![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/167869813/rectangle_large_type_2_54ccf6ea734ac8ade1e5e14b313d4c77.png?width=1200)
【W】30代後半戦 改めて目標を見直す
年の瀬ですね。今年の目標の振り返りと来年の目標宣言をしようと思うが、その前にまず、「30代の目標」を振り返ってもよろしいか。今年35歳になったわたし。折り返しを過ぎたこのタイミングで、40歳に向け現状把握と、改めての目標設定が必要かを確認しておきたい。
30代 目標リスト
テーマ:持続可能なわたしの開発
①専門領域の確立(比較文化学?)
②語学力の向上(イタリア語、フランス語、ラテン語)
③美しくしなやかな身体づくり(運動習慣、食生活の改善、スキンケア他)
④日本文化を身につける(茶道のお稽古に励む)
上記は、30歳になる年に作成したスマホのメモ帳からそのまま引っ張ってきたものである(少々恥ずかしい)。「テーマ:持続可能なわたしの開発」については、瞬発力を頼りになんとかこなしてきた10代、20代を振り返り、これからは細々とでも長く続けることを意識していこうと決め、このようになった。継続することでしか見えないものがこの世界にはたくさんあることを、5年経った今、より一層切実に実感している。かといって、上に掲げた4つの項目全てを順当に続けられているかといえば、そうでもない。順を追って振り返る。
①専門領域の確立
当時はまだ研究への未練を断ち切れていなくて、大仰なワードを使っているのが小っ恥ずかしい。西洋美術一辺倒だった学生時代、日本工芸史を働きながら学んだ前職期を経て、西洋と日本、どちらの知識も携えた自分だからこそ、比較文化のジャンルで何か見つけられることがあるのではないかと考えていた。そんな30歳頃のわたしは、比較文化の平川祐弘氏の著作や、「日本人論」「日本文化論」とカテゴライズされる各種書物に広く接した。面白かった。しかしどうしても、本の内容を辿る以上の考察に踏み込んでいけなかった。なぜか。
結論、修士課程のときに設定した問いに決着をつけないまま逃げ出したのがよくなかった。それは、食べた魚の細い骨が喉元に刺さり続けるような不快感を残し続けていた。無理矢理生活を続けることもできるが、どうにもすっきりしない。すっきりしないと、次に行けない。わたしはわたしの蛇のような執念深さ(わたしは巳年、そう来年は年女)を自覚した。そして、喉に刺さったままの骨を取り除くことが何より先決だと思った。
そこで、32歳になる年の転職をきっかけに、社会人になってからすっかり離れていた西洋美術史に戻ってみた。苦い思い出のせいでずっと避けてきたその場所は、やはりわたしにとって楽園だった。面白くて刺激的で、もっと知りたい、近づきたい、と次々興味が湧き上がる。日本のことを学んでいたときにはない興奮だ。帰国後ずっと「日本人なのだから」「日本に生まれたのに」と、西洋かぶれの自分を卑下しつつ、それでもそれなりに愉しく我が国の工芸ジャンルに親しんだ。一通り学び切った自信があり、そのせいで、せっかくだからこの知識を生かさないと!という不毛なもったいない精神が作動していた。しかし、「こんなに西洋が好きなんだから仕方ない」と、最近になってようやく素直に本心を認め、原点回帰することにした。
また、西洋美術史の勉強再開当初は、院生時代の知り合いの名前を見つけ、彼らが活躍しているのを知るたびに、寂しいような悔しいような複雑な気持ちになって逃げ出したくなっていた。だからといって、腹の底から面白いと思えるものを手放したくない。もう離れたくない。わたしはわたしなりのやり方で、勉強し続ければいい。研究していけばいい。
そんなこんなで、目標設定当時は比較文化を自分の専門領域にしようなどと息巻いていたが、現在は「ルネサンスはいかにして起こったのか」と大風呂敷を広げ、修論で提起した問いの答えを模索しつつ、広く13世紀頃の西方教会圏を理解しようと取り組んでいる。楽しいと思えることを追求するのが肝心要だとやっとこさ心得た。この境地に辿り着けたのは、ずばり、今年ある本と出会えたからである。
塩野七生『フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)新潮社
塩野さんの著作はこれまで意識的に手に取ってこなかった。『ローマ人の物語』が完結し話題になった頃に彼女を知り、同時に、学術書ではないのにそれと同じような顔をして彼女の本が書店に並んでいることに不服を持っている研究者がいるような話を聞いた。以来、なんとなく内容を怪しみ、遠ざけているところがあった。
しかし、フリードリッヒ二世、すなわちイタリア語読みでフェデリコ二世(セコンド)のことを知ろうと思い立ち(修論で扱ったジョヴァンニ・ピサーノのルーツを辿ると、その父ニコラ・ピサーノ、その生まれ故郷と推定されるプーリア、その土地を司っていたフェデリコ二世に行き着く)、とりあえず読みやすいものをと思ってまず手に取ったのが、塩野さんのご著書だった。
そして、衝撃を受けた。お、面白い!これまで学術書にしか価値を見出してこなかった頭でっかちなわたしを叱ってやりたい。どこまでが史実で、どこまでが最新の研究で有力視されている説で、どのあたりが塩野さんの想像により補填されたものか、その境界はもっと勉強しないと厳密にはわからない危うさがあれど…面白ければよくないか?そう振り切らせてくれる痛快さがあった。この土俵なら、妄想力たくましいわたしでも参戦できるかも、と、烏滸がましくもそんな夢を見させてくれる、有り難い出会いとなったのである。
②語学力の向上
メモ帳には「イタリア語、フランス語、ラテン語」とあるが、現状取り組んでいるのはラテン語のみである。イタリア語は留学でそこそこ、フランス語は大学院入試のために多少やった。もっとできるようになれたらいいとは思っているけれど、なんたってわたしはリスニングが超絶苦手である。日本語でも十分に聞き取れず日常生活でも困っている。聴覚の認知特性が弱いのだ。話す方もそこまで得意なわけではない。となってくると、コミュニケーションが必然的に苦痛となる。読み書きだけならまだいいのだけれど…そう割り切ることもなかなかできずに、現役で使われている生きた言語の勉強はしばしば取り組んでは挫折しを繰り返している。
しかし、ラテン語は死語である。聞いたり話したりする機会は全く!一切!ない。とにかく基本文法を定着させ、辞書片手に読むことが主戦場だ。楽しい。楽しいことしか続かないよね。
その一方で、わたしは最近ドイツ語を勉強しようか思案中である。ドイツ語は、院生時代少し文法をかじった程度。奴はイタリックの他三つとは異なる系統、ゲルマン語派に属する。以前はとっつきにくくてすぐに離れてしまった。しかし最近、フェデリコ二世と同じく気になる存在が現れた。その名も、フリードリッヒ・ニーチェ。(2024年はわたしにとって、フェデリコ二世といいニーチェといい、フリードリッヒ元年だった。)ニーチェを原文で読みたい。そんな欲望が沸々している昨今だが、もう少し日本語訳で学びを深めて(自分の)様子を窺おうと思う。
③美しくしなやかな身体づくり
30代も半ばになると、もう自分は若くないのだと悟る。終始悩まされている右肩凝り。ホルモンバランス、自律神経、気圧・気候、一番の大敵はなんといっても対人ストレス。それらに左右され続ける体調。負けない体を作りたい!30歳当時は美容目的だったものが、今や生命保持のためになっている。歳を重ねるというのはそういうことなのだね。
週一回のピラティスは30歳からずっと続けている。そこは手放しで自分を褒められる、偉いぞ。昨年からは、週一回のジム通いも加えた。それが功を奏したのか、毎年「要医療」となる職場の健康診断の結果が、今年は「要検査」に昇格?降格?した。とにかく悪い数値が少しばかり改善した。毎日何かしら運動できたらいいなとは思うが、ひとまず成果を感じられて良かったと思う。
食生活も今年になってずいぶん意識するようになった。栄養バランスや添加物への意識だけでなく、どんな成分が自分の体に合うのか合わないのかを観察して、健やかにいられる食事を目下研究中。料理があまり好きでないのがネックだけれど、凝ったものを作らずとも美味しくヘルシーな食事はできるはず。
スキンケアに限らず、ボディケア、ヘアケア、ハンドケア、ネイルケア、オーラルケア等々。コスメが大好きだし、隙あらばYoutubeで美容系の情報を収集しているので、このあたりは意識せずとも今後も楽しく継続していけそう。30歳の頃より今のが肌調子はいい気がする。美容医療に手を出すか否かを検討している今日この頃。
④日本文化を身につける
これについてはギブアップした。理由は①で話したこともあるし、以下記事にも書いている。
茶道は社会人2年目から33歳になる年まで、7年間続けた。日本文化に関して造詣を深めるできるだけでない、日常の身の振る舞い方から人とのつながり方やら人生観まで、体得したことがあらゆる場面で生きる、極めて有意義な習い事だった。ついた先生も素晴らしかった。でも、全てを抱えて進むことはできないので、今のわたしは①に注力していくつもり。
さて、今後はどうしていこう
「持続可能な…」のテーマはこのままでいこうと思う。
それぞれの項目は以下の通り設定し直す。
①西洋中世史を中心に、人文系学問に触れ続ける
プロになるわけじゃないのだから「専門領域」などと縛らず、興味の赴くまま知識を貪っていくスタンスに修正する。また、学術的な厳密さにこだわらず、ひとまず40歳までは「学問に触れる」程度で、これまでやってきた美術史に限らずいろんな角度から当時の状況を「楽しく」理解することに努めていきたい。
②語学力の向上
言語学もそれはそれで面白いのだろうが、今のところわたしにとって言語はあくまで何かを知るためのツールだ。だから現在習得中のラテン語も、ある程度まで読めるようになったらいったん切りをつけると思う。その後もしかしたらギリシャ語を始めるかもしれないし、先に述べたようにドイツ語をやるかもしれない。予定は未定だが、語学は精神衛生上も有益ゆえ(やっているとなんだか地に足がついている感じがして心が安定する)、何かしら語学は常にやっていく。
③とにかく健康でいる
やはり体は資本。細かな目標は一年ごとに設けるとして、老いには逆らえないから今まで以上に気を配っていきたい。深刻に。
ということで、何かを成し遂げるためというより、大テーマに則って「続ける」ことに主眼を置いた目標に再設定してみた。楽しく充実した取り組みを継続する中で、39歳の年に40代につながる目標が自然と浮かぶことを期待している。
Chi va piano, va sano e va lontano. ゆっくりでも、着実に、遠くまで行くのだ。