見出し画像

111本の木 をインド研究者が読み込む(子供向け)

© 2022 Liem. All Rights Reserved.
第68回青少年読書感想文全国コンクール「課題図書」にインドを舞台とした実話『111本の木』が指定されています。


絵本の表紙

SDGsの目標「陸の豊かさも守ろう」「ジェンダー平等を実現しよう」を目指した、インドの小さな村の活動を描くノンフィクション。
【みどころ】
女児の誕生を111本の木を植えて祝う村があります。ジェンダー平等を提唱するこのエコロジー活動により、村は豊かな自然を取り戻しました。女児に学ぶ機会を与え、児童婚から守るために行動した、ある村長を描く実話。


このように、SDGsとジェンダー平等のエコフェミニズムをテーマにしていますが、読み込むとそれ以外にもたくさんの気づきに出会える本です。

絵本の1ページ
https://mitsumura-kyouiku.co.jp/ehon/251.html

主人公の男性スンダルさんは、インドのある村の村長です。その村は、インドのラージャスターン州にあるピプラントリ(Piplantri)村。ここでは、二重三重と様々な問題が重なっている村です。

  • 全国的な問題:ダウリー(結婚持参金)問題

  • 州の問題:女性の識字率がインド全土の州でワースト1(57.6%)
         年間の降雨量が、インド全土平均の約半分以下

  • 村の問題:大手大理石工場 RK Enterprisesのすぐそば
          保守的な雰囲気

絵本の始まりはインドのお菓子で

 「はじめに」のページでは、インドの村であることとダウリーについての紹介があります。それ以外にも、出産は病院ではなく、家の中で行われていることも文言からわかります。食いしん坊な私は、お祝いでふるまわれる「インドのお菓子」が右下のイラストからラッドゥーであることも想像できます。

左:ラッドゥ(Laddu) 右:代表的なインドのお菓子
©https://www.dreamstime.com

 スンダルさんは幼少期にお母さんとの水汲みと薪拾いをした思い出を語ってくれますが、これは暗に近くに飲料に適した水がないことや、食事の支度を薪でおこした火で行っていることを意味しており、家事の負担が大きく、とても家事を手伝う女性には学校へ行く時間がもてないことを表しています。
 そして、お母さんがベール越しににっこりと微笑んでくれたとありますが、それは、日差しの厳しい地域に住んでいるということと、外出時は顔をみせない振る舞いをしているということも伝えてくれます。

お母さんがベールをつけている理由は?持っている壺は?

 ベールというと、中東やアラビアンナイトに代表されるイスラーム教が想起されますが、インドではイスラーム教がやってくる前から、布をまとう習慣があったとされています。
 特に、ラージャスターン州では日差しが強いため、私たちが普段使う帽子代わりに布を被ることもできれば、砂嵐から身を守ることができます。
 外出時に顔を見せていないと伝えましたが、北インドでは嫁ぎ先にいる男性には顔を隠すという「グーンガト、アンダル」という慣行があります。これは、嫁ぎ先の家にいる男性にも敬意を払っているということをみせることで、男性への尊敬を社会的にも維持することができるとされています。
 「女性だけが、顔を隠してすごさなければならないの?」と、不平等を感じたでしょうか。それとも、女性らしい振舞いだなと感じますか?「尊敬していますよ」と、言葉にしなくても伝えられる便利な方法でしょうか。ここでも、男女のあり方についていて考えるきっかけになりますね。

 また、お母さんとスンダルさんが抱えている壺ですが、おそらく素焼きの壺マトゥカー(matka)だと思われます。インドでも広く使用されていますが、マトゥカーに入れた水は気化熱で、いつまでも冷たいままで保管することができます。壺の中に入れた水は、少しずつ壺に染み出し、外気の熱い空気に触れても、壺に染み出した水が先に蒸発してくれるため、いつまでたっても中の水は冷たいまま…という具合です。
 そのほか、サンダルを履いていたり、大きなトカゲがいたりと暑くて乾燥した地域なのだなということはわかるかと思います。

マトゥカー(matka)にもきれいな模様が描かれている
©https://www.dreamstime.com

 

どうしてお母さんは泣いていたの?

夜、眠るときにお母さんは涙をこぼしていますが、それは何を思っての涙なのか。考えると、あまりにもたくさんのことが思い当たります。
・子供たちに十分な食事を与えられないこと
・娘が結婚する時のダウリー(結婚持参金)のこと
・娘を早めに結婚させ(幼児婚)、結婚相手に養育費を払ってもらうか悩んでいる?
・小さな泥の家に住んでいること
・生まれ育った実家に帰ることができないこと
・自分が働けないこと
・家に十分なお金がないこと…
 絵からは、インド伝統の編み上げベッド:チャールパーイー(Charpai)で眠っていることがわかります。家もラージャスターンでは伝統のつくりである泥(土と水、牛糞を練ったもの)でつくった家ということで、伝統的な暮らしを営んでいたことが想像されます。のちのイラストでは、壁に石灰を画材にした白いペイント、マンダナ(mandana)がほどこされていたり、壁にはくりぬきの棚が作られていたり、屋根が茅ぶきになっていることがうかがえます。これらもすべて、伝統的な家屋のつくりだといえます。

毒ヘビに嚙まれると死んじゃうの?

 そんなお母さんが、ある夜、毒蛇に咬まれて亡くなってしまいます。インドにはたくさんの毒蛇が生息していますが、ラージャスターン州にも生息する毒蛇として有名なのはインドコブラではないかなと想像します。

 世界保健機関(World Health Organization: WHO)によると、インドで咬まれる毒蛇の90%が、4種類の毒蛇によると説明があります。インドコブラ、ラッセルクサリヘビ、アマガサヘビ、カーペットヴァイパーの4種類です。コブラの王様、キングコブラもインドには住んでいますが、あまり民家の多いところには住んでいません。
 インドでは毎年約500万人が、蛇にかまれています。そのうち、50%以上の約270万人が毒蛇にかまれ、さらにその5% の約13万人が亡くなっています。そのうち、インドコブラにかまれて亡くなっている人が1万人以上いるとのことなので、それほど身近にインドコブラは潜んでいます。

最近(2022年6月)でも、ラージャスターン州の隣のパンジャーブ州で、インド国境警備隊のひとりが、暑さをしのいで屋外で寝ているときに、蛇にかまれて亡くなったことがニュースになっています。
記事「パタンコートに配置されていた国境警備隊(BSF)の隊員がヘビに噛まれて死亡 パルガー地区の家で火葬」, The Times of India, 2022年6月6日付

インドのお葬式って?

 お母さんが亡くなったときに、村人がやってきて、大きな声で泣いていたのは、死者の魂を呼び戻すための慣習です。
 スンダルさんの家はヒンドゥー教なので、お母さんもヒンドゥー教の教えに従って埋葬されます。どうしてヒンドゥー教かとわかるのかといいますと、ひとつはスンダルさんの名前から。もうひとつは村人の特徴から推測できます。ヒンドゥー教はお墓を持たない宗教です。ですので、スンダルさんのお母さんもお墓はありません。右上にオレンジ色の花で埋め尽くされた担架が描かれています。ヒンドゥー教では、女性が亡くなったら赤色の絹布でくるみ、男性が亡くなったら白色の絹布でくるんで、竹竿とヤシ網でつくった担架に乗せて火葬場へ向かいます。オレンジ色の花は、おそらくマリーゴールドの花でしょう。
 ところで、多くのヒンドゥー教徒が最期を迎えるためにやってくるガンガー(ガンジス川)では、蛇に咬まれて亡くなった人は火葬して川に流すことはせず、そのまま川に埋葬します。それは、シヴァ神の遣いである蛇に咬まれたのだから、別の人生を歩んでいるのだと考えられているためです。
 スンダルさんの住む村は、このガンガーから離れているため、お母さんがどのように埋葬されたのかはわかりませんが、おそらく近くで荼毘に付され(=埋葬のため火葬する)たものと思われます。

グジャクとコブラは一緒に住んでいる?

 スンダルさんは、シャム・スンダル・パリワルという名前です。シャム=クリシュナ神の別名、スンダル=美しい、パリワル=パーリー村の人 という意味です。ここから、ヒンドゥー教徒だということがわかります。
 この絵には自然豊かなインドが生き生きと描かれています。緑色の鳥は、私が好きなダルマインコでしょうか。鹿は美しい女性の象徴でもあり、美しい目を表現するときは「鹿のような目」ということもあります。クジャクはインドの国鳥であり、欠かせない存在でもありますが、クジャクがいるところは、自ずとコブラがいるところ…と考えることもできます。なぜなら、コブラの神経系の毒はクジャクには効かず、クジャクはコブラを捕食することができます。クジャクが住む豊かな森には、コブラもいる…ということですね。

クジャクはインドの国鳥
日本では動物園でしかみられないが、インドではもちろん野生

インドの服装は?

 今度は、スンダルさん一家をよく見てみましょう。娘2人は妻と同じようにベールを身に着けた伝統的な衣装です。妹たちは例にもれず髪が長いため、インドで女性の美しさの象徴である髪を伸ばしていることもわかります。一方、息子はTシャツ・半ズボンの近代的な格好です。ここからも、女の子は保守的であるべきといった風潮があったのではないかなと感じます。

 スンダルさんは村の近くの大理石工場、おそらくRK Enterprisesで働きますが、環境破壊が著しいことを目の当たりにし、社長に森林保全を懇願するも断られてしまいます。このRK Enterprisesの採掘場は衛星画像でもはっきりとわかるほど、規模の大きいものです。

赤いピンが村付近。村を囲むように白い地面、大理石の採掘場がある
©Google Map

パリワールさんが勤めるのは大理石工場?

 ラージャスターンの大理石は、昔から大変な人気があります。その最たるものが、アーグラーにあるタージマハールです。
 ご存じの通り、タージマハールは白亜の大理石で建てられていますが、この大理石もラージャスターン州のマクラナというところで採掘されたものです。大理石は石の中でも熱伝導率が高く、触れるとひんやりとした感覚を得ることができ、いまでも住宅の建材で頻繁に利用されています。
 インドの都市で、お金持ちがたくさんの豪華な家を建てるほど、素晴らしい建築物が増えるほど、大理石の需要は増えていったのだろうなと推測できます。

選挙はとっても大切!世界最大の民主主義国インド

 スンダルさんは理想の村にすることを目指して、選挙にでて村長になります。さらっと書いていますが、実は、インドは世界最大の民主主義国であり、「選挙」が非常に重要視されています。連邦議会選挙と州議会選挙が定期的に実施され、その結果にもとづいて政権が樹立されています。14億人を有する国が、選挙の上で成り立っているのです。日本もインドも民主主義国家であるため、選挙も当たり前ともっていますが、そうではないことや、インドの選挙の規模の大きさについて振り返ってみるきっかけにもなるかなと思います。

 今度は、娘を病気で亡くしてしまいます。お母さんを亡くした時は、木を抱きしめることで心を慰めていましたが、今度は、娘をなくした悲しみと、思い出の象徴として、木を植えることを思いつきます。
 ところで、未婚で亡くなった女性も、火葬してガンガーに流すことはせず川岸にそのまま埋葬されることになっています。くしくも、スンダルさんのお母さんも娘さんも、いわゆる「普通の/一般的な」亡くなり方ではないという印象を受けます。

インドで女の子が生まれるとガッカリされる理由は?

ここで、スンダルさんは自分の娘だけでなく、ほかの女の子のためにも木を植えることを思いつきます。女の子、水、木という3つのシンボルから111本と決めたようです。
 もうすぐ子供が生まれる夫婦に説得しているシーンが出てきますが、スンダルさんはやみくもにお願いをしていたわけではなく、村人に21,000ルピー(3万円)寄付してもらい、両親から10,000ルピー(1.5万円)を預かって20年満期の定期預金にして増やす。そして、女の子が18歳になるまで学校に通わせ、木の世話を続けたら、教育と結婚の資金に使うと説明しています。つまり、スンダルさんは、20年後のキャッシュフローを試算して提案しているというわけです。十分な教育を受けたスンダルさんが、その知識を女性の教育のために発揮したというのは、素晴らしいことだなと思います。決して「理想」を語るだけではなく、「論理的」に語っていたのです。これで、妊婦さんも「男の子を生まなくてな」というプレッシャーから、幾分解放されたのではないかと思います。
 インドでは、今でも出産前の性別判定で女の子だと分かった場合に、中絶を希望するという妊婦が数多くいます。

灌漑ってなぁに?

 数多くの木を育てるためには灌漑整備が必要になってきます。ラージャスターン州は決して雨が降らない場所ではないため、雨の恵みをうまく貯めておく技術が必要となります。この水の整備については、村人の飲み水へのアクセスも改善することにつながりますので、技術者から村人が「学んだ」ということも、大きなポイントになったのではないかと思います。
 そして、「木の世話をすること」と約束した女の子はせっせと水やりをします。また、シロアリ対策でアロエベラを植えていきます。その後、成長し、数が増えたアロエベラを販売しようと思いついたのも村の女性だったそうです。健康食品や保湿剤になるため、商品として販売し、はじめて収入を得たそうです。日頃、食事の支度をしている女性だからこそ「健康食品」とした発想があったのかもしれませんね。


絵本の1ページ
https://www.dokusyokansoubun.jp/books.html

 女の子は、聖なる紐で木を結ぶ儀式があるそうです。夏の終わり…と、あるので、おそらくは8月ごろにインド全土で行われるラクシャ・バンダン(raksha bandhan)を模したものかなと思われます。ラクシャ・バンダンは、もともと女の子が兄弟の手首に紐を巻き付けて神のご加護を祈り、兄弟は、姉妹を守ることを約束するという日でした。今では、姉妹同士や、友人同士、宗教を問わず絆を確かめる儀式として、インド全土でみられる光景です。ほかにも、お寺や聖者廟でも紐を巻き付けて加護をいただく風習はありますし、同じようにトゥルシーという木に紐を結んで神様とのつながりをもたせる儀式も存在します。
 気に巻き付けている華やかな飾りを見ると、昨今のラクシャ・バンダンに近いかなと思います。

ラクシャ・バンダンって、どんなお祭り?

ラクシャ・バンダンのお祝いメッセージのイラスト
右下には女の子が男の子に結んでいる写真がある

 現在では、男の子も女の子も学校へ通っており、女の子が生まれると111本の木を植え続けているといいます。ただ、イラストの女の子はシャルワールカミーズや、スカートワンピースの下にズボンを履いているなど、露出をさせないようなファッションをしていることから、やはり服装は控えめに…という風潮が残っているのかなと思いました。実際、現在の村の様子を見るとTシャツにジーンズ姿の女の子(厳しい村ではジーンズすら駄目だといわれる場合も!)も動画で映り込んでいるので、状況は徐々に変わってきているのではないかなと感じます。
 今では25万本の木があり、家もレンガ造りになって、道路も舗装され、街灯がついているとのことです。

課題図書では、エコフェミニズム=エコロジー+フェミニズムの本として紹介されていますが、深く読み込むとインドの影がみえてくる本だなと感じました。


 女性と木の繋がりを象徴する出来事としては、インドのチプコ運動を思い出させます。「チプコ運動」は、クリケットというゲームで使われる幅の広いバットをつくるため、企業が政府に木の伐採権を取得して木を切ろうとしたところ、農村の女性たちが森の木を切らせないよう木に抱きついて、「木を切るなら私たちも一緒に切りなさい!」と、抵抗した運動です。
 ひとりの人、一本の木を育てるためには大きな愛情が必要です。目の前の富をやみくもに追いかけるのではなく、遠い未来を想像しながら、今、採ってよいもの、後世まで残しておくべきものを考える必要がありますね。

いいなと思ったら応援しよう!