見出し画像

雑感記録(364)

【夜の戯言集11】


まなび

 本を
 たくさん
 頭の中に

 あるばむを
 一冊
 胸の中に

 そして
 出来るなら
 天国を
 心に深く

 わたしはもちたい

 くるかもしれぬ
 独りの時のために

谷川俊太郎「まなび」『十八歳』
(東京書籍 1993年)P.56,57

風邪から回復して数日が経つ。風邪を拗らせていた時、僕は紙タバコを吸わずにいた。電子タバコはちょこちょこ吸っていた訳だが、紙タバコは彼是2週間程吸っていなかった。

昼休み。神保町古本まつりも昨日終わりを迎え、普段の神保町へ戻っている。こういう時、僕は何だか恐ろしくなる。何事も無かったかのように周囲は平然を装っている。余韻の跡形すらなく、通行人もそして古本屋も平常運転である。それはそれで有難い部分もある反面、何だか薄情だなとも思えてしまう。しかし、立地としての部分で日常を求められるのかもしれないのかなとも考えてしまう。祭りの類が好きになれない部分はここにもある。

僕はいつも行っている古本屋の2階、喫煙所に向かい2週間ぶりの紙タバコを蒸かす。一口吸う。……何だか美味くない。味が煙っぽい。タバコの箱を見返す。いや、いつも吸っている銘柄だ。おかしい。さらに一口。……うーむ。違和感を感じながら目の前に広がる車の流れや人の流れを眺めて吸い続ける。口の中に広がる違和感を転がしながらボーっとする。


さようなら

 ぼくもういかなきゃなんない
 すぐいかなきゃなんない
 どこへいくのかわからないけど
 さくらなみきのしたをとおって
 おおどおりをしんごうでわたって
 いつもながめているやまをめじるしに
 ひとりでいかなきゃなんない
 どうしてなのかしらないけど
 おかあさんごめんなさい
 おとうさんにやさしくしてあげて
 ぼくすききらいいわずになんでもたべる
 ほんもいまよりたくさんよむとおもう
 よるになったらほしをみる
 ひるはいろんなひととはなしをする
 そしてきっといちばんすきなものをみつける
 みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
 だからとおくにいてもさびしくないよ
 ぼくもういかなきゃなんない

谷川俊太郎「さようなら」『はだか』
(筑摩書房 1988年)P.3~5

タバコを吸うと、どうも時間の感覚がおかしくなる。紙タバコよりも電子タバコの方が途中で吸うのを辞めるのが憚られる。そう考えると紙タバコの方がまだコミュニケーションに向いているのかなと考えてしまう。喫煙所でよくあるのは、先に吸い終わってしまった時のどことない申し訳なさ。例えば友人たちと喫煙所に入る。皆が同じタイミングで電子タバコのスイッチを入れ吸い始める。しかし、各々の取扱う機械によって吸える時間に誤差が生じる。そういう時、僕は紙タバコを吸えて良かったと思う。

本当なら、タバコなんて吸わない方が良いに決まっている。……「決まっている」という言い方は少し強い。そうだな。出来ることなら吸わない方が良いという表現にしておこう。タバコの危険性はそれは昔からずっと言われていることで、度々僕の記録に出ている祖父もタバコが原因による肺がんで60代という若さでこの世を去っている。祖父の最後が僕の目の前にまざまざと思い出される。

生と死の狭間。それを小学生の頃に体験した。板挟み。ただ泣いていた。その記憶だけある。悲しさなのかよく分からない。理由もなく涙が流れる経験の最初だった。どういう言い方が正しいのか分からないのだけれども、祖父の「死」は僕に新しい様々な経験を与えてくれた。人は死してもなお、我々にあらゆることを教え続けてくれる。現にこうして数十年経った今もなおあらゆることを教えて貰っている。

もし僕が最後を迎える時、何か与えられるだろうか。


魂のいちばんおいしいところ

 神様が大地と水と太陽をくれた
 大地と水と太陽がりんごの木をくれた
 りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
 そのりんごをあなたが私にくれた
 やわらかいふたつのてのひらに包んで
 まるで世界の初まりのような
 朝の光といっしょに

 何ひとつ言葉はなくとも
 あなたは私に今日をくれた
 失われることのない時をくれた
 りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
 もしかすると悲しみも
 私たちの上にひろがる青空にひそむ
 あのあてどないものに逆らって

 そうしてあなたは自分でも気づかずに
 あなたの魂のいちばんおいしいところを
 私にくれた

谷川俊太郎「魂のいちばんおいしいところ」
『魂のいちばんおいしいところ』(サンリオ 1990年)
P.90,91

タバコを吸い終え、階下に向かう。店を出ると冷たい風が吹く。先程、先輩に「これから昼行くんすけど、外寒かったですか?」と聞いた時「大丈夫だったよ」と言われたのでジャケットを羽織らず外に出てきた。寒い。何か温かい飲み物でも買うかと思ったが、人通りが多い中でコーヒーなど片手に歩く自信が僕にはなかった。いや、それよりもだ。手元に気を配って歩きたくない。それに尽きる。

街中を歩く人間たちは皆下を向いている。手元に広がる世界を生き、現実にはさして興味がない人たちが多い。朝の電車に乗っているとそれはよく分かる。誰しも皆手元に視線を落とし、周囲で何が起きているかなどには興味などない。なぜ彼らはこの世界で生きているのだろうかと思うことがある。周囲に広がる世界よりも、小さなデバイスに広がる世界にご執心である。僕も人の事は決して言える訳ではないが、しかしあまりにも酷すぎやしないか。

九段下方面へ歩き、もう1件のお気に入りの古本屋へ。


十一月五日

 星明かりに黒く輝いている石は
 鉱物ではない
 と直感的にその子は思った
 強い生命力にうながされていることを
 知らずに

谷川俊太郎「十一月五日」『詩めくり』
(マドラ出版 1984年)

よしなに。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集