きく

21歳大学生の独り言 仮面をして生きる社会適合者であり不適合者

きく

21歳大学生の独り言 仮面をして生きる社会適合者であり不適合者

最近の記事

この地球に生まれてから

なぜかこの地球に生まれていた 回っている 笑っている レインボーの世界 たくさんのものをもらい 大きくなっていく 回っている 太陽の下を歩いていた 目の前に モンスターが現れる 雨が降ってきた 刺された 何度も 何度も しかし 死ねない 心臓は動いている 殴られた 蹴られた 痛い 苦しい 死にたい 死にたい 死にたい 目が覚めた 目の光は消えていた 回っている 血が噴き出す 水が滴る 世界が変わる 自分が変わっている 灰色の世界 雷雨の下を歩いている 回っている 気づいた

    • 将来の夢は自殺であること

      将来の夢は自殺? 「将来の夢は自殺である」と誰かが言っていたことを思い出した。 その言葉を聞いてほとんどの人は「何を言っているんだ?」と思うだろう。でも私は少し共感できることがあった。 これはきっと自分が死にたいと思った時、死ぬ勇気のない人間だったから。 自殺は決して悪いことじゃないと私は思っている。人間誰しもいつかは死ぬ。となると私は自分の死を病気や他人に決められるのは少し納得いかないと思うから。自分の手で再起不能にすることには賛成だ。 自殺をすると幸せなことに周りには

      • 優しさとは

        今まで自分のことを比較的優しい方だと思っていた。が、最近優しさとはなんなのかがよくわからなくなった。 優しさの定義は人によって全く違うことに気づいたからだ。 そして自分が人に優しくする理由を考えてしまったからだ。 自分は人に好かれたい、優しくしたいと思っている方だ。しかし、ある友達と仲良くなることで自分の考えがよくないことに気づいた。その友達は気が使えないし思いやりもない、なぜもっと優しさを持って接せないんだろう。私はたまにそんなことを思っていた。でもある時自分が優しさだと

        • 人を殺すことは悪いこと?

           自分が本当に落ちぶれた時、しんどい時は何もかもがどうでも良くなる。何か悪いことがしたくなる。そしてそんな人に同情したり寄り添ったりしたくなる。そんな経験をした人はいるだろうか。 そう考えた時から自分は人に対して他人のあるベクトルに対して寛大になった。今まではこの人が悪いことをしているから嫌い、性格が悪いから関わらないと避けていたが、果たして一般的に悪いとされていることが本当に悪いのかが分からなくなった。  例え殺人犯でも?    誰かにとっての正義は悪だという言葉があるよ

        この地球に生まれてから

          無理やりのポジティブ思考−運命

          自分はかなりネガティブな人間だ。辛いことや苦しいことが重なってからこうなってしまった。でも辛いことから逃げ出したい!と思った結果、自分の中で形成されたポジティブな理論ができた、それは「運命論」である。 運命  私は全て運命であると思って生きている。 受験に失敗した→運命 部活で怪我をした→運命 大事なものを無くした→運命 事故で死んだ→運命 しかもこの運命は自分の人生がうまくいくようにできている。 受験に失敗した→志望校よりも他の学校の方が楽しい生活を送れた 部活で怪我

          無理やりのポジティブ思考−運命

          「死にたい」は魔法の言葉

           時々「死にたい」を思っていないと生きていられない時がある。「死にたい」なんて言葉、当然使わない方がいいし、頭の中にあることなんてない人もいるかもしれない。でも日常的に使っている人も結構いると思う。この言葉が猛烈に頭をいっぱいにする時、本当にそう思っているのかは分からないが、なぜかそう脳がこの言葉を繰り返す。そしてこんなことを思っている自分はおかしいのかなと考える。  でもこの言葉は自分の中の何かを緩和しているように思える。死という最低辺のワードを頭に置くことで、今生きてい

          「死にたい」は魔法の言葉

          ないものねだりで一生満足できない

          恋人が欲しい でも恋人が手に入ればフリーの方が楽しいと思う 忙しい毎日は嫌だ、仕事は嫌だ でも何もタスクがない日常にも飽きてしまう 一人がいい、一人の方がストレスがない でもずっと一人は寂しい 生きたくない でも死ぬのは嫌だ  今の状態はどっちに傾いている?  自分はネガなのか鬱なのかわからないが、生きる意味を常に考え、今の現状の生き方に満足できていないのか、この先きっともっと幸せな瞬間がくるという希望を持って「じゃあ死なないで生きてみよう」と思っている。。。 楽しい日々も

          ないものねだりで一生満足できない

          後悔なんてするわけない

           自分はよく病むしネガティブだし自己肯定感も高くはない人間だけれど、今まで生きてた中で自分がした選択、1度も後悔したことはない。もちろん日常の中で些細な「ああすればよかったな」と思うことはある。でもそこだけは謎に割り切ってるというか、全てが運命で仕方がないことなのだと思い込んでる節があるからだ。それはその時その瞬間の自分が100%であるということだ。後悔と言っても色々なものがあると思う。例えば「受験の時もっと勉強しておけば良かった」とか「昨日ゲームをし過ぎてしまって何もできな

          後悔なんてするわけない

          私のネガティブ思考

           自分がネガティブだと自覚したのは高校生の時だ。ネガティブにも色々な種類があると思う。自分の場合は何か物事について考え始めると、よくわからない思考回路と飛躍の激しいヒス構文を辿って最終的に行き着くのは「死にたい」。ここでの「死にたい」は多分本気で思っているのではなく、全てが嫌で何も考えたくない、生きたくないというような意味合いのものだ。考え始めると下の下まで気分が下がりきってしまう。  これは物事をやる前と後の両方に起こる。何かをやる前は無駄な不安や心配で頭がいっぱいになり、

          私のネガティブ思考

          やらなきゃいけないことはやりたくないこと

           最近これに気がついた。中学生の頃は何も考えずに何事も前向きに取り組んでいた。高校に入ってから「頑張ったこと」は全部「やりたくないこと」ばかり。「やりたいこと」と「頑張るべきこと」が一致したことがない。(まあ高校からネガティブになっただけかもしれないけど)だから自分の中で 「頑張ること」=「辛いけど我慢してやること」 という認識になっている。これは普通のことだろうか。今の社会では普通のことかもしれない。みんなこれが当たり前になりすぎて、今やらなきゃいけないこと、追われている仕

          やらなきゃいけないことはやりたくないこと