
もうすぐ死んでしまうから
私は、小さい頃から、もういなくなってしまいたいと思ったことが何度もあった。
小学5年生のとき、朝教室に入ると、私の机にクラスメイトがたくさん集まっていた。私が来たことが分かると、みんな去っていった。
休み時間も移動教室も、体育での2人組も、ずっと一緒だった友人に話しかけると、聞こえないふりをして去っていった。
自分がここに存在していないみたいだった。
友人が話してくれないことがどうしても苦しかったのは、小学1年生のときからずっと親友だよねって言いあってきたからだった。秋も終わる頃、背の高い大きな木の下で「私たちずっと親友だよね」って手を繋いで言ってくれたことを、私はずっと忘れなかった。幼かったのに、うれしかったからか、ずっと心に残っていて、大事に思っていた。
このいじめは何ヶ月もつづいた。
そのあいだに私は、みんなに好かれるようにがんばらないとと思うようになってしまっていた。
少しでもいじめが穏やかな日があれば、その日にしたことを毎日つづけないと、いじめがひどくなると思った。
顔を洗うのは3回、靴は右から履く、歩き出すのは左足から、教室に入るのは右足から、挨拶のときの礼は友人と同じタイミングと深さ、自分のなかでのルールは毎日、毎日増えていった。
いくつもある自分のルールを守らないと、一日が最低な日になると思い込んだ。
いじめられる夢を見て、助けてって起きる日が何回もあった。
毎日行きたくないと思っていて、朝のめざましテレビで見る占いが、こわくて仕方なかった。
それでも、おうちに帰ってきたら、何でもないみたいに笑って、ごはんも残さず食べた。
学校を休んだ日は、一度もなかった。
誰にも心配かけたくないのに、誰か助けて、誰か気づいてって、心がずっと苦しかった。
私は、休日に家族とお出かけしなくなって、ひとりになるようになった。
理由は、もういなくなってしまいたかったから。
おうちのベランダの柵に座ったり、階段のいちばん上に立ったりした。何回も、何回も飛び降りようとしたのに、座っているだけ、立っているだけで、進むことはできなかった。
私がこの出来ごとにあってしまったのは、親友の友人が好きだった人が、私のことを好きになってしまったから。
人のことが、もうどうしても信じられなくなって、自分のことを偽るようになって、本当の自分はずっと奥底に閉まっておくようになった。
それからも、いじめられて、元通りになっての繰り返しだった。
苦しくて、何度も消えてしまいたいと思ったのに、できなかった。
ずっと自分の価値が分からなかったけど、大学生になった頃、クラスメイトは自分を生きている人がたくさんいた。みんな、自分に自信を持っているみたいだった。それが何だかすごくきらきらして見えて、自分を少しずつゆるめていくことができた。
久しぶりに自分らしく生きられていて、いちばんしあわせな時間だったかもしれない。
いちばん最初に働いた会社は、すごくたのしかった。
たのしかったけど、ものすごく多忙だった。
眠れない日が多くて、食事の時間も取れないほどだった。おうちには、ぜんぜん帰れなかった。会社に泊まることのほうが多かった。
おうちはどんどん散らかっていって、電気代も払うことを忘れてしまうくらい、生活がうまくいかなくなっていった。
それでも、お仕事だけは手を抜くことがなかった。ミスをすることもなかった。
5日徹夜して、やっと眠れることができたのは、たったの2時間。2時間後に響き渡る目覚ましも、ちゃんととめて、シャワーを浴びて、洗濯物を済まして、始発で会社に向かう。
生活はぎりぎりだったけど、がんばることしか頭になかった。
そんななかで、父は私に「何にもできない」と言った。父に頼まれたことを、私は忘れてしまっていて、できていなかった。
たったひとことが、頭から離れなかった。ちゃんとできていると思っていたお仕事さえ、できているか何にも分からなくなった。
気づかないうちに、自分には価値がない、自分はいないほうがいいって、いなくなることばかり考えるようになった。でも、死ぬことはできなかった。駅のホームで、飛び降りたいと思っているだけ。毎日、過呼吸が止まらないだけ。それだけだった。
病院では、うつ病って言われた。
それでも一ヶ月後には会社に復帰して、またいつもどおり働いた。
そうなってニ年くらいが経った頃、はじめて私に支えてくれる人ができた。
付き合う前、息の仕方が分からなくなった日があって、私は嫌われたと思ったのに、彼はずっとやさしかった。
それからニ週間が経った頃、告白されて、お付き合いすることになった。
私の心の難しいところは、付き合う前から話してきた。
はじめてのことばかりで、人との距離感も何にも分からなかった。迷いながら進んできたけど、それでも好きは大きくなっていくばかりだった。
人に本当の気持ちを伝えること、食べたいものを食べたいって言うこと、自分の好きな音楽や映画を教えること、行きたい場所に行きたいって言うこと、ひとりでなくてもよく眠れること、ぜんぶできないことだったから、できるようになっていく自分がいいなって思うのに、ゆるめられた自分でも好きでいてもらえるのか分からなくて、好きの隣にはずっと不安があった。
彼は、ゆるめられていく私を見て「うれしい」と言った。
私は、何か変えたいと思って、お仕事を辞めることにした。
彼には言ったことがなかったけど、彼のことをゆっくり考えたり、知る時間がほしかった。
だから、お仕事を辞めたかった。
彼に言わなかったのは、自分のせいで辞めたと思われるのは良くない気がしたから。
誰かのせいにして逃げるのは、好きじゃなかった。
お付き合いして半年と少しが経った頃、新しいお仕事をはじめた。
やっと見つけたお仕事だったから、どうしてもがんばりたかった。
そう思っていたけど、働いてみたら、自分が女性として求められていることに気づいた。
それ以外のお仕事は、毎日怒られた。やり方が分からなくても、こわくて聞くことができなかった。自分が何をしているか分からなくなって、仕事だけはできるって自信があったのに、何にもなくなって、毎日電車を降りたら泣きながら向かった。
私には、もう女性としてのお仕事しかできないんだって、思うようになった。
何度も飲み会に行っては、女性としか役に立たないよって突きつけられて、心がもう限界だった。
飲み会の帰り道、最寄駅について、おうちまで歩いているあいだ、誰も何にも知らないまちに行きたいなあって思った。
おうちには帰れなかった。
バス停の椅子に、何時間も座っていた。
生まれ変わりたい、消えたい、死んじゃいたいって、何度も何度も泣いた。
そんななか、彼が心配して電話をかけてくれた。
雨のなか、何時間でも探してくれた。
見つけてくれて、抱きしめてくれた。
それが、あったかかった。
いますぐ死にたかったのに、大丈夫って言ってくれるから、大丈夫になりたかった。
何にも話せなかったけど、どう話したらいいかも分からなかったけど、大丈夫になれるように、自分の心の限界を見ないように、見ないように、そうやって、大丈夫、大丈夫って言い聞かせるしかなかった。
それからも、社員旅行、カラオケ、飲み会でのセクハラはたくさんあった。触られる、写真を撮られる、言葉、もう心がいっぱいいっぱいだったのに、笑うことでしか自分を保てなかった。
嫌なのに、何でもないみたいに笑って過ごせる自分が、気持ち悪くて仕方なかった。
飲み会の帰り道、どうしても振り切れなくて、ふたりになった。
ホテルに誘われたけど、生理だって断れた。
そしたら、人通りのない建物の影で、キスされた。触られた。
私は、何でもないみたいに笑うことしかできなかった。
ひとりになって、電車には乗れなかった。
こわかったのに、笑っていた自分のことが気持ち悪くて、自分を殺したくて仕方なかった。
いまさら泣ける自分が、分からなかった。
あのときの匂い、温度、触れたときの手、笑ったときの口元、何度も思い出して、気持ち悪くなって、何にも消えなかった。
おうちには、歩いて帰った。
そのあいだ、何度も道路に飛び出して、死んでしまおうと思った。
おうちに近くなった頃、彼が迎えにきてくれた。
おかえりって、ふつうに言ってくれる彼を見て、私は笑ったり、酔っふりをしたり、冗談を言ったり、自分を偽ることしかできなかった。
ぎりぎりで生きているのに、まだ笑えてしまう自分が気持ち悪かった。
こんなことがあったって話したら、嫌われる、自分も嫌い、苦しい、苦しいって、誰にも言わないことを選んだ。
ずっとひとりで抱えて生きてきた。
思い出しては泣くことを繰り返した。
それから、このお仕事は辞めることになったのに、私のなかに強くうまれた死にたいは、少しも消えなかった。
辞めてみたら、自分が女性としてのお仕事しかできなかったことに気づいて、どんどん自分が曲がっていくのが分かった。
いつだって、死んでもいいと思って生きるようになってた。
彼は、言いたくないことは言わなくていいよってやさしかったけど、私は話したかった。
でも彼は、聞きたくないこともたくさんあるようだった。だから、ぜんぶを話さなくていいよって言われているような気がして、言えないことがたくさんあった。
死にたいと思っていることも、死のうとしてからじゃないと伝わらなかった。
つぎに働いた会社も、自分が何にもできないことをよく分からせてくれた。
私が入ったら、人がみんないなくなった。
逃げないとって思ったのに、あなたがいなくなったらこの会社が潰れる、私がつくったこの会社の歴史をどうしてくれるんだ、あなたがひとりで働いていくことは決まってた。
もう頭がぐるぐるしてきて、生きているのか、自分が存在しているのか、何にも分からなくなって、会社を飛び出して、泣き喚いていた。
息ができなくなっていた。
もう心が限界。死にたい、死にたいって、生きることがどうでも良くなった。
それでも、側にいる人を大事にしたかった。
いつだって、大事に思った。
生きたくないのに、それだけはどうしても大事にしたかった。
もう限界なのに、一緒に暮らしたくて、働きたかった。
だから、休まずに就活をはじめた。
病院には行けなかった。保険証がなかった。
いつからか、病院ってことが浮かばなくなっていった。忘れてた。
生きる理由が、大事な人がいるから。
それが良くないことなんて分かってるのに、それ以外に理由がなかった。
依存って言われてから、愛し方も分からなくなった。
自分が悪いことも分かってるのに、ひとりになるとぜんぶ思い出す。
ひとりで泣いていることに心地良くなっていると、必ず彼は心配して連絡してくれる。
ひとりで抱えていてもいいのに、ふたりにしようとしてくれる。
好きだけど、苦しいをどこに置いたらいいか分からなくて、本当のことは何にも言えないまま、笑って生きてきた。
だから、突然泣いたり、突然怒ったり、そうやって突然変わっていく私のことが、彼はすごくこわかったのだと思う。
どうしてこうなるのか、止められないのか、何にも分からなくて、自分のことなのに、自分がいちばん限界だった。
前の私に戻りたい、ずっとそうやって心が泣いていた。
もう誰かに殺してほしかった。
いつからか、ちゃんと死のうとするようになっていた。
最初は、かみそりだった。彼は、だめだよ、みんな悲しむよって止めてくれた。
次は、シャワーのホースだった。首を苦しくなるくらい絞めた。苦しかったけど、内出血ができるだけだった。彼は、大丈夫って心配した。
それから、ポーチの中にはずっと首を絞められる紐を入れるようにした。死にたいときに、いつでも死ねるように。
何回も、何回も、死のうとした。
彼は、ひとりになりたいと言っても、ひとりにしようとしなかった。
そんななかで、私の爪が彼の手に当たってしまって、血が出てしまった。
彼はそれに怒って、警察行こうって言った。
私は、ひとりじゃないと冷静になれなくて、自分に大丈夫って言い聞かせてあげられない。
ひとりじゃないと、静かに泣くことも難しかった。
彼がいると、いまここにある感情を、彼にぶつけて泣き喚いてしまうことが嫌だった。
思ってもないような言葉がいくつも出てくる。
人を遠ざけて、ひとりになりたかった。
自分をそんなことでしか守れなくなっていった。
そんな自分が、大嫌いだった。
もうこれ以上、彼が悲しい顔をするのを見たくなかった。
大事だから。
だから、ひとりになりたかった。
冷静になりたかった。
彼は、ひとりにしてほしいって言ってもひとりにはしない、でも、出ていってほしいって言うとひとりにしてくれるようになった。
それが、最初は何にも思わなかったのに、だんだん死んでほしいって言われているような気がした。
いつからか、誰かの声が聞こえるようになっていた。
渋滞でも、電車でも、人混みでも、会社でも、何かあるとすぐに「あなたのせいだよ」「あなたが生きてるから」「だからこんな不幸なことが起きるんだよ」って、誰かも分からない声がたくさん聞こえてきた。逃げないと、逃げないとって、あんなにゆっくり過ごすことが好きだったのに、どんどん歩くスピードは速くなっていって、別人みたいだった。
「あなたのことは嫌い」「あなたのことなんかどうでもいい」「あなたとは別れたい」「あなたには死んでほしいと思ってる」彼からもたくさん聞こえてきた。
毎日、自分が生きてることがこわかった。
自分の死を望んでいる人が、たくさんいると思った。
こんなにもこわいのに、それでもずっと大好きだった。
好きだから、ずっと一緒にいることを願った。
一緒にいることがこわい、ずっと一緒にいたい、それをずっと繰り返した。
過去の出来ごとを何にも忘れられないこと、彼にずっと迷惑をかけていること、生きることがうまくいかないこと、ひとりで抱えていることが多すぎた。
死にたい、死にたい。もう死んでしまおうって、遺書を書いた。
首を何回も何回も強く締めた。
視界がどんどん暗くなっていって、耳が聞こえなくなって、そのまま倒れたような気がした。
死んでしまえたと思ったのに、気絶しかできなかった。
死にたいのに、どうしても死ねなかった。
もう誰か助けてって、すぐに彼が浮かんだのに、苦しいって伝えても助けには来てくれなかった。嫌われてるって分かってた。
だから、言えなかった。
警察に連絡しようって思ったのに、このおうちに呼んだら、彼とはもう二度と生活できなくなる。そう思ったらできなかった。
こんなに死にたいのに、最後まで一緒に生活したい気持ちを捨てられなかった。
もうどうしようもできない。
私は「もう誰か殺してください」「苦しいよ」「おねがい、助けて」って言いながら、ひとりで泣いていた。誰にも届かないのに、ずっと「おねがいします」って言ってた。
誰に助けを求めたらいいかも分からなくて、一日以上が経った頃、彼に「助けてほしい」って連絡していた。彼は「分かった」って返してくれた。
もうこんなことの繰り返しが嫌だった。
誰のことも苦しくさせたくない。
こんな自分から抜け出したい。
幸せになりたい。
どうしても、がんばりたいって思えた。
助けに来てくれた彼に「がんばるから、一緒にいてほしい」と言った。彼は「分かったよ」って言った。
彼は「まずは、この状況をお母さんに話してみたら。はやいほうがいいんじゃない」って言った。
いままで、母には死にたいなんて言ったことなかったけど、彼だけに負担をかけてばかりはいられない。助けてくれる人は多いほうがいい。心配されないように生きてきたけど、変わらなきゃって思って、話すことにした。母は、驚くほど私の話をすんなりと受け入れてくれて、こんなにも簡単だったんだと思った。
他のことも、もっとがんばれるような気がしてうれしかった。
会社も、出社の時間が遅いと誰かに悪く言われているようで、今まではずっと急ぎたかった。だけど、ゆっくり行ってみたら、誰にも何も言われなかった。
心に余裕ができていった。前の自分が見えてきているような気がした。また元に戻れるような気がして、明るかった。
少しずつ、少しずつ、そんなようにしか進んでこられなかったかもしれないけど、がんばれている自分がうれしかった。
生きるのが、ちょっとたのしかった。
生きてみてもいいかもって思えた。
それから一週間が経った頃、眠っていたら、母が突然「久しぶり」っておうちを訪ねてきた。
私は、それまで母と会う夢を見ていて、起きたら本当に会えて、うれしかった。私は、笑っていた。
母は、少し泣いていた。
彼は、もう隣には眠っていなくて、寝室とは離れた部屋で、たくさん泣いている声が聞こえてきた。
母が何かいいこと言ってくれたのかなって思ってた。
母は私に「ずっと一緒にいるからね。大丈夫だよ。家族みんなで守るから」って言った。
私は、彼と別れるんだってことが、そのひとことで分かって、泣き喚いた。
母と彼と3人で話すなかで、私たちが別れること、明日には引っ越すこと、会社にはもう行けないことを知った。
会社には行きたい、東京に住みたいって言っても、誰もいいよとは言わなかった。
彼とふたりで話すことになって、状況の分からない私は、「どうして?」「この前がんばるって言ったのに。まだ私がんばれるよ」「誰がなんて言っても、私は好きでいるよ」って、よく分からないまま伝えた。
彼はこう言って泣く私を見て、「お母さんも呼んで、こんな大きなことして、元には戻れないよ」「好きだけど、この別れを止められないし、もうどうしたらいいか分からない」「まだ好きだよ」って言った。
誰かにきっと、別れなさいって言われたんだと思った。
きっと病気を治したら、また会えるんだと思って、さよならをした。
「ずっと忘れないよ」って言って、抱きしめあった。ふたりで一緒につくったペアリングのひとつ、私がいつも右手の薬指につけている指輪をあげた。いつか迎えに来てくれると思ったから。
彼は「いってきます」って言って、家を出ていった。
母は、彼がいなくなった後、私にぜんぶ教えてくれた。
彼は、一ヶ月も前から、母に私を迎えに来てほしいって連絡していたらしかった。この計画は、ぜんぶ彼が考えたものだった。
そのなかで、彼は私の悪いところを母にたくさん話していた。
私のせいで仕事に集中できない。資格もとれなかった。
私は仕事を無断欠勤することが多いから、給料が低い。だから、お金がなくて何にも払えない。
会社では重要な役割じゃないから、すぐに辞められる。だから、突然辞めても問題ない。
私に手を傷つけられた。包丁で。
すぐにでも帰ってほしい。いつなら迎えに来られますか。
荷物は自分が送るから、その日に帰ってほしい。
いっぱいいっぱいだった。
ふたりで笑って過ごしていたあいだにも、こんなことを考えていたなんて、少しも知らなかった。
昨日までは、いつもどおりの毎日だった。
会社からいつもどおり一緒に帰って、一緒にスーパーに行って、一緒にごはんを食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に眠った。
何にも気づかなかった。
資格取らなくて良くなったって、うれしそうに話してくれた朝を覚えてた。
体調悪いなら休んだらって、ゆっくり休んでねって、そう言ってくれたから、自分に少しやさしくなれた。
夜遅くまでお仕事をがんばること、電車でも、お休みの日でもお仕事をしていること、ぜんぶ見てくれていたと思ってた。
手を傷つけてしまったのは事実だったけど、包丁じゃなかった。爪があたってしまった。わざとじゃなかった。
私が、がんばるよって言って、分かったって言ってくれたのは、ただ計画を予定どおりに進めるためだった。
彼が、私と別れたかったことは、すごくよく分かった。すごくよく理解できた。
私は、ずっとふつうにはなれなかった。ふつうになりたいのに、いくつも抱えすぎて、大丈夫になることができなかった。
そんな人が、いつまでも一緒にいてくださいって、言っていてもいいはずがなかった。
いつだって、私は彼のことを幸せにはできてない。彼は私といると幸せにはなれない。だから、彼とは別れなきゃ、別れなきゃ、ずっとそう思ってきた。だから、ずっと苦しかった。
好きだから、こうなってしまったことは悲しい。
だけど、これで良かったと思うしかなかった。
きっと彼は、幸せになれるから。
彼は、秘密に計画を進めていたらしかった。
私が母に「死にたいと思ってしまう。彼にばかり負担をかけていられない。だから、助けてほしい」って連絡したとき、母がよく受け入れてくれたのは、彼から母にすでに迎えにきてほしいと連絡をしていたからだった。
そのあと、母と電話したけど、母は私に何にも教えなかった。母は彼から、私にはぜったいに言わないでと言われていた。
母は私と電話したあと、彼に「いま娘はすごくちゃんと話ができるから、話し合いができるんじゃない?」って言ってくれたけど、彼は「機嫌がすぐに変わるから、ぜったいに言わないでください」って言われたようだった。
母がこんなにも信じるのは、私と一緒にいてくれた時間が長かったからだった。実家に挨拶にも来てくれて、父も母も、いい人だねって言ってくれるような人だったから。私が彼を包丁で刺して手に傷をつけてしまったと聞いて、すごく謝ったらしかった。私が傷つけてしまったことは正しかったけど、本当は爪だった。誰もちゃんと教えてくれなかったから、私が人のことを刺してしまうくらい、本当に大変なんだと思って、母は私には何にも知らせずに、計画どおりに動いた。
母は、私のことを迎えに来る前、彼の両親に会うようにスケジュールされていたみたいだった。そこでも、同じように私の悪口を聞いた。もう二度と会わないように、二度と連絡を取らないようにって、言われたみたいだった。
「息子がはっきり伝えてくれると思います」って言って終わったらしかったのに、彼は何にも言わなかった。だから母は最後に彼に、「人の気持ちってそんな簡単じゃないよ。こんな残酷な別れ方、人間不信になるよ。娘はこんなにちゃんと話ができるんだから、話し合いはできたんじゃないの」って言ってた。彼は「はい、すみません」とだけ言っていた。
彼とは、最後におうちで別れてからも、lineで少しだけやり取りした。
これを彼が本当に言ったのか信じられなくて、「本当にこんなこと言ったの?」って聞いたけど、それについての返信はこなかった。だけど、いままでのことを何にも知らない母が、嘘で言えるほどのことではなかったから、本当に言ったんだろうなって分かることしかできなかった。
彼は、心理学部を卒業した人だった。ゼミの先生に相談していたらしかった。それだから、仕事に集中できなかったと言っていた。先生は、病院に行ったほうがいいかもねって言ってくれたみたいだった。でも、病院には連れて行かなかった。行ったほうがいいんじゃないって、言ってくれたこともなかった。私を、病気だって思わせたくなかったからって言ってた。でも私は、お付き合いする前から、病気だって教えてて、病院に行っていたことも知っていた。私は、そんな都合のいいことだけを信じられるような、単純な人間じゃなかった。
がんばるって決めたタイミングだった。こんな出来ごとが起きてからも、仕事は辞めたくない、東京からも出たくないって、ずっと言ってた。それでも何にも変わらなかった。「私を壊したかったの?」って聞くと、彼は「そんなこと思われていて悲しい」「自分がどれだけの気持ちでこんなことをしようと思ったか」って言った。それだったら、どうしてお仕事も、東京も、強制的に出て行かないといけなかったのか。あんなに泣いて訴えたのに、何にも変わらなかったことが分からなかった。どうして自分の気持ちだけなのか、分からなかった。私のことだから、私に聞いてほしかった。私の話をきいてほしかった。私が死んでしまうからって言ってしまえば都合がいいけど、私にも辞めたくない、ここにいたい理由がたくさんあった。
お仕事は、2ヶ月後には辞める予定だった。今まで心が限界になって、突然辞めてきた。だから、今回はそうならないように、最後までがんばれたって思って辞めたかった。それが、自信にもつながるかもしれないって思ったから。どうしても、最後までがんばりたかった。
東京には、小学生の頃から住むことを夢見て、やっと住めた場所だった。すごくうれしかったのに、何にもできなくて、もう帰ったほうがいいかもって思うことも何回もあったけど、それでも何かを見つけたくて、家族に帰りたいって話したことは一度もなかった。自分でもうだめだって思うまで、がんばりたかった。
これは、彼も知っていたはずだった。
話したことが、何回もあった。
毎日、何が本当なのかも分からない。
彼が送ってくれるlineは、母が言っていることとぜんぜんちがう。
質問には、ちゃんと答えるよ。
会いたいと思ってくれているのなら、今はできないけど会いに行くよって、そう言ってくれてもいた。
本当のことを知りたくて、電話をかけた。
何回も、何回も。
彼が、私に何回も電話をかけてくれて、何時間も探してくれたことを、ずっと覚えていたから。私も、そうしたいって思った。
電話には出なかった。出れないって言った。理由は言わなかった。
会いに行かないと、届かないことがあるのかもしれないと思って、「東京行くよ」「いちばん最初に気持ちを伝えてくれた公園で待ってるね」って言った。
そしたら母に、彼から連絡があった。
「何度も電話をかけられて、迷惑です。会いに来るとも言っています。距離もあるからそんなことはないかもしれないけど、殺されるのではないかと、不安で毎日心が休まりません。ブロックして、逆恨みされるのではないかと、こわいです」
私は、涙が止まらなかった。
だけど、本当に彼がこんなこと言っているのか分からなくて、信じられなくて、頭のなかがぐちゃぐちゃだった。
そんなとき、私にも彼からlineが届いた。
「もう納得してもらうことはできない。もう気持ちはない。もう会わないし、連絡も取らない」
ついこの前までのlineとはぜんぜんちがって、もう何にも分からなくなった。
今まで、彼の手は私の爪で傷つけたと思ってたけど、包丁だったのかなって、自分のことが何にも分からなくなった。自分のことが、こわくて仕方なかった。
私は「もう私が、包丁で刺しちゃったのかな」って言って、泣き喚いた。
母は、「ちがうよ」ってすぐに否定してくれた。だけど、私は混乱したままで、そのあと、過呼吸になった。
母は「どれだけ苦しめれば気が済むの」って言って、泣いていた。
久しぶりの長い過呼吸だった。
過呼吸になって救急車で運ばれてしまったとき、彼に少し嫌だったって言われたことがあったから、過呼吸にならないようにがんばってきた。それから、ほとんど過呼吸になることもなくなって、なったとしても1分も経たないうちにおさまるようになった。
ずっと、ずっと、大丈夫って自分に言い聞かせて耐えてきたけど、もう大丈夫って自分に言ってあげることができなくて、呼吸がはやくなっていくのを止められなかった。
それから、死にたい、死にたいって、毎日考えた。
こんなことを抱えたまま、生きていけるはずがなかった。
何にも食べられなくなった。体重は、今までにないくらい減っていった。
眠れなくなった。夢を見ることがこわかった。眠るとちゃんと考えられるようになるのがこわかった。
妹たちが心配して、私を外に連れ出してくれた。
何を見ても、彼と一緒に出かけたこと、彼と一緒に選んだ服、彼と一緒に食べたごはん、彼と一緒に選んだプレゼント、たくさん思い出して、苦しくなった。
でも、彼のことを思い出しては、私はストーカーって思われてるから、こんなことを考えるのもストーカーなのかなって、思い出がすーって消えていくみたいだった。
ぜんぶ忘れてしまえばいいやって、なかったことにしようとしたのに、それだと自分が傷つけてしまったことまでなくなってしまう気がして、それはずるい気がして、忘れようとする自分が許せなかった。
ぜんぶ受け入れよう。そう思うのに、受け入れながら生きていくことが難しかった。
母からも、ぜんぶ聞いた。彼からの話も、ぜんぶ受け入れた。彼の両親が悪く思っていたことも、ぜんぶ聞いた。
私がぜんぶ悪い、ぜんぶ私のせい、これを受け入れないと話が終わらないみたいだった。
死にたかったのも、殺されたかったのも、私だけだった。いつ、彼にとってそれが変わってしまったのか、何にも分からなかった。
母は彼の両親から「息子を助けてください」って言われたらしかった。私が一緒にいてほしいって言ったのは、一週間前の、がんばるって言ったときだけだった。無理に言ったことは、一度もなかった。
彼は、すぐに両親を頼る人だった。だから、私が最初に死にたがったとき、パニックになって、すぐに自分の両親に連絡した。そのとき彼の両親は、彼に落ち着きなさいって言って、そのあとはふつうの話をしていた。笑っていた。私には、ごはん行こうねって笑って言っていたみたいだったけど、それから何かを聞いてくれたことは、一度もなかった。私も助けてほしかったけど、助けてくれたことはなかった。大事の範囲には、入れていなかった。
彼が「助けて」って家族を頼ったのかは分からないけど、死にたいとも思っていないのに、人のことを頼ることができて、人のことをすぐに動かすことができる。簡単でいいなと思ってしまう私がいた。私は、死にたいと思っても、こんなに助けてはもらえなかった。
自分と自分の家族がいちばん大事なのは、すごくよく分かる。だけど、人の人生を決めるような大きなことを、ひとりの気持ちだけ聞いて、判断されて、計画されていくことが、どうしても悲しかった。
私が好きだった場所、住みたかった場所、好きだった人、がんばりたかったお仕事、ぜんぶ奪って、死んでって言われてるみたいだった。
計画は、実行前から実行後まで、綿密だった。そこまで想像ができるから、私が死んでしまうことを考えるのも、容易だったと思う。
私の実家のまわりには、心の病院はほとんどなかった。東京に戻りたくても、お仕事をしていない私がおうちを借りられるはずがなかった。お仕事を探したくても、もう東京にはいないのに、どうしたらいいのか分からなかった。
それも、きっとぜんぶ計画どおり。
いろんなことがいきどまりで、死んでしまうことしか考えられないようになっていた。
毎日のように、遺書を書いた。
どうやって死んだら死に切れるのか、毎日考えた。
死ねるような道具も、誰にもばれないように準備した。
それでも私は、彼のことを恨んだりできなかった。
いままでのことがぜんぶ嘘だったとしても、それでも一緒にいてくれたのは事実だったから。
最初から面倒だったのかもしれない。だけど、限界まで一緒にいてくれたんじゃないかと思った。
「彼のほうが弱い人だったね」「彼に腹が立つ」「好きだったらどんなことがあっても守るでしょ」「この前までふつうだったのに、こわすぎる」友人たちはそう言ってくれたけど、そうだよねとは言えなかった。
母は「あんたは、もし反対の立場になったら、彼が死にたいって言ってきたら、家族がどんなに反対しても、縁を切ってでも一緒にいるし、守るでしょ」そう言った。私は、本当にそうだった。だから、涙が止まらなかった。私は、どんなことがあっても守りたいと思ってもらえるような人間にはなれていなかった。だけど、私にとって彼はそんな人だった。そのくらい大事に思える人だった。
そんなことが分かっていても、どうしても嫌いにはなれなかった。
本当に好きだったから、自分がどんなにぼろぼろになっても、守りたかった。
私だって幸せにしてあげたかったし、一緒に幸せになりたかったよ。
ストーカーって思われてるから、伝えることはできなかったけど、いまも大好きって言えるくらいだった。
でも、それが叶わない現実があることは、よく分かってる。
だから、会いに行かない。
住所も、会社も、ぜんぶ分かってるけど、会いに行かない。
一緒にいるあいだも、殺そうとしたことなんて一度もない。最後にふたりになったときも、殺そうなんてしなかった。抱きしめたよ。
いますぐにでも会いに行きたいけど、ぜったいに会いに行かない。
それが、いま私のできるせいいっぱいの好きって気持ちだった。
私は、彼にもう気持ちはないって言われてから、lineをブロックされてる。
何にも届かないって分かってるから、寂しくなったらそこに言葉を送るようにした。
雪が降ったら写真を送った。
でも、既読はずっとつかない。
届かないってことが、いつのまにか安心になっていた。
彼は私と話すことを望んでないから、いまも届いてしまっていたら、私の寂しさの置き場所は、どこにもなかった。
悲しいけど、私にとっては唯一、届かないlineがあることが救いだった。
彼らのせいで私は死ぬわけじゃない。
私が死ぬことで、誰かに苦しんでほしいわけじゃない。
家族にも、誰かを恨んでほしいわけじゃない。
家族にも、彼にも、彼の家族にも、これまで会社で嫌なことしてきた人たちにも、学生時代にいじめてきた人たちにも、何か不幸があればいいと思ったことは一度もない。
ばかみたいだけど、嫌なことしてきた人たちも、ときどき思い出して、元気かなあって思ったりする。
がんばって生きてきたんだよ。
がんばって生きてきたから、助けてって言ってしまった。
何がいけなかったのか、どこで立ち止まったら良かったのか、考えられないほどに心がぼろぼろだった。
自分の心の痛さを見ないふりしてきた。
癒えないまま、進んできた。
傷が多すぎた。
たくさん抱えすぎた。
こんなこと言ったらまだまだだよって思う人もいるかもしれないけど、人よりもちょっとつらいことが多かったのかも。
心がもう限界だった。
人が死んでしまうこと、誰だって自分のせいだとは思いたくないし、そんなことからは逃げたいんじゃないかと思う。
そんなことは思わなくてもいいの。
私が悪かったことは、事実だから。それでいいから、逃げずに考えてほしい。
本当にこんなことをするべきだったのか、本当に病院に連れて行かないことが最善だったのか、ひとりの気持ちで何にも知らない他人のことを決めつけて良かったのか、話し合わなくても良かったのか、何が本当かどうして死にたいと思ったか聞かないままで良かったのか、どうしてこんなに苦しいのに何にも捨てないで諦めないで生きてきたのか、助けてって伝えたのか、自分たちが計画してきたことがどれだけ大きなことだったのか。
どうか、もう誰も、苦しい気持ちにならないでほしい。
自分が殺されそうだったからと言って逃げてしまえば、何にもとらわれることはないけど、考えてほしいよ。
彼だけで決められたことだとは、どうしても思えないよ。
きっと、手を傷つけられて、怒って、両親に大きく話しちゃったら、ぜんぶを止められなくなっちゃったんじゃないかと思うの。
本当にごめんね。私の心がこんなにだめで。
逃げてばかりじゃきっと、何度も思い出す。
そんなの幸せになれないと思う。
だから、一度でいいから、考えてほしい。
そしたら、仲直りして、終わりにしよう。
私が死ぬことを、悲しまなくてもいいから、この話に終わりがほしい。
いままでのことが嘘だったとしたら、ありがとうって思っていていいのかも分からないけど、ありがとうって、ずっと思っていたいよ。
彼のなかでは、もう終わったことなのかもしれない。
だけど、ひとりで終わりにすることは終わりじゃないって、教えてくれたのはあなただったから。
いつからか、人に自分の価値を委ねるようになってしまってた。誰かに認めてもらえていないと、生きている意味が何にもないと思ってしまっていた。
自分の価値がひとつもないと思った。唯一、見つけられた価値は、性別だけだった。それが、気持ち悪くて仕方なかった。
苦しくても、誰かに話せなかった。心配かけないように。笑うことで自分を保ってきた。
自分の心の苦しさを、ずっと見ないふりしてきた。大丈夫、大丈夫って言い聞かせて、思い込むようにしてきた。
大丈夫なふりはできるのに、大丈夫には、ずっとなれなかった。
ふつうになりたいのに、ずっとふつうにはなれなかった。
本当は、大事な人も、知らない誰かのことも、私のように苦しんだりしないように、みんな救いたかった。
だけど、難しいかも。
だから、いま伝えられることを伝えておきたい。
きっと、悩みすぎてしまう人、苦しんでしまう人は、ずっとがんばって生きてきた。
だから、心が苦しくなったら、もうがんばろうとしないでいいよ。たくさん休んでほしい。たくさん泣いてもいいし、もう我慢しないで。
どうするかは、休んだあとに考えよう。
休めないよって思うかもしれないけど、休んでほしいよ。
あなたには、あなたをいちばん大事にしてほしい。
だから、お仕事を休むための嘘、辞めるための嘘、そんなのはいくらでもついていいんだよ。
急に行かなくなっても、急に連絡しなくなっても、それでもいい。
そんなにがんばって生きなくてもいいの。
いままでたくさんがんばってきたんだから、いくらでも逃げていいんだよ。
自分を守ることだけを考えてね。
考えても、考えても、自分のせいだ、ぜんぶ自分が悪いんだって、もう責めたりしないで。
あなただけが悪かったなんてことは、ぜったいにないよ。
仕事とか、お金とか、たくさん気になる。
大丈夫なんて、簡単には言えない。
がんばって生きてきたのに、周りには誰もいない、お金もない、本当に何にもないかもしれない。
それでも、あなたのことを助けたいと思う人はいるよ。
あなたの知らない人のなかにも、きっといる。
心の苦しいなかで、探すことは難しいのかもしれない。
それでも、助けたいと思う人がいることを忘れないで。
ちょっとお外に出られる気持ちになったら、病院に行こう。
予約することが、すごく大変なのも分かってる。
だけど、いつかきっと治すことができる。きっとできるよ。
急に行けない気持ちになったとしても大丈夫だよ。
焦らなくて大丈夫。
少しずつ、少しずつ、それでいいんだよ。
行けないって判断できることも、本当にすごいことだよ。
何で生きているのかも、意味も、何も分からないかもしれない。
生きたくもないのに、どうしてこんなに必死にならないといけないのか、がんばらないといけないのか、たたかわないといけないのか、分からなくなってしまうのかもしれない。
生きている意味って、本当に分からない。
死にたくならない人に、生きている意味を聞きたいよね。
でも、きっと、はっきりと答えられる人なんて少ないんじゃないかと思う。
生きている意味なんか、きっとほとんどの人が考えていない。
だから、いま苦しいあなたも、いつか苦しい気持ちがなくなるように、いつか意味なんか考えなくても笑って過ごせるように、おいしいごはんを食べて、ゆっくりと眠ってほしい。
少しでもあたたかな気持ちになってほしい。
自分にもやさしくなってほしい。
何にも保証ができない、私が何の力にもなれないことは、すごく悔しい。
あなたのことも、救いたかったです。
ここに辿り着いてくれた人が、いつかぜったいに幸せになれますように。
いつか、生きていて良かったと思える日が来ますように。
ずっと、ずっと願ってるから。
私は、きっともうすぐ死んでしまう。
私のお話を、笑っても、弱いと思っても、私にはもう届かないかもしれない。
それだから、何とでも思っていいし、笑ってもいい。
それで誰かの心が軽くなるなら、いくらでも笑っていてほしい。
がんばって生きるあなたが、どうかいつか救われますように。
笑って、幸せって、過ごせる日がきますように。
いつか、死ねませんでしたって、笑ってまたここに戻ってこられるかな。
人生はつらいことばかりだったけど、死のうとしたとき、覚えていないはずなのに、生まれたときうれしかったなあって思った。
それが、私にとって光だった。
最後にも、きっと光が見れたらいいな。
そうやっていなくなれたら、幸せだな。
助けてくれた家族、友人、たくさん、たくさん、ありがとう。
大事な人たちの幸せも、知らない誰かの幸せも、ずっと、ずっと願ってる。
やさしく、あったかく生きたかった。
生まれ変わったら、次こそは、そうやって生きていけるといいな。
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