雑感記録(172)
【美術その他回想録】
「これは仕事中に書かれている。」まるで「これはパイプではない」を描いたマグリットあるいは、この題名で文章を書いたフーコーを些か馬鹿にしかねるそんなような印象を自分自身で受ける。じゃあ、そう書かなければ良かったのでは!?という話になってくる訳なのだが、書いた後でそう思っちゃったんだから仕方がない。僕のせいではなく、言葉のせいである。
さて、恐らくだが、いや恐らくしなくとも「仕事しろ」と皆が皆思っていることであろう。こうして書いている僕ですら思うのだから、むしろそう思えない輩が居た方が怖いまである。でも、これだけはしっかりと断っておきたい。やることは全部終わらしてやってる。何も最初から「やらなければならないこと」を全て放棄してこれを書いている訳では決してない。というよりも、そんな馬鹿なことしてまでnoteなぞ書きたくはない。きっちり今日のやるべきことを全てやったうえで書いているのである。
しかし、いざ書き始めようとすると何だか何を書いていいのか分からなくなる。これが実は1番困る。一応、職場にはいる訳なので何というか「何かやってますよ」感みたいなものは出しておかないと、ただのサボりに見えてしまう。……、いやこの時間にnoteを書いていることが本来的には凄くおかしな状況なんだけれどもね。
人間、何が1番辛いって、「何もすることがない」という状況である。それで「何かありますか」「やらせてください」って言うんだけれどもね、自分で言うのも凄く嫌味ったらしいんだけど、物覚えは良い方なんです。だから割とサクサク出来ちゃうのですぐに終わっちゃう。他は?他は?ってガツガツ聞くのも何だか憚られるし…。どうするのが正解なのかよく分からないので、結局こうして自分がするべきことを作った結果、「そうだ、note書こう」となった訳である。
以上、言い訳終り。
それでじゃあ何を書こうかなと考えあぐねる。ここ最近割と書きたいことが沢山出てきて連続で投稿したりしている。2024年はSNS書評家の陳腐さについて書いてみたり、何か訳の分かんない文章書いたり、音楽の話してみたり…。何だかダラダラと思いのままに書いてしまっている。それらの記事を再度自分で読みながら「そういえば、最近全然美術関連の話を書いていないな」とふと思ったのである。
当然にそれは最近、専ら僕は言語学、とりわけソシュールなどにご執心である訳で読む本にかなり偏りがある。音楽なんかは聴きながら本を読んでいるので、かなりの頻度では相対していることになる訳だ。ところが、美術と総称されうるものの中でもとりわけ「絵画」などについてはあまり触れていないのである。そういったこともあり、少し書いてみるかなと思い、何故か!なんと!仕事中に!書き始めているのである!
直近で行った展覧会というか個展というか…はこれである。直近と言っても2,3か月前である。大分掛け離れてしまった感がある。この時は小林敬生さんの版画を見に行った。これが実は物凄く良かった。と書いてみたものの、あの時の感動はやはりこの記録に閉じ込めてあるのでぜひ読んで貰うのが良いのだが、とにかく彫る場所にしても、彫る内容にしても"自然"と"都会"の対比が僕は物凄くいいなと思った。詳細は記録読まれたし。
最近は展覧会とか特設展などは厳選して行くようになったのかもしれない。大学生の頃みたいに常に時間が有り余っている訳ではないから「何となく良さげ」みたいな展示にも脚を運ぶことが難しくなっている。それは言ってしまえば、ある種の言い訳に過ぎないのだが、しかし、労働で奪われる時間は大きく取り返しのつかないものである。だからここ最近は滅多に行かず、「これは好きな画家の作品が展示される」とか「このテーマは興味がある」と言った形で、行く前から吟味して赴くようにしている。
大学生の頃は時間が有り余っていたことに加え、僕の通っていた大学と連携している博物館や美術館について常設展は全て無料で見ることが出来た。それもあって友人と色んなところに…と言っても大抵行くところは国立西洋美術館か国立近代美術館、あとは…損保美術館?まあ、ここは提携してないから通常料金払って見に行ったけれども。
そういえば、僕は特設展に行った際に必ずチラシとチケットを保管している。本格的に美術館に行き始めたのは、友人と一緒に行った2018年だったか、損保美術館で開催された「ターナー展」が初めてであったので、そこから行った展覧会のものがファイリングされている。あいにく、再三言うようだが、職場で書かれているのでそのファイルを手元に置いて確認することはできない。しかし、行った展覧会は大概覚えているものである。
そもそも、僕は元々美術館には興味がなかった。これは本当である。絵画を見て何だというのが正直な所であり、別に何かそこに特段の感情を抱くことはなかった。でも、いきなり、突拍子もなく美術が好きになることなんて言うのは…ありえない…とは声を大にしては言えない。
きっかけは何だったのだろうと考えてみる。勿論、初めて友人と一緒に行った「ターナー展」の絵画も凄く印象に残って、言語化は出来なかったけれども「何となくいい」というのはどこかで感じていたところだと思う。でも、それだけで好きになる、没頭するというところまで果たして行くことが出来るかどうかはその人次第であり、僕はそこのみでは全然絵画に対する興味関心なぞは湧かなかった。
1つ大きなきっかけがあるとすれば、大学4年生の頃に僕は学芸員資格を取るために勉強していた。それが大きく影響していたように思う。
元々、僕は大学入学時は「高校の国語の先生になって古典を教えたい」と思っていた。大学1年、2年の前期ぐらいまでは教育学部の授業を取りつつも文学部の授業を取っていた。当然に大変であったが「国語の教員になりたい」と思っていたから実はそんなに苦ではなかった。しかし、それはあくまで現実を知らないからこそ言えることであり、学ぶにつれて教育現場の現実を知ることになる。
結論から言うと、僕は教員免許を取ることを辞めた。大学2年生の時にやった授業で所謂「授業計画」なるものを作成し、実際に「模擬授業」という形でやることになった。グループでやるような形式だったので、みんなで協力しながら、ああでもない、こうでもないと言いながらシラバスを作ってみたり、「模擬授業」について構想を沢山練って、沢山練習した。グループ皆が納得のできるものが出来上がったと自負していた。
実際に「模擬授業」を迎え、僕らは考えそして練り上げられた「模擬授業」を全力でやり切った。そして教授からの講評。「うーん、内容は物凄く面白くて良いんだけれども、実際にこれを授業でやるってなったら無理だろうね。」と言われた。僕らは何だか拍子抜けしてしまった。どこが出来ないのだろうかとグループで反省会。全員が全員納得がいっていなかった。というのも、僕や同じグループの皆が「高校の時にこういう授業だったら面白かったのに」というのを本気で盛り込んだからだ。「これだったら高校生も愉しめるし、考えることが出来るよな」と。
しかし、現実はやはり甘くはなかった。
それで反省会はある種、お通夜並みの静けさを以てして行われた。皆が落胆した。僕も当然である。そして何というか一気にここで「国語教員になる」という熱が冷めてしまったのである。教えたいのに教えられないという状況の中で僕は先生になりたくないと思い、大学2年生の前期以降は教員過程の授業は全く以て取らなかった。
それでも「何か教えたい」というか「好きなことを語りたい」という気持ちだけはどうも抑えることが出来ない。そこで僕は単純に「別に何も学校だけが自分の好きなことを語れる場じゃない」と気づいた。その時に僕は地元の山梨県立文学館を思い出す。「ああいう場で働けたら1番愉しいんだろうな…」と思いつつも「でも、どうやってあそこで働くことが出来るんだろう」と無知も無知であった。
調べてみると、どうやら博物館や美術館、はたまた文学館で働くには「学芸員資格」というものが必須であるらしいことに気づく。大学入学時に貰った授業ガイダンスの中に紛れていた『教職課程ハンドブック』なるもの(僕の記憶では確かオレンジ色の冊子であったはずだ)を開き該当箇所を探す。学芸員資格に必須の授業や為れるまでの道筋を確認する。どうやらまだ間に合いそうだと確信した僕はすぐさま学芸員資格を目指す方向にシフトチェンジした。
早くシフトチェンジが出来たお陰で何とかギリギリではあるが取得できる状況であることを確認した。そして僕は大学3年生の夏休みを犠牲にし、夏季集中講座なるもので実習以外の全ての講座を取り切ったのである。博物館実習でも教育実習でもそうだが、必須授業が決められていて、そもそもその授業の単位が取れていなければ実習できないのである。加えて、博物館実習は1年丸々使うため、仮に僕が夏休みを犠牲にし単位を全て取得したところで、実際に実習が出来るのは大学4年生になってからである。
大学4年生になってから就職活動をする傍らで、博物館実習をしていた。無論、卒論も控えていたので卒論演習みたいなのもあったが、卒業に関する単位は大体3年生ぐらいで殆ど取り終えていた。僕はちょこちょこ興味ある授業と必修の授業のために大学へ通っていた。その博物館実習では僕だけが4年生で、他のみんなは1つ学年が下かそれ以下だった。教授には結構無理をお願いしながら就活とうまく折り合いをつけながら参加していた。
博物館実習の授業は通年であるものの前期と後期で分かれていた。前期は座学や実際に博物館へ赴き展示の方法などを学び、適した湿度温度管理や作品の運搬、梱包の仕方などを学んだ。後期になるとグループで実際に企画展を実施するというものであった。これは後々触れるが、僕の手持ちの本を展示した。結構いい思い出だ。
その際に教授が前期後期、通年で必ず月1回美術館か博物館を訪れてその展示に対するレポートを提出するというのが課題で挙げられていた。大分話は遠回りしてしまったが、これの課題が僕の美術に対する興味関心を爆増させた大きな要因であり、この経験が元で僕は美術作品、とりわけ絵画、西洋絵画に興味関心が湧き、今でも好きである。
とここまで長ったらしく書いてしまったが、これらがキッカケで好きになったのである。正直最初は義務感みたいなところで行っていた。レポートを書くために行く。それが目的だった。しかも、作品云々について書くというよりもそこの設備、展示のされ方について書かねばならない。しかしだ、月に1回以上行っていたら書くことなんて大体同じになるから飽きる。そうすると、展示されている作品に目が行くのである。そうして気が付けば僕は作品に没頭する機会が多くなっていったのであった。
しかし、僕は美術についてド素人もド素人である。
だから数少ない、僕の友人たちに「これがいい」「あれがいい」とか、あとは一緒に連れて行ってもらったりすることで知見を深めている。まれに自分で調べていく特設展もあるが、僕が赴く展覧会の殆どは教えてもらっていくか、あるいは連れて行ってもらうことが多い。非常にありがたいことである。その中で新しく知り、好きになった作家さんも大勢いる。
その中でもとりわけ好きなのが清原啓子さんの銅版画である。これに関しては過去の記録でも書いているのでぜひ参照されたい。僕は絵画においては精緻な作品が好きなのかもしれない。とはたと気づかされることになった。何よりもいいなあと思うのは自身の書いた詩と共に作品が置かれることにある。つまり銅版画と詩がセットで成り立つという世界観が僕には堪らなく良かったのである。
若くして亡くなってしまったのは非常に残念であるが、こうして本人の作品をまだ眼に焼き付けることが出来るだけ有難いのかもしれない。この展覧会では実際の銅板を見ることが出来たので非常に貴重な体験ができた。ちなみに、何故か山梨県立美術館の方にこの清原啓子さんの銅版画が多く所蔵されているらしい。どういう関係でそうなっているのか知る由もないが、僕は清原啓子さんの作品を山梨県立美術館でお目にかかったことはない。
ぜひ1度見てもらうと良いかもしれない。
米倉壽仁展はこれは自分で探して行ってきた。地元の美術館で開かれたものである。正直僕は米倉壽仁を知らない。僕の中では勝手に「シュルレアリズム」という言葉が独り歩きしていた。加えて、チラシで彼の画を見た時に国立近代美術館で開催された福沢一郎展を思い出さずにはいられなかった。
それで僕は福沢一郎展が好きでよく印象に残っていたので、日本のシュルレアリスムについて割といい印象を持っているのかもしれない。いい印象と言うのはつまりは「見ていて純粋に愉しい」ということである。そういう気持ちにさせてくれる作品である訳だ。少なくとも自分にとってはね。
それで色々と味わってきたんだけど、これがまた良かったのなんのって…。これもぜひ記録参照されたし。
これは最近個人的にはまっている岡上淑子のコラージュ作品について書かれたものである。実は僕は美術館や博物館へ赴き、実際に作品に触れ鑑賞することも当然好きである訳だが、画集を集めるのも大好きである。実際東京に来る際には全て持ってきたかったのだが、物理的に置く場所がないので断念し祖母の家に置いてきてしまった。
画集ともなると重さがある上に、本棚の場所も占有してしまうので中々持ってくるには難しい。しかもだ、毎日神保町に居て本が増えないなんてことはありえないのだから、余計にがさばってしまう。そういうこともあり、ここ最近では画集も滅多に買わなくなった。写真集は…木村伊兵衛の写真集というか雑誌の特集号を買ったので…。買ったな。
まあ、これも内容についてはこの記録を参照されたし。
しかし、まあこうして自分の記録、とりわけ美術関連に対する記録が殆どないことに自分自身で驚いた。わりと特設展とかそういった場所には行っているのだが、それを中心に据えて書くという事をしなくなったのかもしれない。つまりは最近、本当に美術館に行っていないということである。
あとは土日で行くと、人が多くて見る以前に人混みで疲弊してしまい嫌になるということもあるかもしれない。これは都市部の美術館、博物館あるあるだ。休日は館内も、展示室も人混みばかりで落ち着いて作品を鑑賞できるものではないのだ。というように考えると、僕は海外の美術館へ赴くことのハードルは相当高いのだろうと自分自身を想像してみる。
結局、再び、何を書きたいか分からなくなってしまった。
誰か美術館に連れてって。
よしなに。
※1月5日(金)に構想を得た。書出しは1月5日(金)仕事始めの飲み会後に書かれ、本日1月11日(木)に加筆修正のうえ記述。