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あの夏の日、そして今

2021年のあの夏の日、薄れゆく意識の中で心に抱いたのは、もうずっと感じられていなかった安らぎだった。「やっと楽になれる」わたしはひとり、瞼を閉じる。もう二度と、目が醒めないことを願いながら。

あれからもう3年、だろうか。それともまだ3年、だろうか。

わたしがこの先の未来に期待することをやめた日、終わりの見えない苦しみに終止符を打つことにした日。

人生最後になるはずだったあの日から、3年。一度は諦めたこの命で、わたしは今も、本当は来るはずのなかった未来を生きている。

苦しみは比べるものではないけれど、今よりずっと孤独で、地獄だった3年前。あの日々のことをわたしは忘れることはない。真っ暗闇でひとり、鬱にのまれていた。どうすればいいか分からない絶望の中で、死だけが希望の光に見えた。そう、あのときのわたしにとって唯一の救いは、死だった。

当時のわたしがした選択は、決して正しかったとは言えないかもしれないけれど、間違いだったと責めたこともない。その選択に至るまでの苦悩、つらさを否定したくないから。死にたかった。死にたくなるほど、つらかった。本当に。



あれから3年の月日が流れた。

わたしはいまだに躁鬱の荒波にのまれたままで、今は深い鬱の闇に溺れている。鬱になるとびっくりするほどなにもできなくなってしまう。気力が根こそぎ吸い取られてしまったような感覚だ。ただ横たわり、スマホで動画を無心で眺める。内容が面白いかつまらないかはどうでもいい。なぜならよく分からないから。心がまるで動かないのだ。

生きている心地がしない毎日。苦しさしか感じられない、そんな日々を繰り返すことに意味があるとは思えない。死んだ方がマシなのだろうな、楽になる方法は死ぬしかないのだろうな、と思いながら自分が泣いていることに気づく。この涙は、なんの涙? 

まるで生き地獄だ。そうだ、これって同じじゃないか。この苦しみは3年前も味わった。そして気づく。ああ、なにひとつ変わっていないなと。
死のうとしたあの日から3年も生きてきたはずなのに、わたしはなにも変われなかった。だって今もまだ死にたがっている。なんて情けないのだろう。こうして嘆くことしかできないところも、あの日から変わっていない。生きることも死ぬこともできない、変わることもできない。惨めだ、すごく惨めだ。

なぜあの日わたしは死ねなかったのだろう。なぜ生かされた? その意味はあったのか、わたしにはあると思えない。

あのとき死んでおけばよかった、と思い出すのはいつだって3年前のあの夏の日だ。
今のこの苦しみは、あの日終わらせるはずだった苦しみだ。
いつまで苦しめばいいのだろう。いつになれば変われるのだろう。苦しみが終わる日も、変われる日も来ると思えない。わたしは死ぬまで楽になれないのだろうか。もう楽になりたい

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