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【W】働きながら本を読む−わたしの転職事情

あと数日で冬休み、というところでイレギュラーな仕事が舞い込んできた。普段は定時までに計画的にタスクをこなして帰るのに、残業に次ぐ残業からの休日勤務。最悪だ。上司は気にかける素振りだけ見せて、同僚後輩は素知らぬ顔で、足早に仕事納め。ちょっとは気の利いた言葉をかけられないもんかね、と、他人に期待しても損をするのは自分ですね。腹の底から湧き出てくる文句をゴクリと飲み込み胃に流し戻す。普段は個人主義な職場に救われているのだから、まぁよしとしよう。

それにしてもタイミングが良くないよ。今年は誕生日直前にもイレギュラーが発生し、楽しみにしていたバースデーランチを十分に楽しめなかった。そして最後の最後にこの仕打ち。クリスマスデートが台無しでした。きっときっと、来年は超いい年になるに違いない。そうでなきゃ恨んでやる(誰を)。


さて、今回はわたしの転職経験について整理してみたいと思う。上記の愚痴を書いてすぐに、転職は成功でした〜とは言いづらいのだが、前職を続けなくてよかったとは心から思っている。

わたしは百貨店の美術部門からとある研究機関の事務職に転職しており、その経緯は下の記事にも書いている。

なぜそれについて改めて今回記事にしたいと思ったかというと、三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書、2024年)を本日読み終えて、自分の経験を書き留めておきたい気持ちが湧いたからだ。

この本が売れていることを最近知り、タイトルに大共感した。普段本をあまり買わない(図書館で借りるばかりの)わたしだが、どうしてもすぐに読みたくなって購入即読了した。彼女の「半身で働こう」の主張は、これまで抱いていた自分の考えと概ね合致するもので(今時主流の考え方なのかもしれないけれど)、内容についてもタイトル負けすることない、頷き通しのものだった。(歴史好きとして、労働史に沿って当時の読書の有り様をたどる章が大半を占めるところも、面白く読み進められた要因の一つだった。)

さて、図書館の貸出予約数の多さに耐えかねて、わたしにしては珍しく購入するに至ったこの本の何にそこまで突き動かされたかといえば、わたし自身もまた「働いていると本が読めない」現象に苛まれた一人だからなのだった。

三宅さんが書籍冒頭で述べているように、ここでの「読書」は、必ずしも本を読むことに限定されない。語学、舞台鑑賞、旅行、丁寧な暮らし、創作等々。それらの文化的な、自分のための行為。わたしにとってそれは「13世紀頃の西方教会圏の歴史を学ぶこと」だ。働きながらアマチュア研究を楽しめる生活がわたしの理想である。しかし前職に就いていたとき、それはどう足掻いても実現不可能だと感じていた。

わたしたちの持つリソースは大きく四つ、「お金」・「時間」・「気力」・「体力」に分類されると思う。働いていればそれなりにお金をもらえる。そのお金は、それ以外の時間・気力・体力を提供する対価として得られるものである。仕事が生きがいのような人は、働く中で搾取されるはずのリソースを逆に養ったり、自らの資金を投じたりする場合もあるかもしれない。翻って転職前のわたしは、仕事が生きがいなわけでもないのに、自らの意思を問うことなく組織の指針や周囲の期待に沿うため、仕事に対して必要以上にリソースを削っていた。プライベートに割く余剰は一切残らない。

前職では工芸品を販売する仕事をしていた。売上をつくるために何より必要なのは対人コミュニケーション。それが何よりも苦痛なのに、自覚が足りなかった。接客や商談、難しい交渉事を気合いで乗り切ろうとし、気疲れが祟って家に帰ると毎日うずくまって泣いていた。また、昔から体力がある方ではないのに、日中は作家さんやお客様のところに各地出向き、日が沈めば展示の入れ替えで1トン近くある石彫を担いだり、長辺2メートル以上ある絵画を階段を使って展示室まで運んだり、脚立によじ登って釘をがんがん打ったり。ずっと酸欠状態で過呼吸。合わない仕事を全力でやっていた。他方で、プライベートではお金と時間を使って工芸の知識習得に励んでいた。自ら望んでやっていたはず。でも振り返ると、だいぶ無理をしていたようにしみじみ思う。

さらに遡れば就活期、すでにわたしは自己分析を誤っていた。というより、自己分析などしている場合ではないと思っていた。わたしは留学期間含め修士課程に4年間通って社会に出た。新社会人になる年には、27歳。そのことを極めて自虐的に捉えていた。自分のような年を食った女を雇ってくれる会社なんかないと、ライバルの4歳年下の人たちに劣等感を抱き、思いっきり猫をかぶってウケが良さそうな自分を演じ、業種や職種を選ぶことなどせず片っ端から採用試験に臨んだ。それでもやりたかった工芸関連の仕事ができそうな前職の企業から内定をもらえたとき、ハンデを抱えた自分を雇ってくれるなんて有り難い!全身全霊で働かせていただきます!と本気で思った。社会人生活9年目の現在、もし就活真っ只中の自分に声をかけてあげられるなら、こう言ってあげたい。「もっと飾らない、素の自分で勝負していいんだよ。」

コロナの影響で一時的に休業となり、忙しさに余白が生まれたのが社会人5年目。工芸分野のインプットに概ね満足したタイミングとも重なった。ようやく立ち止まり、目を閉じて、自分の胸に手を当てた。やっぱり学生時代の研究の続きをしたい。あのときの問いに決着を着けたい。それが本当の望みだと自覚した。しかし研究者として身を立てたいわけではない。(これについては上に挙げた記事や、2024年12月14日投稿『好きは義務にしない』の記事で書いているので、よろしければご参照ください。)あくまで、自活しながら自由に好きなことに取り組みたいのだ。そのために、まずワーカホリックな状態を脱しなくては。

三宅さんの著書にある言葉を借りるなら「半身で働く」ために、「向いている」仕事に就こうと思った。「向いている」ことなら、最低限のエネルギーでもストレスなく行える。わたしの場合は事務職だと思った。まずは新卒で入ったその会社のマネジメント部門に異動希望を出した。しかし、美術部門は専門性が高く人手不足で、容易に出してもらえなさそうなことは明白だった。何年も本意でない働き方を続けるつもりはなく、わたしは事務職への転職を果たした。結果、現状には満足している。そそっかしくケアレスミスはよくあるし、臨機応変な対応も苦手で、完璧に事務に向いているとは言い難いけれど、長時間PCに向き合い資料作成や数字の処理をしていても全く苦ではないし、むしろきっちり仕上げたいという高揚感で楽しいときすらある。組織に属している以上制約は多々あるが、今のところはプライベートを侵食されない程度に働けている。

最後に、美術家・森村泰昌氏についての朝日新聞の連載記事にあった、印象的な話を紹介したい。

顧問の佐々木節雄先生は、在野精神を大事にする方でした。お金を稼ぐ仕事としての「レイバー」と、お金に関係なく一生続ける「ワーク」を使い分けなさい、とよくおっしゃいました。絵はレイバーにしてはならないと。僕が3年生になって美術系の大学に行きたいと話した時は、「行かない方がいい」と言われました。

、2023年3月16日 朝日新聞(語る 人生の贈りもの)森村泰昌:3 美術の「今」、興味わいた高校時代

わたしにとって現在就いている仕事は「レイバー」だ。それでいいと思っている。ちょっと油断すると「仕事で自己実現」の潮流に飲まれそうになる。危ない。それは大切な家族と安心して文化的な生活を送るための「手段」であり「目的」ではないのだ。肝に銘じるため、今後仕事のことは「労働」と呼ぶこととしようと思う。

「ワーク」。それは広く捉えるなら三宅さんの書籍でいう「読書」。わたしにとっては西洋中世史のアマチュア研究。

「レイバー」も「ワーク」も、どちらも大事だ。バランスよくやっていきたい。


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