生きている 意味 生活し続ける 意味坂口安吾の作品 を通して

戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。

最近(勝手に笑)ブーム中の坂口安吾『不良少年とキリスト』より抜粋です。

生きるということは、戦い
その戦いに勝とうとするのではない
勝つって何に?誰に?何のために?ってなるから
戦い続けなければいけない
負けないように、戦いながら、生き続けなければならない

と、勝手に私は解釈しているのですが………

すごく救われる気がして、最近ちょくちょく頭のなかにとどめておいて、いつでも引き出せるようにしている言葉です。

何かに勝たなきゃ、人生に意味を見出ださなきゃ、爪痕を残すことができなければ、それは生きていた意味がない……

なんてどこかで自分が考えていたからだと思います。生き急いでんなぁ…

その意識が少し、この安吾の言葉で緩まったように思うのです。自分の生きている、存在して生活しているということを、ふわっと肯定してくれるような。

安吾に限らず、文豪について知ると、なんだか自分の生き方に対して悠々と構えて考えられる気がします。

それは決して高尚な文学に触れたから、というわけでは決してなくて

いわゆる文豪と呼ばれる作家達自身の「生き様」を知ってゆくうちに、その視点を得るための手段として、作品、文学に触れる。

また、その文学を通してこそ、著者である彼らの考えや思想、人生について知ることができる………

というとなんだかループにはまってしまいそうですが。笑

結局、「文学に触れてほしい」という言葉の真意はそういうことなのかなと思います。

安吾作品について3連続で語っちゃったよ…自分でもそこまでか!とびっくりしてます笑

その坂口安吾について、なんとなく語ったシリーズです。

安吾作品について語るというのは名目、導入に過ぎなくて、実質、ほとんど私の意見になってるような…

私なりにあらすじはまとめたりしつつ、のつもりです。笑

ひとつめの方は、この記事で紹介したのと同じ作品、『不良少年とキリスト』です。
青空文庫へのリンクも貼らして頂いているので、宜しければ原文を覗いてみてくださいね。

ではでは、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!

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