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雑感記録(351)

【ぼくのなつやすみ2】


先日の記録の続編である。

真鶴駅から東京駅まで鈍行で揺られる。隣では気持ちよさそうに眠っている。その姿を見ていたら僕も段々と眠くなってしまい、一駅ごとに起きては寝て、起きては寝てを繰り返していた。しかし、幸か不幸か、僕の隣に所謂「ヤバイ人」が座ってきた。犬の腐ったような匂い。ブツクサブツクサ虚空を見つめ独り言。しかも不満があるのか若干キレている。揺れる身体が僕の右肩に触れる。最悪だ…。

僕は席を移動しようかと思った訳だが、隣で気持ちよさそうに寝ているのを起こすことは出来なかった。僕は我慢することにした。さっさと降りてくれないかなと心の中で強く願った。しかし、これだけ良い事が続いた日なのだから少しぐらい我慢して均衡を保つこともまた大事なのかもしれないとふと思ってみたりする。そうこう考えているうちに、そのおっさんは東京駅手前の新橋駅で下車した。およそ40分程度か。自分でもよく耐えたものだと思う。

東京駅に無事につき、僕が帰る電車までしばし時間があったので東京駅構内をプラついたり、改札を出て丸の内方面をプラついたり。しばらくすると微かに雨が降って来る。そして時計を見て、良い時間だと思い再び東京駅の改札を潜り中央線のホームにて特急電車が来るのを待った。僕をお見送りしてくれるとのことで一緒に混雑する東京駅のホームで肩を並べて立っていた。特急電車が到着。僕は乗り込み、自身の予約した座席に座る。窓からは手を振る姿。僕もそれに応える。僕は幸せを噛みしめ見送られながら実家へと戻る。

ふと、その手を振る姿を見て、再び頭には一篇の詩が過る。

祝婚歌

 二人が睦まじくいるためには
 愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
 立派すぎることは
 長持ちしないことだと気付いているほうがいい
 完璧をめざさないほうがいい
 完璧なんて不自然なことだ
 うそぶいているほうがいい
 二人のどちらかが
 ふざけているほうがいい
 ずっこけているほうがいい
 互いに非難することがあっても
 非難できる資格が自分にあったかどうか
 あとで
 疑わしくなるほうがいい
 正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい
 正しいことを言うときは
 相手を傷つけやすいものだと
 気付いているほうがいい
 立派でありたいとか
 正しくありたいとかいう
 無理な緊張には
 色目を使わず
 ゆったり ゆたかに
 光を浴びているほうがいい
 健康で 風に吹かれながら
 生きていることのなつかしさに
 ふと 胸が熱くなる
 そんな日があってもいい
 そして
 なぜ胸が熱くなるのか
 黙っていても
 二人にはわかるのであってほしい

吉野弘「祝婚歌」谷川俊太郎編『祝婚歌』
(書肆山田 1981年)P.24~27

僕は電車の中で1人勝手に想い出に浸りながら熱海旅行の総括をした。

特急電車は平日・休日問わず混雑している。それに意外とゆったり座れない。だから僕は毎回毎回乗る度に「誰も隣に座るな」と祈っているのだが、上手い具合に行った試しがない。特に東京駅から乗る時は。しかも時間も時間なので、サラリーマンが多く1人で酒宴を始める輩が多い。それはそれで構わない訳だが、およそ2時間も酒臭さを我慢しなければならないのは些かしんどいところがある。

実家には9月18日から22日まで滞在した。これから書く記録はその中でも濃密だった1日、9月20日の出来事について記録する。9月18日の夜から19日に掛けてはさして行動をしていないということがあるからだ。強いて言えば、髪の毛を切りに行ったというぐらいである。そこでも面白い話をしたし、色々と積もる話をした訳だが、20日の方がより濃密であった。ここからいきなり話を飛ばし、1日飛ばし早速書いて行こうと思う。


 他者の世界に触れることは、必ずしも書物によるとは限らないだろう。もっと直接に触れることもできる。しかし時間空間を超えて古今東西の他人と交わることのできるところが、書物の有難味である。わたしは自分のまわりに書物のない世界は考えられない。それは、他人のいない現実というものが考えられないのと、同じである。

後藤明生「他者の世界」『不思議な手招き』
(集英社 1975年)P.59

9月20日は朝から非常に嬉しいこと続きであった。

銀行員時代から懇意にさせていただいている社長と朝からお茶をしばきに行った。久々に行くお店で僕はドキドキしていた訳だが、何よりも積もる話があってそれを話したくて話したくて仕方が無かったのである。

既に車の中で積もりに積もった話が本当に堰を切ったように溢れ出す。これはいつも不思議なもので、社長を目の前にすると言葉が溢れる。言い方は些か失礼な訳だが、喋っていないと僕の存在が言葉に乗っ取られる感じがするのである。僕の身体の中に在る言葉を今ここで吐き出さなければ言葉に圧し潰されてしまいそうになるのだ。とは言うものの、中々気心を許して話せる相手もそうそういるものではない。だから僕は申し訳なさと有難さで心がいっぱいいっぱいになる。

それなりに本を読んでいる(と自分では思っている訳だが、しかしnoteなどを見る度に自分はまだまだだなと痛感する)ので、どうも身体が言葉に侵されている部分が少なくともある。言葉に対する信頼というか、もはや信仰みたいなものだ。だから、先日の熱海旅行での記録でも触れたが、何かに触れた時に無意識のうちに言葉が先行してしまうのである。果たして僕は自分自身の言葉というもので話が出来ているのだろうか。

後藤明生の引用をした訳だが、確かに読書をすることで時間時空を超えて他者と交流することが出来る。しかし、読めば読むほど自分の言葉の信頼性の無さ、虚弱さにいつもやられてしまう。そもそも「自分の言葉」があるのかどうかも疑わしくなる訳だが、書くリズム、話すリズムを愉しむという点でも読書は有用だと思われる。僕にとってはそれも「有難味」の1つである。自分の中でもそういう部分を実際意識している部分はある訳で…。

と些か脱線したので話を戻そう。

カフェについて僕等はパンケーキをがっつきながら思い思いに言葉を紡いでいく。とはいうものの、いつも僕が一方的に話してしまう。ただ、何度も書くようだが、それをいつも優しさで受け止めてくれる社長には頭が上がらない。僕は先日の熱海旅行のことやこれからのことなどについて様々に話をした。銀行員時代の辛い時から知ってくださっているので、僕も心置きなく相談事や話を出来るのだと思う。

いつも社長と話すと気持ちよく話せてしまう。そのお陰もあって、僕は自分自身のコミュニケーションの取り方について毎回考えることになる。一方的に何かを話すことはフェアじゃない。それが戒めとして話していると心の底から浮き上がってくる。いつもそれに気付かせてくれるので僕にとって本当に有難い時間なのである。言葉は贈与である。それをヒシヒシと感じるのである。

「贈る言葉」という歌がある。言葉は贈られるものであると僕も思う。であるならば、一方的に贈るのは傲慢ではないか。贈与は無意識のうちに相手に返礼を求めるものである。一方的に話すということは、「さあ、あなたも言葉の返礼をしなさい」ということを暗に求めていることになる。しかしだ。それを理解せずに、ただ自分だけが気持ちよく話せればそれで良いというのは贈与そのものが成り立たない。

僕のポリシーとしてだが、自分が話すならば相手の話も必ずしっかり聞くべきであるというものがある。それは何より相手との良好な関係性を築く為である。とここまで偉そうに書いている訳だが、果たして僕は彼女にそれが出来ているかというと些か疑問がある。僕はいつも一方的に話をしてしまうこことが多い。社長と話しながらそういう自分自身の姿勢を今一度見直さなければならないと、改めて感じることが出来た。

それから社長と数時間様々な話をし、僕は僕のコミュニケーションの取り方について改めて考え直す機会を頂いた。こういう様に自分の姿勢を正してくれる。直接的に「こうした方が良い」「ああした方が良い」という言葉ではなく、内省的にそう思わせてくれる人は本当に大切にした方が良い。

幸せな時間を過ごした。


こんなに たしかに

 ここは宇宙の どのへんなのか
 いまは時間の どのへんなのか

 鉱物たちは はてしなく大らかで
 植物たちは かぎりなくみずみずしくて
 動物たち いつもまっ正直で
 この数えきれないまぶしい物物物の中の
 ひとにぎりの人間 ぼくたち

 こいびとたち 美しく
 父母たち やさしく
 友だちみんな たのもしく
 たべもの みんな おいしく
 やらずにおれない素晴らしいこと
 山ほど あって
 生かされている!

 自分で 生きているかのように
 こんなに たしかに!

まど・みちお「こんなに たしかに」『まど・みちお詩集』
(岩波文庫 2017年)P.284,285

同日夜。父親と兄貴と合流して男3人で飲みに行く。

実は僕の家族男衆で飲みに行くのはこれが初めてではない。年末や夏休みなど皆が集まれる日には定期的に開催している。前回がいつだったか忘れてしまったが、これが初めてではないことは事実である。予約した居酒屋に行き3人での飲み会が始まる。

最初の話題は僕の話だ。東京で元気にやっているのか。彼女は出来たのか。悩みはあるのか。と様々な話題がポンポン飛び交う。僕もポンポン話をする。結局色々話した後で、最終的に言われた言葉が「お前にも遅れた青春がやって来たんだな」という言葉だった。何だかなと自分でも思う訳だ。青春に遅いも早いもあるのかと思った訳だが、酒の酔いにそれは紛れてすぐさま消えた。酒が入ると大概そういうものである。

言われた言葉は覚えているが、その実、どういう意図で放たれたものなのかを考える程の余裕はない訳だ。酒というのは恐ろしいものだ。何回でもコスるが僕は酒のせいで急性膵炎になるぐらいで…。そんな僕を尻目に隣に座る兄はガブガブと酒を飲み干す。やはり、僕は祖父の姿を兄貴の飲む姿に重なって見えてしまう。何だかなと複雑な感情になる。

父と兄貴は働いている業種が被っているので、2人は仕事の話で盛り上がる。それに田舎あるあるなのかもしれないが、世間は狭く共通の知り合いみたいな人が沢山居る訳で、その話で盛り上がる。一方の僕はというと、全然何の話をしているか全く分からない。「へえ」「そうなんだ」と適当に相槌をしながら話を聞く。だが、自分が知らない世界を知ることは面白い。同じ家庭で育ったのに随分と違うことしてるんだなと面白くなる。

僕は分からないから「それってどういうこと」とか「今言った工法ってどういうもの」とツッコんで聞く。しかし、僕が一度話をすると父や兄貴は「いや~、全然業種が違うから分からんわ」と一蹴されてしまう。まあ、これは小さい頃からずっとそういう関係性だったから別に何を今更という感じなのだが、少し寂しさを感じてしまう。こうしてお酒を飲みながらそれなりに深い話が出来る様になったのに…と思っているのは僕だけだった。

兄貴が飲み足りないとのことで2件目に行くことになった。

2件目は1件目と打って変わって所謂「しっぽり」飲む感じだった。僕は相も変わらず話について行けないので煙草をぷかぷか蒸かせながらウーロン茶を飲む。もう僕の肝臓は限界だった。2人は仕事の話でヒートアップし様々に話をしていく。僕は蚊帳の外だ。しかし、別にどうということは無い。先にも書いたが、小さい頃からずっとそうだったのだから何を今更である。だから僕は話さず2人の話を引き出すことに徹するのである。

振返ってみると、父と兄貴と心の底から仲良くなれたのは僕が社会人になってからだと思う。それまではどこかわだかまりがあった気がしている。僕だけがそれを感じているのかは知ったことではないが、少なくとも僕はそれを感じていたのである。どこか話をしようと思っても身構えてしまう傾向があって、腹を割って話すということが憚られていたように思う。これを不健全な家族関係と言えるかどうかはこれも僕の知ったことではない。ただここまでうまくやれているということはそういうことである。

父がふと、僕等兄弟に向かってこんなことを言う。

「いいな。こうして自分の息子たちと酒を飲めるようになって、色々と深い話が出来る様になったのは嬉しい。自分の子育てが成功したとか失敗したとか、そんなのはどうでも良くて。実際結構きついなと思う部分があったけどやっぱり愉しかったもんな。子育て。子育てやれてよかったよ。ありがとうな。」

酒が入っているのは怖い。恥ずかしいこともこうして堂々と言えてしまうのだから。僕は2人に比べてもう酔いも醒めていたので、素面でそれを聞いていたので何だか恥ずかしくて堪らなかった。寧ろこちらが感謝せねばならないのにも関わらず、逆にこう言われてしまうと息子としての立場がないじゃないかと思いつつも、こういうことを言える父は凄いなとも純粋に思った。中々言えることではないだろう。

僕は純粋に「ああ、こういう父親になりたいな」と柄にもなく思ってしまった。小さい頃はしょっちゅうひっぱたかれたり、怒鳴られたり、理不尽なことで怒られたり…。今思い返せば些細な事だった訳だが、あの当時からするとやはり許せない部分もあった訳だ。ただ、こうして「あの頃は…」とこうして若干のユーモアを以てそれら記憶が眼前に現れることが出来ている時点で、息子の立場としても父の子育ては大成功だったんじゃないかなと勝手に邪推する。

それからしばらくして、お店を出てタクシーで帰宅する。


人は1人では生きていけない。

最近も家族の関係性も新しくなりつつあって、様々な家族の形がある訳だ。だからここまで書いたことはあくまでその中の1例に過ぎないのである。僕の家族はたまたまこうだったというそれだけであった。しかし、やはり思い返してみると自分は恵まれて育ったんだなと僕は思っている。有難いことだ。感謝をしなければならない。

僕がこうして与えて貰った物事を、これから出会った人、友達や恋人に分け与えると書くと傲慢すぎるのだが、それでも幸せにしたいなと思う。そしていつか、僕も父になったら自分の父みたいにいつか自分の子どもたちに「ありがとう」と心の底から言えるようなデカい男になりたいと思った。

そんな充実した1日だった。

よしなに。


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