前1月ごろから。
勉強机に座るだけで涙が出てきた。積分の問題を見るだけで呼吸が荒くなった。解こうとしても何も頭に入らず解けなかった。塾の自習室も10分もいると気持ち悪くなってしまうので、何もせずに家に帰ることもあった。
やれることがないので家にあるNARUTOの漫画をひたすら読んだ。二周はしたな笑

試験当日、当然気持ちは乗らず帰りたい、めんどくさいしかなかった。科目の間では気持ち悪い絵を書いた。
まあ当然大学受験は大失敗だ。それもそうだ。こんな生活を続けられる訳もなく、浪人する予定はなかった。幸運なことに合格出来た大学もあったので進学を決めた。

こんな高校時代を終えた私は部活と勉強(ストレス)がなくなったにもかかわらず、知らない間におかしな人間になっていた。
毎日、明日を生きる意味を探した。自分の存在価値を探し回っていた。
でも結局誰もいなくて、誰も分かってくれないと思っていて、自分だけがおかしいと思っていて、本当の自分は誰も受け入れてくれないと思っていて、社会から隔離されている気がして、
生きにくくて
絶望した
この時あたりからもう一人の自分が生まれていた。そしてそんな自分はネットに助けられた。毎日ネットに助けを求めた。同じような人がいて涙が出てきた日もあった。

今思うと高校時代よりもその後の自分の方がおかしかったのかもしれない。自殺の仕方を探していたのも、リストカットをしてみたのも高校卒業後だ。

こんな人間になるなんて思いもしなかっただろう。昔の自分は。

周りの目が怖い。周りの目を気にして何もできない。怖い。評価されるのが怖くて新しく何かをするのが苦手、人前に出るのも死ぬほど嫌だ。とにかく人といると常に比較して勝手に落ち込む。だからずっと一人でいたかった。自分のダメなところだけ探して劣等感でいっぱいだった。
誰かの些細な一言で色々考えて考えて「死にたい」に辿り着く。

自分のことが大嫌い。自信がない。嫌いすぎて消えたかった。
性格が嫌い、顔が嫌い、存在が嫌い。
自分の顔も嫌い?気持ち悪くて朝、鏡を見た時吐き気がしたんだ。顔のせいで彼氏ができないのだと本気で思ってた(笑)

自分の意思なんてない。客観視しすぎて本当の自分がわからない。自分はとにかく他人から良い評価がもらえる自分でいた。二重人格。他人が悲しむから生きる。他人のために、、、、、。

自己犠牲。明日死んでしまう人がいるのなら、事故で亡くなってしまう人がいるのならそれは自分がいいと思った。生きたくても病気で生きられない人がいるなら自分が代わりたいと思っていた。

ネガティブ思考。定期的に病む。すぐに死にたいと思う。少しのことで落ち込んで考えて 死にたい に辿り着く。

明日が怖い。だから寝たくなかった。毎晩ネットに助けを求めた。
ひと月に一回は発作が起こって息が上がって夜に急に泣き喚いて死にたい死にたい死にたいって叫んだ。
普段は元気そうにしている印象がある私
こんな惨めな姿を誰が受け入れてくれるだろうか。引かれるのではないか。本当の自分は....
外と内の自分が乖離しているせいで自分を誰にもに見せることができなかった。

なぜかLINEの通知が少ないと病んだ。誰にも必要とされていないんだなんて思ったり。それだけのことで情緒が不安定になったり。とにかく些細なことで下まで落ちてしまう。だからLINEの通知はきった。

自分が世界の底辺にいると思い込んでた。自分なんて早く消えればいいのにって本気で思ってた。自分なんてって自己嫌悪を繰り返した。

別にその日に嫌なことがあったわけでもないのに何か空っぽな気がして何か満たされなくてどうやって生きればいいのかどうやって息をしればいいのか考えて考えて涙を流しながら眠った。

常に自分の精神状態を考えた。今楽しい。と感じていると 意識した。
いちいちほんの少しのことで幸せだって思った。寝る前に死にたいかどうかを確認した。心の中に水晶玉があった。それは自分の精神状態を表すもので、水晶玉を見るとどれだけ黒いか、汚れているかがわかるんだ。

朝起きて今日も生きた、今日の気分はこうだとかを考えた。今日は元気だとか、今週は調子がいいとか、病んでないとかいちいちいちいち。
自分は一生幸せになれないと思っていた。だから未来が怖くて、不安で押し潰されて「早く死にたい」しか言えなかった。

よく夜に散歩したくなった。交通事故にあったりしないかな、誰か殺してくれないかなって淡い期待を持って何も持たずに外へ出た。不思議なことに雨が降っていても嫌いな虫がいても普段はすっごく怖い道も何も気にならない。夕暮れどきににお墓の隣の地面で横になって寝たりした。雨が降ってきた。そのまま目を瞑った。きっと誰か助けてくれないかなって期待していたのだと思う。結局何も起こらないし変わらない自分がいるだけ。

親にこう言って泣き叫んだこともあった。私は死にたいの!自分が嫌なの!!生まれてこなければよかった、うわあああん。 ごめんよお母さん。

本当に死にたいなんてきっと思っていない。どうせ私は周りのことを考えると死ねないと分かっていた。幸運なことに友達とか家族とか私を思ってくれる人がいた。罪悪感とか、情あるくらいには正常だった。
だからただただ消えたかった。生きたくなかった。それだけ。

こんな自分が嫌で、存在しているこの世界の仕組みとか、自分はなんなのかをよく考えた。何も知らずに今日生きていること が怖くなったから、この世界の全てを知りたくなった。

こうなってからの自分は何に対しても期待をしなくなった。
何があっても希望を抱かないようにした。
生きることに冷めていた。いつでも死ねる準備をした。
それからはいつでも死ねることを糧にして生きるようになった。

そういえばなぜが病院に行く気にならなかった。
身体的に辛くはなかったから。大学のカウンセラーとかに相談してみたけれどその対応にはがっかりした。占いとかを検索してみてた。救われるようなことを言って欲しかったのだろう。

ある日、私に友達がこんなことを聞いた。
「〇〇は子供欲しい?結婚したい?」
中学生までの私は結婚して子供を産む人生が普通で、自分もいずれそうなる時が来るのだと思っていた。しかし、私は急に怖くなった。子供を産んでしまったら私は死ねない。この先もその子のために生きていかなくてはならない。そんなのは耐えられない。子供を残して死んだら罪悪感で地獄に落ちるだろう。そもそもこんな自分から人が生まれてくるのが気持ち悪いと思った。

「〇〇はおばあちゃんになったら老後は何をするの?」
考えたくもない。この先何年も生きていくなんで耐えられない。だから私のゴールは30歳にしよう。来年には遺書を書こう。と思った。

「身内の死」についても怖くなった。それは、私は大切な人が死んだ時泣けるのだろうか。という不安だ。なんでこんなことを考えるかというと、周りの誰かが死ねば私も死んでいい、「死ぬ」ことへのハードルが下がるのではないかと思ったからだ。しょうもない。
とにかく死に急いで、生きる糧を探して、ここにいる価値をこじつけて、漠然とした未来への不安と闘った。





今、私は生きている。今日まで生きてきた。
高校時代で得たものは、一度 絶望 をおぼえた分、もうあれ以上絶望はしないとは思う。という自信だ。
何か最低で最悪で立ち直れないほどの状況に陥った時、出来るだけネガティブにならないよう全ては運命だと信じている。初めから決まっていた運命だと。そう思うと楽だ。

今思うとここ7年はずっと灰色の世界を見ていた。人生は暗闇を彷徨っていた。普通には生きられなくなっていた。

が、2024年の終わり、今これを書いている自分は全く違う人間だ。7年間ずっと隣にいたもう一人の自分はいつの間にか消えていて、私は一人になっていた。7年間長い悪夢を見ていたようだ。
余計なことを考えることも少なくなった。感情を意識することも死にたいって思うことも徐々になくなった。こんな日がくるなんで思いもしなかった。幼い頃何も考えずに生きていた自分を少し思い出した。
この世界での生き方を思い出した気がした。

すごく心が軽い。怖いくらいに。
もういいのか、普通に生きて?
普通に息をして。

なぜ自分は変わったのだろう。
ずっとポジティブになろうとか考えたけど、それはできなかったし、もう諦めていた。ずっとこのまま生きていくと思っていた。
でもいつから自分は変わったのだろう。
もう一人の自分を融合した時か
あるいはダメな自分を認めた時か
時間か。
就活か。
ずっと考え続けたことだったが、はっきりとして答えは分からなかった。

でもこの7年があって今の自分がいる。きっと今の私は一番最強だ。
絶対にあの頃の自分に戻りたくないし、
思い出したくもない過去だけれど、

絶対に忘れないようにしよう。


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