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学びについて考えてみる

初等科の教員免許を持っていて
司書教諭の資格を持っていて
図書館司書の資格を持っていて

世の中に存在するその他の検定は一度も受けたことがない

そんなわたしは “学ぶ” ということについて
よく考える
最近また思いを巡らせることが多いから
ここに綴りながら考えてみようと思った
大学時代の「教育者として教育現場を知る機会」はわたしに
何を思わせたのか


ちいさなころから本を読むことが好きだった
あのころわたしの友だちはほとんど本の中にいたと最近わかった
そのくらいわたしの居場所だった

沢山の本の中に居場所があったから
なぜだか学校にも家にもずっと居ることができた

両親は学歴社会に混ぜ込めばそう立派な人ではない
四親等くらいの親戚に数人ほど立派な人がいる

触れ合ってきた大人たちは
その立派ではない両親の友だちと
その立派な親戚と
学校という世界で出会う教育者と
本の中に出てくる大人

わたしの周りにはちいさなころから
いろんな種類の子どもだった大人がいた
いろんな時代に子どもだった大人がいた
いろんな世界で子どもだった大人がいた

ぜんぶの大人と話すことが好きだった

本の中にいる大人以外はみんなわたしにとって
とてもとても立派な人だった
それぞれの形で愛と学びをくれる人ばかりだった

学歴がなくても素敵な生き方がある
苦労しても勉強は認められる
社会からはねられても素敵な心がある
穏やかで長閑な老後には必ず不断の努力がある
大人の一方的な期待は無条件な愛の上にある
すべて在るものは愛の上に在り続けている

小学校にあがるころには
世界は学校の中だけじゃないと知っていたし
人々は学校がすべてだと思いやすいとも知っていた
たとえ何千年の命を持ってもわたしには知らない世界があることを知っていた

だから
ずっとひとりぼっちで
でも
ずっと楽しかった

目に見えるものの存在だけが信じてよい事実で
ほとんどのことはそれ以外の誰かの気持ちで構成されていて
気持ちというものはいろいろの理由で変わりやすい
在るということ以外に絶対的なものはない
だから人はお金なんてものを作り出してしまったりする

社会人になったころ
大抵の人は同じようにひとりぼっちで
半分くらいの人がひとりぼっちと共に楽しんでいると知った
みんな同じようなことを思って大人になったことを知った
わたしだけが特別に感受性豊かなわけではないと知った

それなのにどうして人は
全体として心地よい方向に向けないのだろうか

どうして我が子に
学校がすべてではない
と、教えられないのだろう
あなたの思うように生きなさい
と、微笑んであげられないのだろう
あなたの好きなことを学びなさい
と、頭を撫でてやれないのだろう
何があってもあなたの味方はここにいる
と、抱きしめられないのだろう

どうして我が子のために
胸を張ってそう伝えられる社会をつくれないのだろう

すべての学びたい気持ち
すべての生き方

受け止められる器さえつくれたら人間は
「人間とは」なんて考えなくても
「わたしとは」だけを考えながら生きていける気がします
「わたしとは」の集まりが自然と「人間とは」になるのだと思います
あとはそういう事を研究したい人に任せておいたら
立派にまとめてくださるのだと思います

大人たちが
大人になっていく中で
学ぶことを諦めてしまうから

子どもたちは
大人になっていく中で
学ぶことを諦めてしまう

これはいつまでもいつまでも繰り返されて
そうして今があって
このまま未来になるのでしょうか

教育実習に行ってはじめて
子どもたちが
鳥籠に入れられた小鳥のように見えた
子どもたちは
すべてのことに気づいていてその鳥籠の中にいる
そんな小鳥に見えました

もっと学びたいことがあるのだけれど
もっと知りたいことがあるのだけれど
もっとやりたいことがあるのだけれど

大人に扶養されている子どもにその選択肢は選べず
知らぬ間に同じように大人になる
大人のいる場所で子どもの学びのすべてを守ることは
今の時代では不可能なんだと思いました

近年社会で喚かれている教員の質が落ちたという声
そうではないのだと思いました

心底子どものことを思う大人ばかりが集まっているのに
なぜか子どものことだけを考えてはいられない仕組みなのです
子どものことをとてもとても想っているのに
本人を含むすべての大人が自身が学ぶことを諦めてしまったから
学ぶことを目の前の子どもに託してしまっているから
大人のために大人が苦しむ時間が増えているのだと思いました
仕組みを変えるところまで辿り着けないのだと思いました

無くならない形式ばかりの研修
無くならない形式ばかりの会議
無くならない形式ばかりの不満

学校の中の大人の世界だけではないのでしょう
すべての大人の世界がこんなふうに回っているのだと思いました

どうしてすべてを消費量で考えてしまうのか
どうして学ぶ気持ちを贅沢品にしてしまったのか

思うままに
学ぶ

まだこの国の大人たちが好奇心と向上心に満ち溢れていた
あのころのように
どこかにそれが許される場所はないのか


いつもこのnoteは
綴りながら考えて
考えながら綴る
わたしの思考の記録

学ぶということすら消費量で運営する今の世界に嫌気がしている
学びが贅沢品と化した今の世界に嫌気がしている

ということなんだと、そう思う
だからこの場所 図書室月桃をはじめたんだと、そう思う

少し前にXで話題になったけれど
図書館という場所はほんとうに不思議に
令和になった今もすべての逆風から利用者を守っている
図書館に対する逆風からは誰にも守られずにいるけれど
それでも中にいる人をすべてから守っている

すべての人の好奇心が守られる場所
わたしがずっと欲しかった場所

そんな場所を
沢山の人が見つけられるといいなと思う

未来の大人たちである
今の子どもたちと
その子どもたちの指導者となる
今の大人たちに

そんな場所を提供したいと思う


その大人たちの中にわたしも含んでいたいと思う


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