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この世界の音が聞こえなくなるまで ep.2 最後に食べられなかったもの
これを書いている理由は、しなきゃいけないことが何にもないから、苦しさを心にとめておけないから、書きつづけていたいから、もがきながら生きつづけたことを残したいから、いっぱい思い浮かぶけど、これといって強い理由はあんまりない。
ただ書く手が少しも止まらないから。
前回と同じだけど、私のいままでは、悪いところだけを切り取るとこんな感じ。
学生時代はいじめに何度もあい、親友だと思っていた人からも裏切られ、人間不信。自分を偽って過ごすように。
社会人になってからは、超ブラック企業でうつ病に。そこから、治ってもないのに働きつづけ、やっと転職できた会社は、セクハラ、パワハラだらけ。自分の価値は、性別しかないと思うように。この頃から、希死念慮がかなりひどくなった。心はぼろぼろなのに、休まずまた転職。入社すると、私以外のみんなが退職。ひとりで働いてと言われて、心の限界で倒れる。その後も、また休まず転職。やっとふつうのお仕事に……と思っていたけど、今まで見ないふりしてやり過ごしてきた心の限界は、止まらないまま。
私の心が悪化していくなか、恋人に急に別れを告げられる(めっちゃ大好きだった)。この別れは、彼が仕組んだ1ヶ月に及ぶ大計画で、彼の両親、私の家族全員を巻き込んだものだった(1ヶ月、私だけが何も知らなかった)。そのため、私は母の前で別れを告げられ、アラサーにもかかわらずばかみたいに泣くことに……。ついでに、一緒に住んでいたおうちは明日には出ていくこと、東京からぜったい出ていくこと、仕事は明日には辞めること、彼にぜんぶ勝手に決めらていた。私に拒否権はなく、拒否すると警察をちらつかされる。「まだ好きだよ」「ずっと忘れないよ」と最後に言った彼の気持ちがよく分からなくなった私は、彼に電話するが拒否される。突然「もう気持ちはない」と連絡がきて、まだめちゃくちゃ大好きだった私は、昨日までとの落差に泣き喚く。最後には、「私に殺されそうで心が休まらない」というパワーワードを残して去ったため、無事に私の心が死んでしまい、もう生きることに限界を感じている。
というような流れ。
コミカルに話しているけど、ぎりぎりでこれを書いている。
私は、こんな状況に陥って、ごはんを食べられなくなった。
もともと、ごはんを大事にするような人間ではなかった。
毎日のごはんは、お菓子で済ませることも多かった。
気に入ったものは毎日のように食べて、それで不満もとくになく、飽きもしなかった。
そんななか出会った彼は、ごはんが大好きで、ごはんを大事にするような人だった。
まだお付き合いしていない頃、彼が私のおうちにお泊まりをする機会があった。
夜ごはんは、彼と一緒につくることになった。
私にとって、久しぶりのお料理だった。
彼にとって、はじめてのお料理だった。
一緒にスーパーに行った。
私は、外に出ることが嫌いで、スーパーにすら行くことを諦めることも多かった。
彼と手をつないでスーパーに行く。
それだけで、見える世界がぜんぜんちがった。
ぜんぶがきらきらして見えるようだった。
久しぶりにお肉を見た。久しぶりにお野菜を見た。
食材がどんどんかごに入れられていく。
かごは、重いからって彼が持ってくれた。
手ぶらでスーパーを歩くなんて、高校生ぶりだった。
どっちのお肉がいいかなって、ふたりで相談するのもたのしかった。
買ったものを一緒に袋につめた。
おうちまでは、ふたりで一緒に袋を持った。
重くならないように、同じ高さになるように、その緊張感が、何だかうれしかった。
夕日が顔にあたってまぶしかった。
夕方の風が、蝕むような暑さを心地良くしてくれた。
私は隣で一緒に歩く彼の顔を何度も見て、うれしさで心がいっぱいになった。
おうちについたら、さっそくお料理がはじまった。
鶏肉とじゃがいもを使ったお料理をつくることにした。
彼と私のお料理は、想像以上にうまくいった。
彼がじゃがいもの皮むきをしているあいだに、私が鶏肉を切る。
彼が食材を炒めてくれているあいだに、私が洗い物をする。
彼は私に「こんな人で良かった」と言った。
私が、何にも言われなくても、次にやるべきことが分かることが、彼にとって心地良かったらしい。
彼は、はじめて自分でつくったごはんをとても喜んでいた。
何枚も写真を撮っていた。
かわいかった。
食べて、「おいしい」とすごくうれしそうに私の顔を見た。
その顔を心が苦しくなるほど覚えていて、いまも忘れない。
それだから、一緒にごはんを食べたいと思うようになった。
ごはんを食べることは、そんなに好きじゃなかった。食べなくてもいいと思うような毎日が多かった。
だけど、彼と食べると一段とおいしかった。
本当に。
ただのレトルトでも、どうしてこんなにおいしく感じるのか分からないくらいおいしかった。
いつのまにか「おいしい!」と言って、ごはんを食べることがたのしくなっている私がいた。
彼が、そう言って笑う私を見て、うれしそうに笑うのを見ることも、私にとってしあわせだった。
こんなにしあわせだったのに、彼と過ごした最後の半年間は、ほとんどごはんをつくることができなくなった。
彼が「買い物行ってくるね」「ごはんつくるから、ちょっと待っててね」そう言うようになっていた。
私は「ありがとう」としか言えなかったけど、心はいつもぐるぐるしていた。
彼は私と別れるとき、自分がしていることが当たり前になっていることが嫌だったと言った。
そう思わせていたことは、本当に申し訳ないと思った。
だけど、当たり前なんて少しも思っていなかった。
思ってなかったよ。本当にごめんね。
ごめんなさい。
私は、彼にばかり任せていることが、ずっと苦しかった。
「ありがとう」って言いながら、ずっと「ごめんなさい」が心にあった。
ずっと体が動かなかった。
本当は、毎日何にもしたくないし、できなかった。
ごはんも、食べなくてもいいやって思うような毎日がふえていった。
体がだるくて、だるくて、仕方なかった。
できれば、暗い部屋で、一日中ベッドに寝ていたいと思うようになった。
すぐに動ける彼がいて、何にも動けない私がいて、ふつうになれない自分がいることが苦しかった。
彼にごめんなさい、ごめんなさい、と思うことしかできなかった。
自分のことが、どんどん嫌いになっていった。
何にもできない自分が大嫌い。
そんな自分を変えたくて、彼におねがいをした。
「洗濯物は、休日はぜったい私がやる。お皿も、一緒に片付けたいから、すぐに片付けないでほしい」
彼は、すぐに片付けることができるし、たまっている家事もすぐにやってしまう。
本当にすごいけど、私も生活に参加したかった。
私も一緒に生活しているって、思いたかった。
何にもできないって自分のことを嫌いになるばかりじゃなくて、彼のためにもがんばりたかった。
自分のペースでやれたら、少し待ってくれたら、私にもできるんじゃないかと思った。
彼のようにはできないかもしれないけど、少しずつ、少しずつ、元の私に戻れるようにがんばりたかった。
私が彼におねがいをしたあと、はじめての休日がやってきた。
彼は、私が眠っているあいだに洗濯機をまわした。
洗濯機が止まった音がすると、私に「いいよ、いいよ。休んでて」って言った。
私も何かしたくて「大丈夫だよ」と言って、一緒に洗濯物を干した。
彼は、それからも洗濯機をまわしつづけた。
洗濯物も、彼がひとりで干すようになった。
私が洗濯機に触れることは、なくなった。
また、いつもどおりになった。
彼はごはんのあと、お皿を片付けるスピードはお店のようにはやかった。
私は、ごはんのあと一段と動くのが遅い。
お皿が一瞬でキッチンにいってしまうのが、少しこわかった。
自分だけが置き去りにされているみたいだったから。
私はお皿を片付けようとする彼に「ちょっと待って」と言った。
彼は「分かったよ」と笑って言ってくれた。
一緒にドラマを見ていたら、途中のCMで彼がお皿を片付けはじめた。
「お皿洗い、嫌いでしょ。大丈夫だよ」って笑って言って、テーブルから食べ終えたお皿がどんどんなくなっていった。
そのまま、お皿洗いをしてくれた。
私はそれでも動けなくて、流れつづけるドラマをとめながら、何にもできない自分が苦しくて仕方なくなった。
洗濯物をたたむことも好きだったけど、彼は私が動けないあいだにたたんでくれるようになっていた。
私は本当に、何にもできない人だった。
私も生活に参加したい、ちょっと待って、そう思うことしかできなかった。
彼のようにはできなかった。
彼のペースには、合わせられなかった。
私がふつうにはなれないことが、毎日分かった。
彼がふつう、それにはついていけなかった。
私ができないから、彼がやってくれている。
これがものすごく苦しかった。
彼は、私が何にもできないあいだ、お料理がどんどんうまくなった。
私は、それが少しだけこわかった。
私が彼に何かをつくっても、おいしいと感じてもらえないかもしれないと思うようになった。
どんどん自分ができないことがふえていって、どんどん彼のできることがふえていく。
何にも指示されなくても動けるような人で良かったって、言ってくれたことを思い出して苦しくなることがたくさんあった。
彼はお別れの前日、豚キムチをつくってくれた。
彼のお料理のなかでも、とくに私が好きなお料理だった。
本当においしかった。
「おいしい」って顔を見て笑い合えることだけが、ずっと変わらないことだった。
一緒にドラマを見ていたけど、彼がお皿を片付けはじめた。
私は、動けなかった。
彼は「一緒にお皿洗いする?」って聞いてくれたけど、私は「明日一緒にやらない?」って言った。
彼は「う〜ん、大丈夫だよ。やるよ。お皿洗い嫌いでしょ。待ってて」って言った。
きっと、最後だったから誘ってくれた。
きっと、明日がなかったから少しも待てなかった。
私は最後まで、彼のペースについていくことができなかった。
私は、ずっと何にもできない私のままだった。
私だけが、置いていかれていた。
私だけが、ずっと取り残されていた。
テーブルからなくなるお皿、洗濯機からなくなる洗濯物、買い物に行く彼、私だけが消えてしまう瞬間をずっと見つめていた。
取り残された時間に、ずっとひとりでいた。
お別れの前日、私が「何かあんこが食べたい気分だな〜」と言うと、彼は「分かる〜!」と言った。
私たちは、意気投合してスーパーに向かった。
私は、こうやって彼と食べたいものが同じになることがよくあって、それがものすごくうれしかった。
どこかでつながっている感じがして、少し安心で、少し奇跡みたいに思ったから。
何を買おうか迷った結果、冷凍の今川焼きを買うことになった。
彼は「これおいしいよ〜」と言っていた。
私は、冷凍の今川焼きは食べたことがなかったから、何だかすごくたのしみだった。
結局、お腹いっぱいになって、お風呂に入ったら、倒れるように眠ってしまったせいで、今川焼きは食べられなかった。
明日食べたらいっか。と軽い気持ちだった。
明日なんか来なかった。
私と同じように取り残された。
彼と突然別れることになって実家に帰った私は、何にも食べられなくなった。
何にも食べたくなかった。
体重は、どんどん減っていって、骨がひどく見えるようになった。
今までどんなにダイエットをしても辿り着けなかった体重も、軽々と飛び越えた。
毎日どんどん弱っていく。
家族は「少しでも食べなさいよ」と心配した。
心配してほしくなくて、少しずつ食べるようにした。
しょっぱいものは、ほとんど味がしなかった。
食べられるのは、いつも甘いものだった。
甘いものだけは、よく味がした。
チョコ、クッキー、ゼリー、ジュース、ドーナツ、アイス。
毎日、甘いものばかりをよく食べるようになった。
私が食べられるようになって、家族もうれしそうだった。
私がダイニングでスマホを見ていると、母が「半分食べる?」と渡してきた。
今川焼きだった。
祖父が何にも食べられない私を心配して、子どもの頃よく行っていたたこ焼き屋さんで買ってきてくれたものだった。
私は、母からもらった半分を食べた。
本当は少し泣きたかったのに、もう立ち直ったふりをしているから、泣けなかった。
「おいしい」って、母に笑いかけた。
母は「おいしい?良かった」と言った。
彼と食べるものは、どんなものでも一段とおいしかった。
これからは、彼と食べるものなんてひとつもない。
一緒に食べようと思って買った今川焼き、彼が好きかもしれないと思って買ってきたお菓子、旅行に行ったときに買った羊羹、いつか食べたいと思っていたレトルトカレー。
ぜんぶ、私みたいに取り残されたまま。
一緒にスーパーに行くこと。
一緒にお料理ができること。
一緒にごはんが食べられること。
おいしいって笑いあえること。
一緒にお片付けができること。
ぜんぶ、本当は大好きだった。
大好きだったのに、私は何にもできなくなった。
私も、生活に参加したかった。
それなのに、彼のペースにはついていけなかった。
本当は、食べられない日もたくさんあった。
だけど、彼と笑いあいたくて、ダイニングテーブルに座っていた。
おいしいって、うれしいだった。
当たり前なんて一度も思ったことがなかったから、できない自分がずっと嫌いだった。
取り残されていく自分が、ずっと待ってって泣いていた。
ふつうにお料理ができて、お片付けもできて、お洗濯もできて、何でもすぐにできていた頃に戻りたかった。
きっと彼は、この私をずっと待っていたのに、私はずっとできなかった。
何にもできない。
私だけが、ずっと、何にもついていけなかった。
泣き顔のまんま、ずっと同じところで、消えていくものたちを見つめていた。ひとりで。