はなかっぱ「ベーヤちゃん、いいこをやめる」から、"いい子"がストレスではなくて我慢がストレスなんだなを学ぶ
こんにちは。櫻子です。
高1男子、小2女子のママ、ADHD要素ありのHSP、ヨガイントラです。
毎朝、時計がわりにEテレです。
おかげで、コナンを観るとガリゾーを連想してしまい、いまいち入れませんw
(工藤新一と怪盗キッドが、はなかっぱのガリゾー役の山口勝平さん)
そんな今朝のはなかっぱの一話が、『ベーヤちゃん、いい子をやめる』でした。過去何回も観てるし、
まだ宿題が終わってない上に風邪気味、昨夜寝るのが遅くなって機嫌の悪かった娘ちゃんをどうにか宿題を終わらせてから機嫌よく学校に連れて行かねばと、気もそぞろに「あ、はなかっぱだ、やばい、起こさなくては」と観てもなかったのですが。
教室で遊んでいて花瓶を割ってしまったはなかっぱ一同。
「誰だ!?」と怒る先生に手を挙げたベーヤちゃんですが、
一緒に遊んでいたはずのはなかっぱたちは申し訳なさそうにしながらも、誰も手をあげず、、「いい子にしてても、損をするだけだわ!」といい子をやめる決意をします。そして、困っている人たちをみても助けるのを我慢するが?
という話です。
"いい子"であることを子どもの頃から自分に強いていたわたしは
"いい子"から脱却しようとしてて、
なので、今日のベーヤちゃんがチクチクきました。
このお話では、ベーヤちゃんの本質が"困っている人を助けたい"子だったので、
"いい子"をやめる=困っている人を助けない
ことがストレスになってしまっていました。
で。
やりたいことをしない、本質と違うことをする、我慢する
っていうのが心地よくないんだなーと気づかせてもらいました。
"いい子"が心地よくない、のではないのです。
わたしはどう動けば都合がいいか(つまりは他人から"いい子"と認識されるか)を察知する方で、自分を見ないようにして"いい子"を演じてたから、どんどん本質と乖離して、自分がわからなくなってしまっていた。
本質が"いい子"じゃない、っていうのはなんだかなんですがw
我慢して"いい子"と自分を偽ってたのですね。
我慢するのは自分を不愉快にするし、
自分が不愉快だと、
周りにも無意識に我慢を要求したり、やっかむようになって
よくないループが始まり、
結果、つまらない世界が広がる
ので。
本質で"いい子"であったらよかったのですが、まあ、仕方ないw
と自分を受け入れて、
まずは自分の心地よさは何?と聴いてみることするか、と
思った今朝でした。
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よし、大嫌いな洗濯による自分の負担を減らすために
乾燥機付きの洗濯機をポチる!
自分の心地よさは、自分で養うぞ。
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無事、娘ちゃんは宿題を終わらせて、遅刻ギリギリで登校できました。
これ、わたしがキーってなってたらギスギスしたりしたはず。
うん、自分の心地よさ優先、大事。
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読んでくださってありがとうございました。