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【読書】読まれる覚悟


こんにちは!エルザスです。


今回は読書感想文。
noteに投稿している人ならきっと心惹かれるタイトル、『読まれる覚悟』について書いていきます!





読んだきっかけ


私がnoteで記事を投稿するようになってから、思っていた以上に多くの方に読んでもらえています。
物書きの端くれとして、それはものすごく満たされる経験でした。でもだからこそ、「書いたら終わり」ではなく、「読まれる」ということにきちんと向き合わなければいけないな、とも思うようになりました。

そんな折、本屋さんでこの本に出会いました。

筆者の桜庭一樹さんは小説家なので、本書の内容も主に「小説が読まれること」について書かれています。
私は小説を書いているわけではないし、読む本も小説以外のほうが多い。それでも、普段あまり馴染みのない分野の話だからこそ、新しい視点が得られるのでは?と思い、読んでみました。

結果、大正解!✨


めちゃくちゃ面白かったし、考えさせられることも多く、非常に良い読書体験でした!

では、さっそく内容について見ていきましょう。


「出版された本は作者の手を離れる」

デビューしてしばらくの間、わたしにはイマジナリー読者のような人がいました。
こんな感じの人が、こんなふうに読んで、こう感動してくれるだろう……というイメージを持っていました。
(中略)
でも実際は、すべての現実の読者さんが、作家にとっては予想外の動きをします。

本書29P

一度出版された本はもう読者一人ひとりのもので、自分の手を離れていることもよくわかります。

本書32P


この考え方、めちゃくちゃ大事だなと思いました。

私は小説は書きませんが、noteに育児日記を書くとき、やっぱり「この内容なら〇〇さんには刺さるはず!」みたいなイメージは持っています。
でも、それが「こう読まれるはず」と決めつけることになってはいけないんだな、と。

読者の多い小説家は、きっと誤読や批判、誹謗中傷にさらされることも多いのでしょう。

一度投稿したら、その記事はもう「私のもの」ではなくなる。それをどう受け取るかは、読者次第。

そう考えていれば、想定外の反応があったときに動揺する必要もないし、むしろ「なるほど、そういうふうに読まれたのか!」と楽しめる、ということのようです。
これが「読まれる覚悟」の本質なのだな、と私は思いました。

ただ、誤読や一方的な非難を無制限に許容するべきかというとそうではあるまい、というのが筆者の実感のようです。さらに言えば、作者の認識と読者の読み筋と批評家の分析、それぞれには領域のせめぎ合いがあるのだ、ということもこの本を読むとわかります。
そのあたりについての細かい話は割愛しますが、ぜひ原書を当たってみてほしいと思います。


作品と作者の関係性


「作品と作者は別か?」という問いついて論じた部分も非常に考えさせられました。
この問題について、筆者はまず3つのパターンに分類しています。

①作品と作者は完全に別物の場合
②作者の価値観が作品に「混じる」場合
③作品を理解するのに作者のプロフィールが参考にされる場合

この3つのうち、筆者は特に③については違和感を持っているようです。
小説の登場人物には多かれ少なかれ作者のパーソナリティが反映されるものですが、だからといって、登場人物の心理を推察できれば作者の価値観を理解できたと言えるわけではない。それなのに読者からそういう感想を寄せられると、

あっ、この人、初対面で顔がすごく近い……みたいな気持ちになりはします。

本書55P

これは読み手として本当に気をつけなければならない問題だと思います。
それにしても、この絶妙な比喩はどうでしょう…!さすがは小説家ですね。

この問題に関しては、60Pで引用されている佐々木敦さんの指摘も興味深いものでした。

"文学全般において、小説の語り手や主人公と作家本人を素朴な意味で同一視する傾向が、読者や出版社を含む送り手の側にも強くなっている気がするんです。"

本書60P

つまり、「作品」という商品より、「作家のキャラクター」を売る時代になっている、という話です。

これはSNSやYouTubeの影響もあるんじゃないかと思います。いまや作家だけでなく、クリエイター全般に、「どんな作品を作るか」以上に「どんな人なのか」が問われる時代になっています。
かつて岡田斗司夫が唱えた『評価経済社会』にもつながるテーマだと思いました。


桜庭一樹さんについて


この本を読んで感じたのは、「桜庭一樹さんってバランス感覚がすごくいいな」ということ。

例えば、批評家が新人小説家の作品批評で、その人格を冷笑するような評価をした事例について書かれた部分。

内容について論理的に理由を述べて批判するのは批評家の仕事です。でもこの例の場合はそうでないように読めます。
批評家の側から『自分はこの小説を評価しないが、理由を論理的に説明することもしない』『冷笑的にイジることしかするつもりがない』という意思が伝わってきてしまいます。

本書85P

こう書いたあと、筆者はすぐさま自分を振り返ります。

……でも、いまこう書きながら、ふと、自分もそういう意地悪なことをしているときがあることに気がつきました。

小説に限らず、何かの作品や、芸能人の仕事の話題が出たとき。否定的な立場は明らかにしつつ、どうしてそう思うかの説明はせず、何かの言葉尻を捉えて茶化したりして、作品やその人のことを誰かと一緒に笑いあう。
理由はあいまいにしたまま、批判的な空気作りに協力する……

そういうことを、これまでの人生で一回もしたことがないとは、正直、わたしは言えないです。

本書85P


こんな内省ができるのは地味にすごい!

「人の振り見て我が振り直せ」ということわざ、大人になるとわかってきますが、「言うは易し」の典型例です。これをしっかり実践できる人って実は本当に少ない。
おそらく桜庭一樹さんは、それを無意識レベルでやっている自省的な方なのでしょう。これは凡人の能くするところではありません。


まとめ


『読まれる覚悟』を読んで、「書くこと」と「読まれること」の関係について改めて考えさせられました。

書いたものは、投稿した瞬間から自分の手を離れる。それをどう受け取るかは読者次第。
そういう謙虚な姿勢で、想定外の解釈も含めて楽しめるようになりたいです。
(もっとも、私の記事はそこまでたくさんの人に読まれているわけじゃないので、そんな心配は無用なんですが😂)

そして、「作品」と「作者」の関係
いまの時代、クリエイターは「何を作るか」だけでなく「どんな人なのか」まで問われるようになっている。これは評価経済社会の流れともリンクしていて、今後ますます強まるかもしれないと感じました。

また、桜庭一樹さんのバランス感覚の良さや、内省する姿勢も学ぶべきものが多い。
素直に「読んでよかった!」と思える素晴らしい一冊でした。


ではまた!


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