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目を見て話すことで”人間”をより知れる(過去記事の振り返り⑭)

2年前の12月に出したこちらの記事を振り返り。

わたしは普通の人と違って見劣りしている存在。
これはつまり、他人という鏡を通して自分を否定しているということ。

相手の目を見ることは、相手から自分の目を見られることでもあります。
その目に隠れる否定という大きな枠内にある悲しみや弱さに愚かさといった複雑な要素も見られているような気がした当時のわたしは、失礼であると認識しつつも小さなプライドを守るのに必死でした。

時を経ていまは、相手を少しでも知るには、さらに理解するには目を見て話すのが相応しい。
意思疎通を図って、共通言語を引き出し、相互理解へと近づける。

このような地道な作業がとても大事に思えます。

めちゃめちゃ気を遣わせていたということは、
当時のわたしは相手を悪者にしてしまう要注意人物だった。
当時の(複数いる)相手には申し訳ない気持ちもありつつ、その失敗経験がいまを支える貴重な参考事例にもなっているという認識もあります。

目を見て話す行為をわざわざ難しくしない。
初対面の人には緊張しますが、それを盾にしないよう意識すること。
この積み重ねもあって、緊張しすぎてほぼ目を見れない→ほぼ普通に目を見れるに変わりました。

相手の目を見ることで、内側に眠る可能性を広げることもできる。
わたしの場合は、周りを頼る・任せる能力を育てるということ。
この点においても現在、順調に育っています。

相手のことも自分のこともより知れる手段という捉え方でコミュニケーションを取るのも、人生戦略のひとつと言えます。

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トモ@noteクリエイター3年目
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 ”サクセスストーリーの創作”はこれからも続きます!