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この世界の音が聞こえなくなるまで ep.3憧れのまちが消えていく
毎度になるけど、これからのお話が分かりやすくなるように、私のこれまでの人生を紹介する。
学生時代はいじめに何度もあい、親友だと思っていた人からも裏切られ、人間不信。自分を偽って過ごすように。
社会人になってからは、超ブラック企業でうつ病に。そこから、治ってもないのに働きつづけ、やっと転職できた会社は、セクハラ、パワハラだらけ。自分の価値は、性別しかないと思うように。この頃から、希死念慮がかなりひどくなった。心はぼろぼろなのに、休まずまた転職。入社すると、私以外のみんなが退職。ひとりで働いてと言われて、心の限界で倒れる。その後も、また休まず転職。やっとふつうのお仕事に……と思っていたけど、今まで見ないふりしてやり過ごしてきた心の限界は、止まらないまま。
私の心が悪化していくなか、恋人に急に別れを告げられる(めっちゃ大好きだった)。この別れは、彼が仕組んだ1ヶ月に及ぶ大計画で、彼の両親、私の家族全員を巻き込んだものだった(1ヶ月、私だけが何も知らなかった)。そのため、私は母の前で別れを告げられ、アラサーにもかかわらずばかみたいに泣くことに……。ついでに、一緒に住んでいた家は明日には出ていくこと、東京からはぜったいに出ていくこと、お仕事は明日には辞めること、彼にぜんぶ勝手に決めらていた!私に拒否権はなく、拒否すると警察をちらつかされる。「まだ好きだよ」「ずっと忘れないよ」と最後に言った彼の気持ちがよく分からなくなった私は、彼に電話するが拒否される。突然「もう気持ちはない」と連絡がきて、まだめちゃくちゃ大好きだった私は、昨日までとの落差に泣き喚く。最後には、「私に殺されそうで心が休まらない」というパワーワードを残して去ったため、無事に私の心が死んでしまい、もう生きることに限界を感じている。
というような流れ。
コミカルに話しているけど、ぎりぎりでこれを書いている。
私は上にも書いたように、もう東京にはいない。
私の東京への思い入れは、きっと他の人よりもずっと強かったように思う。
東京に住みたいと思ったのは、小学1年生の頃だった。
私は、祖父母と一緒に飛行機で東京を訪れた。
東京ではないけれど、ディズニーシーに行った。
それが、ものすごくたのしくて、見えるものぜんぶがきらきらしていた。
はじめて見る都会だったんだと思う。
まだ小さかったけど、東京をあとにした私は、ぜったいにここに住むんだって決めていた。
小学生、中学生、高校生、ぜんぶを田舎というのがふさわしいようなまちで過ごした。
世界が狭くて、生きづらいと思うことが多かった。
誰が何をした。田舎では噂がまわるのがはやかった。
私は、噂がものすごく嫌いだった。
誰かが、関係のない誰かの話を知らないところで話している。
深く知りもしないのに、その噂でその人の人格を決めつける。
どうでもいいことでも、どんどん広まっていく。
それが、何だか気持ち悪く感じた。
私は、小さい頃からお洋服が大好きだった。
中学生の頃から、年相応のHana*chu→、ピチレモン、ニコラだけじゃなく、Seventeen、non-no、CanCam、mer、一ヵ月のあいだに何冊も何冊も集めた。
部屋はファッション雑誌で溢れた。
雑誌の真似をしてコーディネートすることもたのしかったし、いつか自分でお洋服をつくりたいと思ってデザインを書いたりした。
学校帰りに祖母と近くのデパートにお買い物に行く時間は、私にとってものすごく特別な時間で、どんなに学校に行きたくなくても、いちにちそれをたのしみにがんばれた。
私が中学生の頃、フリル、デニム、レースのお洋服が流行ったことがあった。
私は祖母とお買い物に行ったとき、フリルの装飾があるデニムワンピースを見つけて、買ってもらった。
祖母にも「かわいいね〜」と言ってもらえたし、自分でもいいものを見つけられて、ものすごくうれしかった。
クラスメイトと休日に遊びに行くことになった私は、祖母に買ってもらったフリルのデニムワンピースを着て行った。
めちゃめちゃかわいい……って、自分でもお気に入りだった。
待ち合わせ場所まで行くと、もう何人か集まっていた。
私が近づいていくと、ひとりが「何その服〜フリフリついてんじゃん」と笑った。
そのあとも、みんな「え?何それ」「空気読めな」って、たくさん笑われた。
ほとんどの人が、キャラクターのTシャツに学校の体育ズボンを着て集まっていた。
それが、みんなにとってのふつうだった。
それを知らなかった私は、お気に入りの服を着て行った。
バスに乗っているあいだも、プリクラを撮っているあいだも、マックでごはんを食べているあいだも、ずっと浮いていて、ずっとお洋服をいじられた。
だから、みんなに馴染めるように、キャラクターのTシャツを何枚も集めた。
私の服装は、みんなと同じTシャツと体育ズボンになった。
それでもお洋服が大好きだった。
雑誌もたくさん読みつづけたし、お洋服もたくさん買いつづけた。
もう誰かに怯えて生きていたくない。
好きなものを好きって、自信をもって言えるようになりたい。
誰かに自分を決められたくない。
自分のことは、自分で決めたい。
はやく自由になりたい。
はやくこのまちから出ていきたい。
この思いが強くなったのは、この頃からだった。
私は、本当は高校を卒業したら、東京の学校に行きたかった。
だけど、母は猛反対した。
母とは、東京のことで何度も喧嘩した。
私も、引けないほど思いが強かった。
先生に「学費を出してくれるのは親だから、そこは妥協したほうがいいんじゃない」って言われて、妙に納得してしまったから、東京は諦めることにした。
大学を卒業したら、ぜったいに東京に行こう。
そう決めていたから、私は実家に帰省するたびに「私はぜったい東京に行く」って母に宣言しては、大喧嘩した。
この話は、よく母とお風呂に入っているときにしていたから、お互い裸のまま喧嘩して、裸のまま気まずくなることがたくさんあった。
4年間、機会があれば東京に行くと言って、何度も何度も喧嘩した。
喧嘩することが分かっていても、どうしても諦められなかった。
とくにやりたいこともないのに、どうしても東京に行きたかった。
ずっと、ずっと、私の憧れのまちだった。
大学4年生になって、就活がはじまった。
やりたいこともなかったから、就活は出遅れた。
とにかく、東京に行きたかった。
勤務地を東京に絞り込んで、就活をはじめた。
ひとつだけ、やってみたいなって思えるお仕事を見つけた。
雑誌の編集者だった。
履歴書を送ると、面接の連絡が届いた。
ぜったいに受からないと思っていたから、ものすごくうれしかった。
面接は、会社のある東京まで向かった。
集団面接だった。
応募者のひとりが怒って帰ってしまうほど、ぴりぴりした面接だった。
私は、はじめての面接だったから、どきどきして手汗が止まらなかった。
面接官から「このあと何か東京でしたいことあるの?」って聞かれて、とくに何にも予定はなかったけど、何か答えないとと思って慌てた私は「大きい交差点のあるまちに行きたいです」と答えてしまった。
渋谷のスクランブル交差点のことだった。
ぜったい落ちた……と思って、スカイツリーを見つめていたら、なぜか受かることができて、二次面接をしてもらえることになった。
二次面接でも、東京に出向いた。
私は面接のあいだ、ほとんど話すことはなくて、面接官からのフィードバックの時間が多かった。
「もっと自分をアピールしないと。こんなに応募者は多いんだから。負けちゃうよ。自分のいいところ、この会社に入って何がしたいか、ちゃんと教えてくれないと、こっちもいいなとは思えないよ」
本当にそうだと思ったから、私はその帰り道、ものすごく泣いた。
もうここで終わりだって思って、泣きながら隅田川にかかる橋を渡った。
ここにまた来たい、住みたいよって、ぼろぼろ泣いた。
前を向いたら、スカイツリーが光っていた。
涙で滲んで、光がぼやけていった。
そんなときに、メールが一通届いた。
三次面接の連絡だった。
どうして受かったかは何にも分からないし、間違いかなとも思ったけど、とにかくうれしくて、またスカイツリーを見ながらひとりで大泣きした。
三次面接は、えらい人に何人も囲まれるような面接だった。
ものすごくこわかったけど、二次面接で言われたことをちゃんとできるようになりたかった。
何度もひとりで面接練習をやってきた。
せいいっぱい自分をアピールした。
自信があるように、笑顔を忘れなかった。
だけど、終わったあともずっと不安だった。
東京に住みたい思いがどんどん強くなっていく。
不安な気持ちのまま、帰り道にはずっとスカイツリーを見つめていた。
ものすごく不安だったけど、無事に、最終面接を受けられることになった。
何度も何度も東京にきた。
どうしてもこの会社に入りたい。
私は飛行機で東京を去るとき、毎回、また来るからねって、飛行機から見える東京のまちを見つめながら思った。
最終面接から一週間後、この会社に入社できることが決まった。
合格のメールを受け取ったときのことを、今でもよく覚えてる。
私は、ばかみたいに泣いた。
本当に、本当に、うれしかった。
泣いて、おさまったところで母に連絡した。
母は「良かったね」と喜んでくれた。
母とはあんなに喧嘩していたけど、私が東京で就活をがんばっているあいだ、ずっと応援してくれていた。
東京に引っ越す日、家族が私を見送ってくれた。
「がんばりなさいよ」そう言って、背中を押してくれた。
その声は、いまも目を瞑ると聞こえてくる。
私は、家族ひとりひとりにお手紙を渡した。
笑顔で、ばいばいって手を振った。
希望に満ち溢れているみたいだった。
ひとりになると、少し寂しくて泣いたけど、何だかこれからにわくわくして、気持ちはとびきり明るかった。
私は、スカイツリーの見えるまちに住んだ。
理由はいろいろあったけど、ここにまた来たい、住みたいよって、スカイツリーを見ながら泣いた夜が私に強く残ったから。
これまでたくさん支えてくれた気がして、存在してくれていることが安心だったから。
働きはじめると、多忙な毎日だった。
まともにごはんを食べられるような時間もなかった。
5日会社で徹夜して、やっと帰れたおうちでの睡眠時間は2時間。
シャワーを浴びて、洗濯物をすまして、また始発で会社に向かう。
そんな毎日の繰り返しだった。
お部屋はどんどん散らかっていく。
電気代も、水道代も、払うことを忘れてしまうことが多かった。
生活は、うまくいかなくなった。
スカイツリーが光っているのを見ることもなくなった。
私が見るスカイツリーは、いつも真っ暗だった。
それでも、お仕事が大好きだった。
何より、たのしかった。
こんなに忙しくても、たのしいって思えた。
褒められることも多かったから、自信もあった。
そんな生活を2年以上つづけていた。
私は、うつ病になった。
あんなに自信があったお仕事も、どんどん不安が強くなっていって、何にもできていないんじゃないかと思うようになった。
私には何にもできない。
何にもできないって声が、頭のなかで繰り返された。
死にたいと思うようになって、駅のホームで過ぎていく電車を見つめたりした。
だけど、進もうとはしなかった。
それから1年くらい働いたけど、会社は辞めることにした。
理由は、いくつかあった。
これまでのお話で分かるとおり、残業が多かった。
お仕事は本当に大好きだったけど、こんなに多忙な毎日を過ごしているだけで、いつのまにか年齢が重なっていくことがこわかった。
もっと体を休めながら働けるような会社で働いてみたかった。
もうひとつの理由は、気になっている彼のことを考える時間や知る時間がほしかったから。
私にはその頃、マッチングアプリで出会った、気になる人がいた。
一ヶ月に一度会う程度。
どんな人だろうって考えたいのに、彼のことを考えられる時間をつくることができなかった。
もっと会ってみたいのに、忙しさでダイエットもスキンケアもままならなくて、自信がなくて会うことができなかった。
私は、働いているあいだ多忙だったから、出かけることもなく、貯金が結構あった。
だから退職後は、就活もせずに、彼のことをゆっくり考えた。
眠る前に考えることは、私のなかで特別だった。
その特別な時間で考えるのは、毎日彼のことばかりだった。
今日はどんないちにちだったのかな、お仕事は大変だったかな、元気に過ごせたかな、何かいいことあったかな、ゆっくり眠れているといいな、そんなことばかりを考えた。
それからまもなく、彼とお付き合いすることになった。
彼は、私をよく外に連れ出してくれた。
私は外に出ることが苦手だったけど、彼はお出かけが大好きだった。
彼とお付き合いした頃には、私も3年目の東京だったのに、おうちと会社の往復しかない毎日だったから、彼が連れて行ってくれる場所は、いつもはじめてだった。
きらきらして見えた。
私の見たかった、行きたかった東京がたくさんで、うれしかった。
あんなに憧れた東京を、私は忘れていたけど、あのときのわくわくした気持ちを取り戻せるような毎日だった。
彼と一緒に過ごすなかで、お気に入りの場所がどんどんふえていった。
はじめて自分の気持ちを話せた公園。
おうちの近くにある、お皿がかわいくて、とびきりおいしいビストロ。
おしゃれな照明がたくさんある、見ているだけでわくわくするようなドーナツ屋さん。
レバーとワインがおいしい、イタリア料理のお店。
かわいいお洋服やお皿がたくさんセレクトされてる、静かなお洋服屋さん。
色のきれいなお皿をつくれて、すごくたのしかった陶芸教室。
お店で使われていたヴィンテージの食器を買える喫茶店。
お皿も、植物も、雑貨も、ぜんぶかわいくて、いい香りがする雑貨屋さん。
びっくりするくらいお肉がおいしかった、焼肉屋さん。
あんまり買えたことはなかったけど、地下にあるとびきりおしゃれな家具と雑貨のお店。
いつも真っ黒には染めてくれないけど、カットがうますぎる美容室。
おばあちゃんがやさしく話しかけてくれる、あったかい喫茶店。
枯れちゃったけど、うちの子がいちばんって思えるくらいの植物を買えたヴィンテージショップ。
ちょっと遠いけど、透明なガラスがきれいに並んでいてきれいで、ついついショップで買いすぎちゃう美術館。
毎年、寒いなか初日の出を待つ眺めのいい歩道橋。
高速道路を走ると見える、東京のまちや海。
閉店時間が過ぎてもお喋りしてくれる、おでんがおいしい居酒屋さん。
毎日人がいっぱいだけど、行列でも食べたくなるくらいおいしい中華屋さん。
たくさん、たくさん、ふえていった。
毎日、思い出がたくさんになっていった。
私は、それがものすごくうれしかった。
ものすごくうれしいのに、どこか不安だった。
思い出がふえていく。
どんどん彼が好きになっていく。
いつかなくなってしまうことを思って、いつもどこか不安に思った。
私は、最初の会社を退職してから、転職しても、転職しても、何にもうまくいかなかった。
何にも見つけられていないのに、貯金がなくなっていくばかり、うつ病が悪化していくばかり、ずっと焦っていた。
自分が小さな存在に見えた。
あんなに憧れていた東京だったけど、何にも見つけられないままだった。
転職すればするほど、自分は何にもできないことが分かるばかりだった。
このまちは、小さいはずなのにすごく大きかった。
自分がものすごく小さく見えた。
東京の空は高かった。
星が遠かった。
もう帰ったほうがいいかな。
そう思ったこともあったけど、私は家族にひとこともそんな弱音を吐かなかった。
小さい頃からずっとずっと、目指してきた場所だった。
いつか、すごい人になりたかった。
もう誰にも決められたくなくて、自分らしく生きたくて、どうしても、どうしても、行きたかった場所だった。
母と何度も喧嘩して、それでも諦められないくらい、憧れた場所だった。
はじめて自分の思いを貫き通せて、やっと来られた場所だった。
「がんばりなさいよ」そう言って家族が背中を押してくれた。
どんなにつらくても、どんなに泣き喚いても、まだここでがんばりたい私がいた。
誰よりも東京に憧れてきたような気持ちだった。
そんな思いをよそに、彼は「明日までには家を出てほしい」「東京からは必ず出て行ってほしい」そのひとこと、ふたことで、私を実家に帰すことを母に託した。
私は、彼に泣いて訴えた。
「私は東京にいたい」
彼は、何にも言わなかった。
母にも「私まだ東京にいたいよ」って泣きついた。
母は「ごめんね。あんたには選択肢がなかった。そうさせてあげたいけど、ごめんね」って謝った。
母は、彼と彼の両親から、別れることだけでなく、必ず明日までにはこの家を出ていく、東京には残さない、だから仕事は辞める、ということも約束させられていた。
母は、何にも悪くなかった。
ずっと応援してくれていたはずで、ずっと私のいちばんの味方だったのに、ごめんねって私に謝った。
母がこの約束を守ったのは、彼の両親が警察って言ったからだと思う。
たぶん、私を守りたかったんだと思う。
私は死にたくなったとき、どうしてもひとりにならないと冷静になれなかった。
彼は私をひとりにはできなくて、お互い冷静になれなかった私たちは揉み合いになった。
揉み合いになったとき、私の爪が彼の手に当たって、血が出てしまった。
彼は、もっとやっていいよって手を差し出したから、わざとやったんだと思っていたんじゃないかと思う。
怒った彼は、私に、警察行こうって言った。
彼は、私を病気だと思わせたくなくて病院に行こうって言わなかったらしかったけど、警察行こうとははっきり言えていた。
病院より、警察のほうが、よっぽどひどかった。
だから、私の病気を良くしたいとは、少しも思ってもらえていなかったように思う。
彼は、私に殺されるのが不安と言ったけど、自分が死ぬこと以外は考えたことがなかった。
ずっと誰にも見られないTwitterで、死にたい、死にたい、そう呟いてきた。
殺す、殺す、何て言ったことは一度もなかった。
これが、いつ彼に向けているものだと思われたのかは分からない。
一緒にいるあいだも、殺そうとしたことは一度もなかった。
最後にふたりで話したときも、彼を怒るでもなく、抱きしめた。
最後に過ごせる時間を大事にした。
何にも分からないまま、ずっと一緒にいた彼にも、ほとんど会ったこともない彼の両親にも、私の知らないところでぜんぶ決めつけられて、私から東京がなくなった。
母には、心配してほしくなくて、元気だよっていつも言っていた。
だから、何にも知らない母は、彼や彼の両親から言われたことをぜんぶ信じた。
怪我をさせたことは、私が悪かった。
故意じゃないとしても、悪いと思う。
だけど、それで奪われた東京はあまりにも大きく、時間が経っても、到底納得できるものではなかった。
どれだけ残業が多くて倒れそうでも、どれだけセクハラやパワハラにあっても、どれだけお前が悪いと責められても、帰りたいって言わなかった。
救急車で運ばれても、警察官に倒れているところを助けてもらっても、うつ病がひどくなっても、どうしても東京を諦めなかった。
どれだけ忙しくても、どれだけ悲しくても、どれだけつらくても、どれだけ涙を流しても、どれだけ死にたいと思っても、帰りたいって、たったのひとことを言わなかった。
「帰りたい」のひとことの重さを知っていた。
私はまだ何にも見つけられていなかった。
だから、どうしても、まだ東京でがんばりたかった。
それが彼のひとこと、ふたことで、ぜんぶ終わった。
私がしがみついた憧れの東京は、あまりにも呆気なく終わった。
ひとりにすると私が死んでしまうから。
彼の実家は、いつでも東京に行ける距離にあった。
それだから、私の気持ちは少しも分からなかったのかもしれない。
彼にどんな理由があったとしても、彼がどんなに私のことが心配だったとしても、あまりにも簡単だった。
彼は、私に相談なくこれを決めた。
私がどれだけ東京に憧れていたか、彼には分からなかったとしても、もう誰にも決められたくなくて、自分で決められるようになりなかったから、東京に行きたかった。
そんな東京を、他人の気持ちで去ることになってしまったことが、悔しくて、悲しくて、苦しくて、涙がとまらなかった。
最後には、飛行機の時間が迫っていたから、スカイツリーを見つめることもなく、走って電車に乗った。
私にとって、スカイツリーは特別だった。
好きって気持ちじゃなくて、安心だったように思う。
だから、彼とふたりで過ごすために引越した次のまちも、スカイツリーがよく見える場所で、ものすごくうれしかった。
そんなスカイツリーを、最後は見つめることすらできなかった。
それから、スカイツリーはニュースで見るようになった。
スカイツリーという言葉が聞こえるたびに、心が痛んだ。
東京のおいしいお店、東京の観光場所、東京で流行っているもの、テレビは東京で溢れていた。
私は、それを見るたびに苦しくなった。
どうしても戻りたいと思って、母に相談した。
母は、食べられない、眠れない、そんな私を東京に行かせるのは心配と反対した。
東京でひとり暮らしできるお家を探した。
お仕事を失った私が、自分の力でお家を契約できるはずもなかった。
お仕事を探した。
東京にはもういない私が、どうしてお仕事を見つけたらいいか、何も分からなかった。何も考えられないほどに混乱していた。
ぜんぶが行き止まりだった。
ぜんぶがはじめからだった。
それが、苦しくて仕方なかった。
「私って、どうして東京を出て行かないといけなかったの?どうして、そこまでされないといけなかったの?」
もうどうしようもできないことが苦しくて、私は母に聞いてしまった。
母は、私を困った顔で見つめるばかりで、何にも答えなかった。
母とは、あんなに東京に行くことで喧嘩したけど、ずっと私を応援してくれていた。
だから、彼に頼まれて私を東京に迎えに来てくれたとき「あんなに行きたがってた東京だったのにね。悔しいね。飛行機に乗ってるあいだ、あんたが東京に行った日のlineをずっと見てたんだよ」って言った。
私はそれを聞いて、子どもみたいに大声で泣いた。
本当に、本当に、私の憧れだったから。
ずっと、これを書いているあいだも、苦しくて、苦しくて、仕方ない。
この苦しさが、誰かに伝わるのかは分からないけど、彼が起こした出来ごとのなかで、いちばん苦しいことだった。
私は、彼が人生ではじめてお付き合いした人だった。
どんなときも帰りたいなんて言わなかった私が、東京を去った理由が恋愛だなんて、誰かに決められて去ったなんて、想像もしていなかった。
彼がしたことは、納得できることじゃない。
だけど、いまも彼を好きだと言える。
でも、こんなことになるなら、恋愛なんかしなければ良かった。
そう思うくらい。本当にそう強く思うくらいだったんだよ。
私にとっての東京は。
東京には、もうきっと行くことはないのだろうと思う。
彼とのお気に入りの場所にも、もう行くことはできない。
テレビで見る東京のまち。
もう私には遠かった。
きらきらして見えたまちは、どんどん明かりが消えていく。
何にも見つけられないまま。
遠くなって、消えていく。