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雑感記録(124)

【本を読み耽るお盆(にしたい)】


8月を迎えて本格的に忙しくなってきた。今日も暑い中、先方との面談と言うことで朝から神保町へ行ってきた。しかし、僕は割と早めに行動したい質の人間で、今日も今日とて早めに東京に向かい相も変わらず通っていた大学へ煙草を蒸かしに向かう。

僕は何だかんだで、いや、もうごまかす必要も無いだろうが、僕は自分の通っていた大学が大好きだ。卒業して彼是5年は経つのだが、大学に対する思いと言うのは消えない。それは僕がここで濃密な時間を過ごしたことの証左である。大学に入ると大学時代の想い出が一気にぶわっと頭の中に流れ始める。僕の人生の中で今のところ1番濃密な時間を過ごせた場所だ。また大学時代の友人たちに会いたい。喫煙所でまたくだらない話をしてダラダラ過ごしたい。そう思うのは僕の独りよがりだ。

そういえば、僕は先日高校時代の友人と夜ご飯を食べた。この会は定期的に開いており近況報告などを兼ねて情報交換をしている。その中で「お盆にクラス会あるけど来ないの?」と言われた。僕はクラス会があることを実はそこで初めて知ることになったのだが…。

僕はあまり人付き合いが良い方ではない。正直に言うと、僕は所謂クラス会みたいな大勢で集まる会みたいなのは好きではない。そういう場にあまり居たくないタイプだ。そいう場に行くと顔を合わせたくない人も稀に居る訳で、わざわざ自分の貴重な時間を使ってまで会いたくない人と会わなければならないなんて苦痛以外の何ものでもない。あとは単純に大勢の集まりが苦手ということもあるだろうが。

僕は会いたい人には個人的に連絡を取って会うようにしている。あとは不思議なことに僕が会いたいなと思っている人から連絡が急に来たりもする。非常にありがたい話である。そういう場合には何が何でも会うようにしている。何だろうな…僕は深く狭く付き合いたいタイプなのかもしれない。それは僕の読書の傾向にも似ている。

しかし、最近ではそれもどうなのかなと思いつつある。これは読書を考えてみると話が早い。僕は小説を最近読めなくなったという内容の記録を付けた。

自分が敬遠している作品を読めるようになればきっと新しい何かが開ける可能性もある訳だが、僕はその機会を自分自身で握り潰している。そう思えて仕方がない。大学時代の友人と話をする時にそれが物凄く思い知らされる。僕は凝り固まった思考をしてしまう人間だと強く思い知らされる。それでもそこから抜け出そうとする意思はあっても、結局僕は僕を少しでも曲げようとしない。寛容になりたいと常々感じるところだ。


実はそういったこともあり、交友関係を増やそうと思い僕はマッチングアプリを利用している。かれこれ3年ぐらい続けている。最初の目的は勿論出会いを求めてたし、それは今も変わらないのだけれども、最近はどちらかと言うとこういった凝り固まった僕を変えるためにマッチした人に只管「好きな本は?」「オススメの本は?」と馬鹿の1つ覚えのように聞きまくっている。そこでオススメされた本は必ず読むようにしている。

マッチングアプリって結構凄くて、趣味カード?って言うのかな。それをやたらめったらに登録できるのだけれども、「あなたとの共通点」みたいな感じでお相手とどれぐらい同じものを登録しているかが可視化される。これでマッチング効率を上げようというものなのだろうが、これが実は結構便利なのだ。

この趣味カードっていうのがかなり細分化されているので、結構深い所まで突っ込んで話が出来たりもする。僕はそういったものを参考にしながら「この人ならなんか面白い本紹介してくれそう」といいねを押しまくっている。結構面白くて付き合う、付き合わないとか、男女の関係になるとかそういうのを度外視しても面白いものがある。というよりも、かなり学びがあって面白い。文字面だけではあるが対話することの重要性と限界性と、そして愉しさを感じることが出来る。

時間の無駄と思われるかもしれないが、実際僕の周りで本について深い話が出来る友人たちは殆どいない。しかも地元に居ると簡単に会うことが出来ないし、相手をよく知っているからこそ慮って中々連絡したいのだけれども躊躇してしまうことがかなりある。こうして気軽に本好きの人と繋がれる(というと仰々しいことこの上ないが…)のは楽でいい。あまり面識がないからこそ逆に深い話をすることが出来たりもする。

それで最近やり取りしている方にオススメの本を聞いてすぐに購入し読んでいるのだが、これが非常に面白い。何人かとやり取りしているが、今までアプリ内ではあるが、オススメされた本の中ではベストぐらいに入るだろう。今日はそれを紹介したい。


この『疾風怒濤精神分析入門』これがかなり面白かった。最近始めたThreadsにも投稿したのだけれども、これは所謂「ラカン入門の入門」という感じだ。これ程分かりやすく尚且つ要点を抑えているラカン入門は無いのではないだろうかと僕は個人的に思っている。

面白すぎて今日1日で4分の3ぐらい読み進めてしまった。文章も非常に簡潔で分かりやすく、適宜出される例も非常に分かりやすくて勉強になることが多かった。これはぜひ1読をオススメしたい作品である。

僕は保坂和志の影響でラカンを読み始めようと決意しておおよそ7か月が経つ。まだ『エクリ』も途中でストップしていて、さらには向井雅明さんが書かれた『ラカン入門』もまだ途中でストップしている。乱読することの弊害がここに来て現れた。そこにこの1冊。僕は幸せだと改めて痛感する。本当に良い本に出会えた。紹介してくれた方には感謝しかない。

この『疾風怒濤精神分析入門』の非常に良いところは「そもそも精神分析って何?」「精神分析が精神疾患を治すのにどう役に立つのか?」といったことが第1章を通じて割と多くの文量を持って書かれている。「なるほど!」と僕は目から鱗が落ちた。

そもそも、精神分析という言葉を聞くと僕は真っ先にフロイトが出てくる。そうして精神分析=哲学という風に僕は理解してしまう。ところが、まあ、これは当たり前っちゃ当たり前なのだが、そもそも「精神分析」というのは治療である訳だ。あくまでフロイトやラカンが書いていることはその分析の手法であって、治療法を明示しているだけに過ぎないのだ。しかし、それを忘れて何故か思想だけが独り歩きしている。

こうして当たり前のことを書かれると結構グサって来る。でもこれは非常に重要なことだと思う。当たり前だと思っているけれど、当たり前になっているからこそ見落としてしまう点と言うのは数多くある。それを丁寧に書かれたのがこの本である。

さらに、思想的な部分も解説されているのだがこれが非常に分かりやすい。分かりやすさの全てが全てが良いとは思わないが、ことこれに関しては素晴らしいものだと感嘆してしまった。ラカンを読まれたことがある方はお分かりかもしれないが、彼が行ってることは年々ズレていっているのだ。1950年代に提唱したことが1960年代ではそれを真っ向から否定して新しいことを言い始める。例えば象徴界と現実界の概念が正しくそれである。

ラカンの思想の大きなところは「想像界」「象徴界」「現実界」という人間の心的次元を表現したものである訳だが、これを原著から理解することは中々骨が折れる。実際僕も『エクリ』などを読んでみたが、何が何だかさっぱり…。何となく言いたいことは分かるのだけれども…という感じでモヤモヤしていた。しかし、この本できれいさっぱり解決。

この『疾風怒濤精神分析入門』の著者である片岡一竹さんも仰られているが、この本はあくまで入門であるため全部が全部しっかりと仔細に書かれた訳ではなく、要点をきっちり抑えたものであると。それにしても非常に良く出来ていると僕は勝手に思っている。


マッチングアプリを使用することが現在ではごくごく当たり前になっている訳で、昔でいうところの「ハッピーメール」の進化版な訳だ。何だかあまりいいイメージを持たれないだろうが、使い方次第では良い情報を得ることも出来る訳だ。現に僕はそれで良い本に出会えた訳だし。

勿論、僕も男だから(?)彼女が欲しいと思うのは至極当たり前のことである訳で、そういう目的でも使用していることは言うまでもない。ただ、最近はそういうことから離れて、純粋に愉しんでいる自分が居る。自分の知をアップデートするために使用していると言っても過言ではない。

そういうやり取りの中で、いずれそういった関係になるのであればそれはそれで良いと思うし、そうならなかったらならなかったでその時はその時だしと割り切って使用している。何だか僕はマッチングアプリ厨みたいな感じがして凄く気持ちが悪いのだけれども…。

実は紹介して貰って「感想をぜひ」と言われているのでお盆はひたすら読書をしようかと考えている。しかし、銀行にお盆休みなど存在しない。況してや辞めるのに有休を使用させてくれない会社だ。もういっそのことセルフお盆休みを作るしかない。

さて、また読書をするので今日はここまで。よしなに。

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