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雑感記録(379)

【新年雑感・その他、断章①】


新年を迎えた。ここで「新年の抱負」などと題して何か語れれば良いのだろうけれども、向上心の欠片もない、怠惰な僕にとっては「抱負」なるものなど皆無である。「抱負」というのは「目標」というものを単に言いかえた言葉であって、僕は新年早々からガチガチに「抱負」「目標」など決めたくない。僕は怠惰で生きたい。強いて言えば(…まあ、強いて言う必要などないのだろうけれども)これが僕の「抱負」であり「目標」であるかもしれない。そんな新年1発目のnoteである。

はてさて…。僕は12月28日から1月4日まで実家で過ごした。パソコンは持たず、数冊の本を携えて帰省した。実際それらの本が全て読み切れたかというと、読み切れてはいない。読み切ったのは岩波文庫から出ている『茨木のり子詩集』ぐらいである。詩集の良いところは最初から読む必要はなく、その時々で、ふとした瞬間に読める点にある。夏目漱石の『草枕』マインドが遺憾なく出来る。読書というのは本来こうあるべきか…。僕の知る由ではないのだが。

谷川俊太郎が選んだというのも、谷川俊太郎ヲタク(を自称する者)としてはかなり激アツである。最初の《選者のことば》が個人的には何だか凄く引き込まれる文章で、この詩集を読み始めるに相応しいなあと感じた。僕は帰りの電車の中から貪るようにこの詩集を読んだ。久々に言葉に心酔した時間を過ごせたと思う。「人は言葉から漸次、狂うおそれはある。」という書き出しが思い出される。

 世界に別れを告げる日に
 ひとは一生をふりかえって
 自分が本当に生きた日が
 あまりにすくなかったことに驚くだろう

 指折り数えるほどしかない
 その日々の中の一つには
 恋人との最初の一瞥の
 するどい閃光などもまじっているだろう

 〈本当に生きた日〉は人によって
 たしかに違う
 ぎらりと光るダイヤのような日は
 銃殺の朝であったり
 アトリエの夜であったり
 果樹園のまひるであったり
 未明のスクラムであったりするのだ

茨木のり子「ギラリと光るダイヤのような日」
『茨木のり子詩集』(岩波文庫 2014年)
P.46,47

車窓から眺める景色は闇に包まれていた。数あるトンネルを潜り、しばらくすると光の集積が見えてくる。シルエットの山々。山々は光を取り囲む。「ああ、帰って来たんだな」と何となくそんな事を思う。暗くても明るくても変わらぬその景色には「何か」を誘発する力が在るのだろうと感傷的になってしまう。自分も歳かな…という紋切型の文句に自分自身の身を委ねたくはないなと再び『茨木のり子詩集』に目を落とす。あと数駅である。


僕は実家で2匹の猫を飼っている。2匹共々もう高齢であり、両猫とも病気を抱えている。1匹はメス猫。腎臓が悪く毎日薬を服用させている。その薬の影響らしいのだが、ブクブク太ってしまい、俵のようなフォルムになっていた。加えて、もう1匹の猫のエサを勝手に食べてしまうことも重なり順調に肥えてしまっている。抱っこするのにも一苦労である。ただ日常生活は通常通りに過ごせている。年齢にすると14,5歳ぐらいで人間年齢に換算すればもうヨボヨボのおばあちゃん猫である。

問題はもう1匹の猫である。

もう1匹の猫も腎臓に大病を患っており、実は2年前に余命宣告を受けていた。手術も何度か繰り返したがお医者さんには「もうこれ以上は良くならない」と言われた。これ以上手術をしてもどうにもならず、薬を与えても腎臓の機能が著しく低下しているので、ステロイド剤などが与えられない状況なのである。つまり、お手上げ状態であるのだ。僕等家族もどうして良いのか分からず、お医者さんから指示されたことをしたり、色々と調べてこれまで様々なことを試した。

その甲斐あってか、何とか余命宣告を受けてから2年経っても生きていられる訳だが、いよいよ状況は厳しくなりつつあった。免疫力が低下して、口内炎が出来、それが喉の方まで広がってしまった。これまでエサを口から補給出来ていたのだが、それによってエサを食べることが困難になってしまった。これについては薬を与えて治療することが可能だが、その薬にはステロイド剤が含まれ、結局腎臓に多大な影響を及ぼし、死に至ってしまう。困難な状況が続いている。

撫でると痩せ細っており、背骨が浮き出てしまっている。脂肪も殆どなくなり、日中は南側の僕の部屋でずっと寝ている。これは僕の想像でしかないが、脂肪が殆ど無くなってしまって体温が上がりにくいのだろう。ずっと太陽に当たり、毛布に包まれ1日中眠っている。眼を覚ます時は、エサ、と言っても固形では無理なので猫用の流動食、点滴をする時ぐらいである。僕の両親の生活はこの猫中心の生活になっていた。

人間も同じだが、食事や水分が摂取出来なければ死に至る。これは猫も同様である。しかし、この猫の場合にはエサが食べられない。水分はかろうじて摂取出来ている訳だが、毎回苦しそうに水を飲んでいる姿を見ると心苦しいものがある。食事もスポイトを利用しながら何回かに分けて、口内炎の痛みに苦しむ猫を抑えながら口に流し込む。これが本当に心苦しくて、実際にやっている父親や母親も曇った表情で「ごめんな」と連呼しながらやっている。猶の事、僕は心が苦しめられる。

ただ死を待つのみである。


思い返せば、この猫と出会ったのは高校2年生の12月28日である。僕はこの日の事を非常によく覚えている。ちょうど、11年前のことだ。

父親が見るに見かねて拾ってきた。僕はその状況を聞いただけなので詳しいことは知らない。ただ、他の猫にいじめられていたらしいところを救ってきたということらしい。僕の家に来た頃は本当にボロボロで、右前足には大きな傷があり、病院の先生曰く「あと1歩救うのが遅かったら切断だった」ということだった。無事に手術は成功したが若干の後遺症もあって、歩き方にちょっと難あり。それでも走れたし、歩けるし、日常生活が出来るまでには回復したのである。

段々と回復して行って、家の中ではよく一緒に遊んだし、こうして膝の上で何回も寝た。猫用のおもちゃで家の中を走り回ったりしたものだ。受験期なんかはしょっちゅう邪魔されたものだ。僕の脚に頭突きを喰らわせてはスリスリしてきて、それを無視しながら勉強を進めるがどうにも離れない。仕方なく膝に入れたり、遊んだり…。色々な思い出がある。

大学で東京に出てから会う機会が減った。しかし、それでも僕が帰ると玄関まで迎えに来てくれた。一緒にリビングまで歩き、足元でウロウロしている。そしておもちゃを咥えてやって来る。「遊んでくれ」と言わんばかりに頭突きを喰らわされる。「仕方ないな~」とまんざらでもない様子で僕はそれに応える。だが、猫という生き物は気紛れである。遊び始めるとすぐに飽きてどこかへ行ってしまう。いつもそんな感じだ。

就職で地元に戻って再び実家で過ごすことになっても、同じような感じである。仕事から帰れば玄関まで迎えに来てくれる。そして足元へすり寄り僕の歩行を邪魔する。寝る前には僕の膝に入り、ひと眠りして、父親と共に寝る。そういう生活を送っていた。この時は大病を患うなど思いもよらなかった訳だが、順調に生活を送っていた。

どういうキッカケで大病を患っているかが判明したのか僕は分からない。ただ僕以外の家族が慌ただしく動き、頻繁に動物病院に通う姿を眼にしていた。「手術をする」という話を聞かされた時は信じられなかったものである。つい昨日まで元気に走り回っていた猫が急に病院で手術。しかも、余命宣告まで受けたというではないか。母親の泣き顔を僕は覚えている。僕はその時に抱いた複雑な感情を何となくだけれども覚えている。

退院後、父親と母親は猫に掛かりっきりであった。毎日点滴を行ない、薬を与えた。この頃はまだエサも食べられていたし、水分も取れていたので特段の問題もなく生活出来ていたと思う。しかし、病状が快方には向かわず、ただこれ以上悪くならないように「現状維持」をすることしか出来ない。父親と母親は一所懸命に調べ、何とか治そうと必死に動き回っていた。その様子を僕は間近で見ていた。そして苦虫を潰したような顔をした表情を何度目にしたか分からない。

そして今回のこれである。


「生」と「死」という問題はいつ何時でも関わってくる。単純に考えて僕等の身体ですら日々「生」と「死」を繰り返している。これはただ僕等の計り知れぬところで、意識下の中で行われるものではない。それが一部として存在しており、ある種機械的に行なわれていると言っても過言ではない。しかしどうだろう。こうして自分の意識下で発生する、いや「発生させまい」としている「死」ということに正しさは在るのだろうか。

僕等はこれから確実に来るであろう「死」に対してどう向き合うのが良いのだろうか。

僕はモヤモヤしている。愛猫のこれから確実に来るであろう「死」を目の前にして何が出来るのだろうか。ただ黙って見ていることしか出来ないのだろうか。しかし、何かしてやりたいと思っても何もすることが出来ない。こういう時程、もどかしいと思うことは無い。況してや動物だ。日本語が通じる訳でもなく、「何をしてほしい?」とか「今どういう感じなのかな?」と聞くことは出来ない。こういう時に言葉のもどかしさを感じざるを得ない。

ここではたと、谷川俊太郎の質問箱の言葉が浮かぶ。

質問 四

どうして、にんげんは死ぬの?
さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。
                (こやまさえ 六歳)

(追伸:これは、娘が実際に母親である私に向かってした質問です。
目をうるませながらの質問でした。正直、答に困りました~)


谷川さんの答

ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、
「お母さんだって死ぬのいやだよー」
と言いながら
さえちゃんをぎゅーっと抱きしめて
一緒に泣きます。
その後で一緒にお茶します。
あのね、お母さん、
言葉で問われた質問に、
いつも言葉で答える必要はないの。
こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
ココロもカラダも使って答えなくちゃね。

谷川俊太郎『谷川俊太郎質問箱』
(ほぼ日 2007年)P.18,19

言葉で考える必要などないのかもしれない。「死」を考えることに言葉などいらないのかもしれない。哲学的に考えたって、論理的に考えたって答えなど在るものではない。ただ、傍に居てあげる。黙って抱きしめてあげる。それだけでも良いのではないか。「死」を目前にして論理も哲学もへったくれもない。言葉などいらない。ただ全身で応えてあげればいい。

だから、僕はただ猫を抱きしめた。ひたすら撫でた。一緒に沢山昼寝をしてきた。これが果たして良いのかどうかは分からない。言ってしまえばこんなのはただの自己満足に過ぎないかもしれない。だが、それでも。僕は心を込めて撫でまわした。抱きしめた。昼寝をした。僕の気持ちが伝わると良いなと心の底から願った。

(存在)

 あなたは もしかしたら
 存在しなかったのかもしれない
 あなたという形をとって 何か
 素敵な気がすうっと流れただけで

 わたしも ほんとうは
 存在していないのかもしれない
 何か在りげに
 息などしてはいるけれども

 ただ透明な気と気が
 触れあっただけのような
 それはそれでよかったような
 いきものはすべてそうして消え失せてゆくような

茨木のり子「(存在)」『茨木のり子詩集』
(岩波文庫 2014年)P.280,281

東京に戻る前、実家を出る前にギュッと抱きしめてきた。か細い声で鳴く。今にもどこかへ行ってしまいそうな予感。それでも僕は力強く抱きしめた。「透明な気と気が/触れあっただけのような」感じだ。背骨がゴツゴツする。それでも肌と肌で伝わる何かもある筈だ。言葉だけで全てを伝えられる訳ではない。僕は本を読みながらそんな本末転倒なことを考えてしまった。

愛する物すべてに僕は言葉だけでなく身体をも尽くそう。

そう誓った新年早々である。

よしなに。

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