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暴漢 その3~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

中学2年生の頃、暴漢に狙われた時の話。

 時代的には高度経済成長末期、ベビープーム世代の子供たちが私たちの上の学年に居ました。
 中学は最寄り駅前に有り、駅前に代々住んでいた方々の子供と、私達のような新興住宅地に住んでいる子供が通っていました。クラス数は小学校の入学時よりも多い一学年1クラス45人で8クラス有りました。しかも旧市街の子供は荒っぽい子供が多く、上級生のクラスでは一部いわゆる不良の学生によって学級崩壊が起きていました。
 
 季節は秋、私は生徒会副会長をしていました。とても学校が荒れていて、その解消に向けて生徒さん全体のリテラシーを上げる活動をかなり積極的にやっていました。自治を推める一方で、文化祭等のレベルを高校並みに引き上げて稚拙な反社会的行動が浮いてしまうような取り組みをしていました。

 私達の支持者であった大多数の女子生徒さんが、荒っぽい方々をあからさまに相手にしないことで、私達の取り組みを支援してくださったことも功を奏しました。女子生徒さんは凡そ私達の賛同者で、味方になって具体的行動を伴って支援して下さいました。
 もっとも、長いスカートを履いた一部荒っぽい方々のガールフレンドさん達は別でしたが。(笑)

 こうして中途半端な荒っぽい方々は次第に自然消滅していきました。

 一方で腹の据わった荒っぽい方々は先鋭化していきました。

 先鋭化した荒っぽい生徒さん、いわゆる不良の方々が私に絡んで来たり、上履きに画鋲を入れたりして来ました。個人的にどうこうせず知恵を駆使してしなやかに受け流していました。お陰様でイジメに対する耐性が徹底的に鍛えられました。
(ませた支援者の女子生徒さんから「マゾなんじゃない?」とイジられた程の耐性。(笑))
 全ては公的な生徒会活動で始末をつけるというスタンスでした。

 生徒会室で打ち合わせをしていた時です。ある女子生徒さんが、
「不良の先輩達が沢山正門(私が何時も帰宅時に使う自宅に最も近い門)で待ち伏せしてる。北門(自宅には最も遠い、小さな通用門)だけ誰もいないからそこから帰って。」
と教えてくれました。生徒会室の窓からそっと正門を伺うと、確かに体格の良い生徒、同じクラスのヤンチャな同級生も見えました。
 貴重な情報をくれた女子生徒さんの勧めに従って北通用門からなるべく人通りの多い道を選んで帰宅し事なきを得ました。

 その後は待ち伏せに気をつけながら、彼らの卒業をひたすら待ちました。結局先鋭化したいわゆる不良の方々は、手つかずのまま中学校からその次の社会に送り出してしまいました。

 有り難くかつ苦い思い出です。

蛇足
 中学2年生の時、秋のマラソン大会で骨折し長期間学校を休んだ事も、待ち伏せ回避には良い方向に作用したかと思っています。

 因みに、自分の学力を過信して生徒会活動に多くの時間を使いました。その結果、最も行きたかった或る私立の超難関高校に合格できませんでした。

 高校では生徒会活動をしないと心に決める未来が待って居たのでした。

超蛇足
 私が一寸女性化したのは、余りにも中学生時代に荒っぽい男子生徒に嫌悪し、多數の女子生徒に助けてもらったからかも。(笑)

 後に知ったのですが、そもそも駅前には反社会的な方々の事務所が有って、そのご子息さん達が通われていたのだそうです。

 




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