見出し画像

父親の思い出 その10 静脈瘤~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 私が大学3年生の時のことです。

 大学入学時から極めて徐々になのですが、陰囊の片側が膨れて来ました。特に痛みもなく、固くもなく、手で触ってみると僅かな柔らかい膨らみがあるように感じるれました。しかも時によっては無くなってしまうように感じられました。
 理工学部の学生でしたので、動物の観察は得意でしたから自分を被実験動物、検体だと思って経過観察していました。そのまま2年間程度、小康を保っていました。

 随分と無理な身体の扱い方をしていたので、それが原因なのかとも心配でした。

 大学3年生の秋頃のことです。肥大化したり縮小したりしつつもだんだんと大きくなっていくことに気づきました。病院に受診することも殆どなく暮らして居ましたから、泌尿器科のかかりつけ医など無く、相談相手も無く、困って居ました。

 その頃父は、社内に居る医師から定期的に治療を受けていて、たまにその医師の派遣元である西新宿の東京医科大学病院で検査や治療も受けていました。

 それを思い出して父に思い切って状態を相談してみました。直ぐに医師に相談してくれて、翌週の社内の医務室に医師の居る時間帯に会社に来るようにと言って、受診の手配をしてくれました。

 だんだんと大きくなっていったので若年性の癌ではないかととても心配していました。今のようにインターネットで検索するといった手段もなく、情報不足のためビクビクしていました。

 とは言っても、癌だと手遅れになるかもと真剣に思っていました。授業の合間を見つけ学校を抜けて指定時刻に大手町のビルに行きました。初めての父の職場で緊張しましたが、受付の方もとても丁寧で感じよく直ぐに父に会えました。昭和の大手外資系メーカーさんの本社らしくとてもおっとりとした雰囲気でした。駅前の名門ビルできれいなのですがとても古く、天井かあまり高くないという印象でした。また扉には中が見えない大きなガラスが付いていて、部署名がガラスに英語と日本語併記で書かれていたことがとても印象に残って居ます。流石外資系。秘書室のスタッフさんを紹介され、直ぐに医務室に行きました。
 医務室も広々としていました。医師の方もとても温和でした。観察経緯を説明すると直ぐに状況を理解してくれました。直ぐに別室で触診することになり、陰囊を触診されました。静かな部屋で2人のみ、とても恥ずかしい思いをした記憶が有ります。
 
 陰囊に静脈瘤

 これが診断結果でした。特に治療の必要は無く、一生この静脈瘤と付き合って行くだけということでした。兎も角、癌では無く、問題ないということで、安堵しました。

良かった。

 呆気(あっけ)ない結末でした。帰りにも秘書室の方々に挨拶をして帰宅しました。あれこれ考え心配した2年余りが何と無駄だったか。それ以来、何か体調に違和感があったら早め早めに医師に相談するようになりました。

 その辺りは以下をご参照下さい。

 父のスマートな対応に感謝。そして初めての父の職場訪問を期せずして果たし、社会人の世界を垣間見たひとときでもありました。

 今でも大学の喧騒とは対局の驚くほど静まり返ったオフィスの雰囲気とスマートな大人の立ち振る舞いが蘇る位、社会人の世界に衝撃を受けました。

蛇足
 病院に受診しなくて良いように予防対策も工夫して色々あみ出しました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?