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フロイトと歩く闇の森で:テクストと解釈の迷宮について

フロイトの『夢解釈』には、夢解釈の完成の不可能性を暗示している「臍(へそ)」のメタファーが2度のみ使用されている。下記のレポートは、有名な「イルマの注射の夢」の解釈についての議論を進めていく中で、最初に「臍(へそ)」のメタファーがで使われた脚注(Freud(1900), The Interpretation of DreamsThe Standard Edition of the Complete Psychological Works of Sigmund Freud Volume IV, p. 111, footnote 1.)についての注釈を行なったものである。


完全な全体性、積極的な抵抗、終わりなき解釈

したがって、私は解釈について話すことにする。この一節でフロイトは、未知のものを可能な限り完全に既知のものに変えようとする傾向のある解釈者たち[interpreters]に対して、積極的な抵抗を示している。
というのも、あらゆる願望充足が絶対的に改変され、歪曲されるため、解釈には真の終わりや完成がなく、解釈者たち[interpreters]は掘り起こすことのできない深い全体/穴[w/hole]の暗闇の中にいることに、彼はすでに気づいているからである。言い換えれば、完全な解釈という願望充足が、異なる視点から再ストーリー化し、書き直し、再解釈するという新たな可能性を開く暗黒のスポットにはまり込んでしまうのだ。
では、そのダークスポットには何があるのだろうか?フロイトによれば、それは「未知との接点」だが、未知とは何だろうか?夢は無意味であるという解釈に逆戻りしないためには、ここで解釈者たち[interpreters]に対するフロイトの検閲へ反抗を示す必要がある。

暗い森の風景を変える夢-願望と原-願望

まるで別の夢が願望的な衝動のために再び現れたかのように、別の箇所(SE IV, p.525)で、フロイトはこのなぞに明確なヒントを与えている。キノコが菌糸体から出てくるという比喩は、ダークスポットが全体/穴[w/hole]を表しているのではなく、むしろ暗い森に似ていることを示唆している。私の思考の脈略[train of thought]がすでに動いて[departed]してしまったのでこう指摘しておく:アナ・チン的な意味では、夢-願望がこの暗い森の中で育つだけでなく、夢-願望がこれら暗い森を作り、その光景や風景を変えるのだ。('Matsutake and pine don't just grow in forests; they make forests. Matsutake forests are gatherings that build and transform landscapes.')
「SF小説の悪夢」のようなこの壊れた暗黒の森は、睡眠を死守するという原則的な規則のための抑圧の力による異なる工場の論理を持っていて、まるで価値がないかのように扱われなければならない、価値のある、そして意味のある製品を生産している。

未知なるものの意味は、いまだとらえどころがない。深い暗黒の森の中には、蜘蛛の巣のように複雑に絡み合った網目状のメッシュがあるが、それは何でできているのだろうか?それは、幼少期以来、これ以上大量の感情を投じることができなかった抑圧された経験の残滓の総体であるというのが、ここで描かれるべき私の中心的な考えであり、ここではそれを単純に原-願望[archi-wish]と呼ぶことにしよう。
意識的な生活と無意識的な傾向が幸せに結ばれている[happily wedded]まで、言い換えれば、意識的な生活を知らない[un-knows]とき、その想像的な活動は、何のためらいも恥じらいもなくすべての美的な享楽を受け取ることを可能にする実在の楽しみに直接つながる。おなかをすかせた赤ん坊を想像すればすぐにわかるように、欲望を隠す必要はない。
もう一方で、理性、法律、良識の力によって己を知る場合、人は恥ずべき願望を隠すことによって満足できない現実に直面する運命にあり、すでに享受した願望実現をあきらめざるを得ない。そして、無意識の中に吐き出されたこの満たされない願いの残滓の蓄積が、解き放たれない場所に暗黒の森の複雑さを生み出し、構築していく。

もし三流の脚本家なら、主人公がの途中で「暗黒大陸」を見つけるも、最後にはライトサイド[光明面]を確保するという表面的な脚本を書くだろうが、しかしフロイトは一流の独創的な作家[a first-rate creative writer]である。彼が示すすべての道は、私たちを最後にはダークサイド[暗黒面]へと導き、「どうぞくつろいでください」と言って、私たちを暗黒の森の中に閉じ込めてしまう。暗い森の中でくつろぐ?これ以上新しいルールや法律を提案するのはやめてほしい![Please stop proposing any more new rules or laws!] なぜ暗い森でくつろがなければならないのか?
非常に好意的に解釈すれば、フロイトは「過去のすべての場所で、自分のすべてに向き合え」というメッセージを伝えようとしているのだ。この原-願望[archi-wish]は、現在の自我から分裂したあなたの「部分-エゴたち[your part-egos]」によって作られた、すべての過去における最初の、そしてアーカイブ化された願い[the first and archived wishes]であるが、しかし「圧縮」や「移動」を終えたそのアクセス可能な仮面にしか直面することができない。
私の思考の脈略[train of thought]は、「すべての深い精神は仮面を愛する」(ニーチェ)と言わずにいられない。暗黒の森の中では、真理は仮面の中にあるのであって、仮面の裏側にあるわけではない。真理はその性質上、隠されなければならないからだ。

他者としての「私」、フロイトの時間性

ローラ・マーカスの『ジークムント・フロイト『夢解釈』入門』(Chapter 1. Introduction: histories, representations, autobiographics in The Interpretation of Dreams) によれば、フロイトがこの本を書いた主な動機は、父の死と反ユダヤ主義という文脈におけるアイデンティティの危機である。彼の個人的、歴史的状況が、彼自身の他者性に直面させるにつれ、精神分析の誕生のおかげで、「私」はさまざまなアイデンティティや同一性にまたがって断片化されいく。
これは私たちに奇妙な感情を生じさせる。「私」は他の「私」たちとつながっているが、それは「世人[Das Man/ダス・マン]」の批判的判断によって抑圧されている。問題は、それら他の「私」たちと強い親近感を持てるかどうかだ。モテなければアイデンティティの危機に陥り、持てれば過去からそれらすべての知識を得ることにつながる。

フロイトは、未来を予知するための古めかしい夢解釈と、科学的な夢解釈とを区別しようとしているが、この意味では、彼の方法、あるいは治療の仕方には、過去になされたさまざまな願いを把握した上で、未来のイメージをとらえようという意図があるように思われる。
フロイトは、このような過去の自分に関する痕跡的な記憶を「不気味[uncanny]」と呼ぶことがあった。不気味さ[uncanny]とは文字通り、知らないこと[Un-knowing(un[not]-canny[to know])]から来る。アイデンティティの崩壊を回避した先に待っているのは、不気味なもの[the uncanny]、あるいは未知のもの[the unknown]との親密な関係である。匂いがいつも子供の頃の台所にあるように[Just as smells always have a home]、私たちは深い森の中の闇のお化け屋敷[the dark haunted house]で幽霊のように[ghostly]くつろぐことができる。つまり、私たちは不気味なものとの相互関係を感じることができるのだ。
「不気味との遭遇[The Close Encounters of the Uncanny.]」。5つの音色と5つの色[The Five Tones and Five Colours]。暗闇は失明を意味しないので、順応と呼ばれる光のレベルの違いに適応する能力によって、私たちは薄暗い状況でも見ることができる。今度こそ、不気味さとともに大きな笑いを表現することができる。

終わりなき解釈、無意識の真理、断片的なテクスト

未知[the unknown]と不可知[the unknowable]は明確に異なること、そして漠然とではあっても可知[the knowable]への期待が後者にはあることからわかるように、底のない無限の深さにある不気味[the uncanny]の闇のお化け屋敷を発見し、その風景を別の角度から確認ための不法侵入[effraction]を行うことができた。未知なるものとしての不気味さはこの辺にしておいて、最後に臍のメタファーに関する一節に目を向けよう。私たちは予定していた深さに到達したのだから、そろそろ安全に、おそらくはよりわかりやすい形で、テクストの表層へと昇っていく時期なのだ。
臍とは、胎児と胎盤をつなぎ、誕生前に胎児に栄養を与えるためのへその緒の痕跡のある場所である。へその緒は、誕生前の胎児と胎盤をつなぐ道であり、この道、軌跡、あるいは鎖が破壊[breaching]された後、死ぬまでの生命が始まる。この意味で、子宮は誕生の場であると同時に墓であるという二重の必然性を持っている。
精神分析が誕生する前、無意識は時間を超越した領域における胎児のようなものである。フロイトにとって、未知の「へそ」は女性性、あるいは身体的なものの物質性を意味するものであったろう。暗号解読者のように「解読」という方法を用いて、無意識の意味を「未知なるもの」という静的なテキストに翻訳し、隠喩的な暗示を与えるのがフロイトだったのではなかろうか。こうすることで、身体的物質のダイナミクス、妊娠という生殖の神秘、去勢の恐怖を恐れる必要がなくなり、彼は安らかに眠ることができるようになったであろう。
無意識の真理など存在しないにもかかわらず、フロイトはあたかも無意識が存在するかのように、安定した「テクスト」の中に無意識を隠している。だからこそ、彼はわざわざこの一節を本文ではなく脚注に載せたのである。脚注は本文よりも深く、小さな活字で書かれており、その間に常に見えない線がある。何かを隠すには最高の場所なのだ。
解釈には入り口も出口もなく、テキストという織物が存在する限り、始まりも終わりもない。視覚的なイメージや発話[visual images or speech]が無意識のうちに変容することによって、それはいつもラウンドアバウト[環状交差点]のように私たちを「深い永遠」と呼ばれる文字の闇の森へと導いてくれる。話すように文字を書く[Write letters]。「地下墓地を開くように手紙を開く[Open letters]」。円環がそろそろ完成したということは、本文の冒頭に戻るときが来たということだ。


【参考文献】

  • Cohen, Josh. 2005. How to Read Freud, Granta.

  • Derrida, Jacques. 1974 [1971]. ‘White Mythology: Metaphor in the Text of Philosophy’, translated by F. C. T. Moore, New Literary History, Vol. 6, No. 1(Autumn, 1974), pp. 5-74, Johns Hopkins University Press.

  • Derrida, Jacques. 2001 [1967]. Writing and Difference, translated by Alan Bass, Routledge.

  • Freud, Sigmund. 2001 [1900]. The Interpretation of Dreams, translated by James Strachey, Pelican Edition.

  • Freud, Sigmund. 2001 [1908]. ‘Creative Writers and Day-Dreaming’, translated by James Strachey, Pelican Edition.

  • Freud, Sigmund. 2001 [1925]. ‘A Note upon the “Mystic Writing-Pad”’, translated by James Strachey, Pelican Edition.

  • Marcus, Laura. 1999. Sigmund Freud's The Interpretation of Dreams: New Interdisciplinary Essays, Manchester University Press.

  • Sandford, Stella. 2021. ‘The “Thought-Work”; Or, The Exuberance of Thinking in Kant and Freud’, in Panayiota Vassilopoulou and Daniel Whistler, eds., Thought: A Philosophical History, Routledge, pp. 219–235.

  • Tsing, Anna Lowenhaupt. 2015. The Mushroom at the End of the World: On the Possibility of Life in Capitalist Ruins, Princeton University Press.

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