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檸檬読書日記 栗クリくりと依存性が、ルーヴルの猫と、戦争の歌をきく。 10月7日-10月13日

10月7日(月)

胡麻豆腐に黒蜜をかけて食べると言ったら、驚かれてえっ、となってる。えっ、かけないの?
特に黒胡麻豆腐に黒蜜にきなこをかけて食べるのが、デザートになって好きなのだけれど…。寧ろ醤油をかけるのは胡麻胡麻感が強くて…。
んー、いないのかなあ。

そういえば、トコロテンに黒蜜をかけて食べるところがあると知った時はえっとなったけれど、あんな感じなのかなあ。
1度黒蜜で食べてみたけれど、酢で慣れているからなのか口がびっくりした。

好みは人それぞれだよなあ。






10月8日(火)



黒蜜たらり。


ほうじ茶シロップの栗があるから、ほうじ茶寒天とほうじ茶白玉(普通の白玉も)を作って、小豆トッピングの黒蜜たらりの、ほうじ茶あんみつで食べてみた。間違いなしの美味しさ。

食べる度に思うけど、ほうじ茶栗、美味しすぎる。罪深きやつめ。



松本大洋『ルーヴルの猫』(上・下巻)を読む。漫画。

ルーヴル美術館の屋根裏には、長い間猫が住み着いていた。しかし1匹の白い子猫が、その生活を脅かし初め…。
白い猫は絵の声に導かれ、逃げるように絵画の世界へと入っていく。

読んでしまうのが勿体ないくらい、とても良い作品だった。
絵画、美術のようなリアルな絵ながらも、現実に近すぎない味のある絵で、個性という魅力に満ちていた。全てが手描きで描かれているような、人の温度が伝わる描き方も、堪らなく良い。

内容も、最初は人と人の決して交わることのできない冷たさのような、ひとつの生命がなくなったとてそれでも変わらず回る世界に心が凍えるような、何とも言えない切なさと寂しさを感じる。けれどそれでは終わらない、人にはやはり温度があったのだと思い出させるような淡い光があった。明るすぎも温かすぎもしない、その過剰のなさもまた良かった。


「ぼくといっしょにいると…みんな死んじゃうみたいだ…」
「だれもがいずれ死ぬ…」
(略)
「この世はさむくてくさいのさ。」


現実はとても厳しく、絵の中に描かれた素晴らしい世界に逃げ込みたくなることも多い。誰もが幸せで温かく、夢のように心地よい美しい世界に居続けたいと思う。
この世は、さむくてくさいから。
けれどさむくてくさいからこそ、人や生命は生きている、ということを感じるのではないかなと。生きているからこそ、人や生命はたくさんの感情、たくさんの喜びや幸福に出会うことが出来るのではないかなと思った。そんなことを色々と考えさせられた。

美術館、絵画好きは勿論、知識がなくても心動かされる、いつまでもこの世界に浸っていたい、と思わされた。本当に出会えて良かったと思える作品だった。

それにしても、絵の声が聞こえるというのはどんな感じなのだろうか。聞こえたら楽しいだろうな。そして、絵の中に入れたら…。
でもきっと、人は現実を見続けなくてはならないのだろうなあ。夢は全てを終えてから味わえば良い。それがきっと、終えるということなのだろうな。と思ったり。

この方の作品、初めて読んだけれど、色々と集めたいなあ。
と探したら『ピンポン』とか『鉄筋コンクリート』の人で驚いた。この方だったのか。
最新の作品も良さそうだし、全部、集めたい…。








10月9日(水)

最近栗むき作業に勤しんでいる。
いや、取り憑かれているともいえる。栗がむきたくてむきたくて仕方がない。食べるよりむくのが好きすぎて、見つける度に買ってはむいている。
田舎の良いところは、色んなところで栗が安く買えること。無人のところで、300gくらい入って100円で買えたりもする。サイズはバラバラだけれど、大きいのもたくさんあるし、流石に甘さは薄いけど、シロップにつけてしまえばいいから、問題なし。しかも虫食いも少ないから、スーパーよりも良かったり。ツヤッツヤで採れたての新鮮だしね。
いやぁもう楽しい季節だ。
それだけに栗が終わるのが怖い。栗むき依存性になっているから、なくなると思うと…。もう既に数日むけないだけで落ち着かないよ。
あー、終わらないでほしー。



佐藤由美子『戦争の歌がきこえる』を読み始める。

音楽療法士として、アメリカのホスピスで患者たちに寄り添ってきた著者が、音楽で蘇った記憶、その貴重な証言を綴った1冊。


第二次世界大戦は世界中の人々を巻き込んだ戦争だった。(略)
この戦争は、日本人にとっては文字どおり「国家の存亡」を懸けた、アメリカ人にとっては、彼らが最も大切にしている「理想」を懸けた戦いだった。それを守るために、個人の犠牲は当然のこととされ、むしろ素晴らしいこととされた。(略)
まして今日のように、退役軍人や家族へのカウンセリングなどない時代だ。戦後、人々はつらい記憶を胸に秘め、未来に向かって歩むほかなかった。


それは、日本もアメリカも。


そのため、戦争経験者の多くは戦後、その記憶を語らずに生きてきた。でも、そのような記憶は人生の最期によみがえる。(略)人間は死に直面したとき、過去を必ず振り返る。そして、長いあいだ逃れようとしてきた記憶こそ、頭に浮かぶものなのだ。私たちは人生の最期、過去から逃れることはできない。






10月10日(木)

なんと、秋吉理香子『ガラスの殺意』の文庫版が出ている!ようやくですか。
今でもあの衝撃は忘れられない。ひっくり返された後に頭を強くガツンと殴られて尚且つ頭と心を掻き乱されたような…。衝撃と混乱と…、そして最後がもう…。
単行本を図書館で読んだけれど、凄く好きな作品だから手元に起きたかった。きっと文庫が出ると信じて待っていたけれど、やはり出てくれましたか。嬉しい。いやぁもう有難い。絶対買わねば。



山本健吉『ことばの歳時記』をパラパラ見る。

季節の言葉を俳句や短歌と絡めながら味わう作品。

日本の季語などを知りたいと思って読んではみたものの、頭の弱い自分にはちと難しかった…。
こういう本でいつも思うのだけれど、短歌とか俳句とかに訳をつけてくれたらなあと。そうしたらもう少し分かりやすいのになあと思ったり願ったり。軽くでも良いのだけれど…。難しいのか、分かって当然なのか、自分で感じるべしなのか…。くぅ。
俳句や短歌は入りたいと思へど壁があまりにも高くて、なかなか入り込めぬ…そんな自分がうらめしや。
こういうのはもう少し知識を深めてからなのだろうな。知識を深めたいがために読んだのだけど、もう少し優しいところからだった。出直します。

分からないながらにも、興味深い箇所もあった。例えばT.S.エリオット『荒地』の話。少し前に読んで知っていただけに、おぉとなった。


(略)T.S.エリオットの詩『荒地』の第一行は、

四月は残酷きわまる月だ

という詩句から始まる。復活祭の行われる四月を、「残酷きわまる月」と感じるような季感は、日本の俳人たちが思ってもみなかったことである。復活とは、死における生であり、王の殺戮による豊饒の約束である。残酷さの記憶を下敷にして、草木が芽生え、鳥が囀り、花が咲き、みのりが約束される。一粒の麦は死ぬことによって、多くの実を結ぶ外はない。そしてそれが、今日の「荒地」に住む文明人の精神的境位だと、この詩人は言うのである。


なるほど。

もう1つ、印象に残った文章。


日本人は水とか平和とかを、ただで手にはいると思っている。ユダヤ人にとってこの二つは、大金を支払っても手に入れたい大事なものなのである。--
イザヤ・ベンダサン氏が言ったこのような意味を、私はときどき思い出す。私たち日本人の心の盲点を的確に衝いた言葉と思えるからである。
平和がただとは、日本が島国であることに由来する私たちの心性であろうが、水がただだとは、日本の国土の自然の豊かさから来る心性であろう。だが、自然の恵みに、私たちはいつまで甘えていられるのであろうか。(略)
水だけではない。空気も土も、ただとは言えなくなってきた。草や木や緑色も、都会ではただでなくなって来た。


それは、太陽も然り。


だが、太陽も水も空気も、日本人はいつからただだと思うようになったのだろう。(略)それら自然の恵みへの感謝を、いつからひとは忘れるようになったのだろう(略)


忘れ失われているから、季語はどんどんと死んでいっているという。
季語もそうだけれど、自然が壊れていて言葉と同時にそれを表すものたちも失われていっている気がする。季節というもの自体がなくなってきている気がする。
それは日本が長年大切にしてきたもので…。日本という国の象徴としていたもので…。
なんだか切ないなあ。守っていきたいし残したい。







10月11日(金)

髪の抜ける量が凄い。無限に抜けていく気がする。秋は毎年そうだから大丈夫だと思うけれど、少し心配になる。
大量に抜ける髪に、秋を感じるよ。なんとも微妙な感覚。

はらり落ち 堆肥になるは 落つる髪 葉よりも先に 秋を感ずる

風流は全く感じないのがなんとも…。秋に似合うは紅葉したる葉なり。みたいなね。
待てよ、髪の毛を赤か金に染めれば…いや、駄目だな。髪の時点で風流のふの字もありませぬ。



阿川弘之『食味風々録』を読む。エッセイ。

食のことがつらつらと書かれている。その中で興味深いなと思ったのは、室生犀星と娘の朝子さんの話。


(略)朝子さんは室生犀星の長女、名作「杏っ子」のモデル、晩年癌で再入院し、日に日に食欲を失って行く犀星先生が、形ある食べ物として最後に口にしたもの、杏っ子作るところの卵焼きだったそうだ。その作り方を、朝子さんは金沢生まれの母上から伝授された。


へー。

後驚いたのはひじきの話。ひじきは食べても体内で消化されずに出てくるようで、尚且つ食べ物が少ない時代。つまりはというね。いやぁ、凄い時代だ。本当かどうかは分からないらしいけど。

こういうの読む度思うけど、やはり自分はあまり食に興味がないのかもなあ。
結構つらつら書いてはいるけど、身体のこととか考えなくて良ければ、毎日同じものでも平気だったり。豆腐とかモヤシとかでも。好きな物はたくさんあるけど、なければないで平気だったり。
食は1人だと広がらないけど、誰かがいるとその人に喜んでもらおうと広がるのかもなあ。




『カフカ短編集』を読む。
「ポセイドーン」を読み終わる。

とても短い。
海を支配する神の話。


ポセイドーンは、仕事机にむかって計算をしていた。すべての海洋を管理するのは、はてしもない仕事であった。


けれどどこか人間味を感じる。そのユーモアというのか、人間臭を与えるのが面白いなあと思った。ただ最後はやはり神だったなと感じられる終わりで、その落差にやられた。んー、絶妙。



佐藤由美子『戦争の歌がきこえる』を読む。

ホスピスで働いている時、突然家族から電話があり、お兄さんが亡くなったという知らせをうける。著者は身近な死にショックを受け、自らのモタリティ(死すべき運命)や自分も同じことが起きるという可能性をはっきりと感じるようになる。


このようなショック、否定、恐怖、不安などのさまざまな感情は、グリーフの普通の症状だ。しかし、それを実際に経験するのと知識として理解しているのとでは、まったく異なることだった。(略)人生には自分がそこにたどり着くまでわからないことがたくさんある。グリーフもそのひとつなのだと知った。

こういうのって本当に難しいよなあ。近づきたくても、知識だけだとどうしても距離が埋まらない。んー…。

戦争は、軍人として戦地に行った人だけではなく、当然ながら捕虜となって捕まった人たちにも爪痕を残し、消えることはない。生涯に渡り、当時の記憶が悪夢やフラッシュバックとして思い起こされ、苦しめられる。


「フラッシュバックが起こるといつも、ボビーはまだ戦場で戦っているような行動をとるの。夜中汗だくで目を覚まして、叫んだりしたこともあったわ。彼にとって戦争が終わることはなかった。私たち家族にとっても……」






10月12日(土)

佐藤由美子『戦争の歌が聞こえる』を読み終える。

本の中には、様々な視点から語られた記憶が書かれている。
日本と戦い、日本兵を殺した人の記憶。日本兵に親友を殺された人の記憶。原爆の開発に関わった人の記憶。ドイツ系アメリカ人が「自由」のためにナチスと戦った記憶。捕虜となり長年その悪夢に苦しまれた男性の妻であった女性の記憶。ホロコースト(大虐殺)の記憶に悩まされた人の記憶。日本占領下の中国で生まれ、アメリカに行かざる負えなかった人の記憶。
それは日本という国に生まれ、日本人として育ってきた身では決して知ることはできなかっただろう記憶と、視点だった。戦争というもの、そして敵となっていた人たち、日本や他の国のことを改めて考えさせられた。

敵だったとしても、人同士が戦っているために、相手側に対しての感情は存在する。後悔や罪悪感、それに伴う苦しみ。全ての人が戦いたかった訳でも、殺したかった訳でもない。
当然なことだけれど、1つの国にいると、気づかなかったりする。いや気づいてはいるけれど、そういったものを表すものがあまりないからか、ふわりとして忘れてしまいがちになる。けれどこの本で、視界がクリアになった気がした。やはりそうだったのかというような、実感というのか…。
他にも、原爆は人殺しのために開発されたということを知らずに作っていたとか、原爆を作ったことに対して誰もが誇りだとか正しかったとは思っていなかったとか、実際はそうだったことに安心というのか安堵というのか…分かり合えないことなど決してないということが分かったようで、これもまたやはり人としての感情があったのだという実感になった。

全員が全員、人殺しをしたい訳でも、戦いたい訳でもない。
何時だって巻き込まれ苦しめられるのは、そういった感情を持つ人たちや、その家族。それでも、大切な人たちを守りたい大切な人たちが住む国を守りたい、そう思うから戦い人を殺さなくてはいけなくなる。戦争をしたい人は、その国民の感情を利用し、巻き込み、どんどんと戦争を大きくしていく。そうして終わらなくなってしまう。

日本兵と戦い殺してしまったアメリカ側の人たちの証言も貴重だと思ったけれど、同時に日本が他の国に与えたもの、日本が消し去りたい隠したいと思う記憶もまた、貴重だと感じた。

例えば、イギリスに対して。
日本は、イギリス人に対して、虐殺やレイプを起こしていた。


(略)特に目を引いたのが、医師や看護師などが犠牲になった(略)「セント・スティーブン・カレッジの虐殺」と呼ばれる事件だ。ここは当時、病院として使用されていたそうだが、香港の戦いが終結し、日本軍の占領が始まったクリスマスの日に、患者、医療者、イギリス人の負傷兵などが殺されたという。


そして満州の人に対しても、日本人は酷い仕打ちをしていた。奴隷のように扱い、鞭で叩き下水を掘らせ、それは動物以下の扱いだったという。
日本も占領した国に対して酷いことをしていたことは知ってはいた。けれど、それでも衝撃だった。今起きている戦争に対し、日本人がそれは卑劣だと批判していることを日本も行っていたとはと…。
今の中国に対して思うことはたくさんあるけれど、過去のことを考えると…仕方なくはないけれど、返ってきているのかもしれないなと…。

様々な面で本当に貴重な本だと思った。
こういう生の声は、残っていてほしい。
ホロコーストについて、生存者が語っていた。


「私は(ホロコーストが)二度と起こらない、とは言えない。今日の指導者たちは、危険な野心、誇り、そして他人よりも優れているという感覚をいまだにもっている。それがどんな結果を生む可能性があるか、私たちは知っているのだ」
いつか、ホロコーストの生存者がこの世からひとりもいなくなる日がくる。
これは、彼らからの最後の警告なのかもしれない。


これは、ホロコーストだけではなく、戦争にもいえる気がする。戦争体験者や被害者たちもこの世からいなくなる日がくる。ただいなくなったからといって、終わりではない。再び起きないように、決して忘れないようにしなくてはいけないと思う。


「今の若い人は、こういう話(日本がやった非道な事)を聞きたがらないわ」
そんなことはない、と思うのと同時に、彼女は正しいのかもしれない、とも思った。彼女の経験と記憶は、日本社会が語り継いできた物語、すなわち「集団的記憶」と一致しないからである。


半藤一利は『昭和史』で、南京大虐殺に触れた後「どうもだんだん自己嫌悪に陥りますので、これまでとしますが……」と書いているらしく


半藤氏は、歴史的な事実を認めている。解釈だって間違っていない。彼の「歴史認識」は正しい、と言えるだろう。
でも、この件については居心地の悪い話なのでこれくらいにしたい、と書いている。これは心理的に見れば、とても正直で、自然なことに思える。私自身、このような居心地の悪さがあったからこそ、日本とアジア諸国の歴史と向き合うことを避けていた。しかし、このような心理が忘却につながるのだと思う。そのことを認識しない限り、「社会的忘却」は続いていくのである。


起こしてしまったものは、どうやったって取り戻すこともなかったことにも出来ない。不可能だからこそ、再び繰り返さないように事実を認め受け入れ、忘れずに覚えていなくてはいけないと改めて思った。







10月13日(日)



シロップにつけておいた栗が良い感じになってきた。
普通のやつと、ほうじ茶と、今回は紅茶もやってみた。(1番大きいのが普通のシロップ、真ん中ほうじ茶、一番濃い茶色いのが紅茶)
まだ早いけれど、たくさん作ったから(のせてはいないだけで、大きいのはもう2瓶、ほうじ茶紅茶瓶が他に1瓶ずつある)、紅茶を開けて食べてみたら、これまた大成功。紅茶も良い。
もう栗が終わりそうだけれど、これで暫くまだまだ楽しめるぞ。むふふ。

そうだ、ジャスミンティーや烏龍茶でやっても良いかもしれない。来年やってみようかな。



『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』を読む。
「谷崎松子とサイデンステッカー」編を読み終わる。

谷崎潤一郎の話。

結構食にご執心だったようで。故に京都に住みたかったのだとか。


谷崎  (略)京都の風物も好きでございましたけれども、大体は食べるもが目的で……(笑)。「谷崎の文学に食べることは欠かせない」とか、「あれだけの御馳走を食べないとあれだけの文学はできない」とか、おっしゃるかたがおられますけれど、やはりそれは、ずいぶん関係があると思いますよ。もし、自分の期待しているものを持って来なかったりしたら、どれほど不機嫌になりましたか。ちょっと傍へ寄れないくらい……(笑)。

そんなにですか。凄いなあ。

戦争中、谷崎潤一郎や永井荷風は、荒れる中でも自分や自分の生活を崩さずに保っていたというのは印象的だった。


サイデンステッカー  こういうのはちょっと失礼かもしれませんが、西洋流の思想があった人たちは、大体戦争中に崩れたと言えましょう。そうでない荷風先生と谷崎先生が、あれだけ自分の道を歩けたというのは、何によったことでしょうか。……とにかく、偉大です。


かっこよかったのだなあ。谷崎潤一郎のことを知りたくなってきてしまった。
永井荷風も。
永井荷風は本が家にあるから、まずはそっちから手をつけてみようかな。






ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の日常が平穏であり続けますよう、祈っております。
ではでは。

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