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#406 「ピカソ」と「キュビスム」と「知の探索」と

ピカソがキュビスムへと至った経緯はまさに「知の探索」だったのでは?と思ったので、メモ。


1、ピカソがキュビスムに至った経緯?

最近、これまで手を伸ばさなかったジャンルの、しかも学術書、というか、大学の時の教科書のような本を読んでいます。

その中で、ピカソがジョルジョ・ブラックとともに始めたとされるキュビスムは、「知の探索」によるものだと感じました。

「知の探索」とは、ご案内の通り、「知の深化」と「知の探索」の『「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』という、「両利きの経営」で出てくる考え方です。

「知の深化」は現業をより効率的に発展させていくのには有効ですが、新発明やマーケットの急変によりいきなり需要を失うリスクもあります。フィルムカメラからデジタルカメラにシフトした際のフィルムメーカーなどが例になります。

ですから、「知の探索」によって、新たなビジネス、収益の芽を常に探し育てなければならない、この2つを同時に行うことが「両利きの経営」だ、というものです。

そもそもピカソは、出身のスペインで優れた写実的描写の技術を学んだのち1900年にパリに出てきます。そして、いわゆる「青の時代」、「ばら色の時代」とその画風を短期間に変えていきます。
そして1907年には「キュビスム」の初期と言われる作品を残しています。

このきっかけは、以下のようなアフリカやオセアニアといった地域の仮面彫刻に触れたことだ、と言われています。

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実際、キュビスムの誕生を告げると評価される、「アヴィニョンの娘たち」(下図)をみると、特に右側の二人の女性の顔にその影響が見られます。

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これがなぜキュビスムへと繋がるのでしょうか?

仮面彫刻の特徴として、顔のパーツを極端にデフォルメされていることが挙げられます。これは、例えば日本の土偶でも、母性を表現するために極端に胸と腹を強調したものが見られるのと同様なものと考えられます。

中には、強調したいがために、本来ありえない位置関係に顔のパーツが並ぶことにもなります。

つまり、キュビスムの対象を多角的に分析しながら違う角度で見たものが同一画面上に表現されることの源流ともいうことができるのです(この点はセザンヌの複数の視点から見たものを同一の画面に描くことの影響もあるとされています)。


2、知の探索?

この経緯のどこに知の探索があるのでしょうか?

これはもちろん、アフリカやオセアニアの仮面彫刻に触れたことです。

画家である以上、他の画家が書いたものに興味関心を持つのは当然で「知の深化」と言えるでしょう。

一方で、当時はそもそも芸術としての扱いもされていなかった、アフリカやオセアニアの仮面彫刻を見て、自分の作品に取り入れる、というのは「知の探索」と言えるのではないでしょうか?

ちなみに、「アヴィニョンの娘たち」は、当時、仲間の画家にさえ評価されなかったそうで、ピカソはこの作品を一般に公開することをしばらく控えたそうで、それぐらいの「イノベーション」が「知の探索」により行われたのです。

その後の評価はご存知の通りです。


3、まとめ

いかがでしたでしょうか?

「知の探索」という、通常ビジネス、特に経営レベルで紹介されることの多いワードが、実は20世紀美術史上最も大きな「イノベーション」である「キュビスム」誕生の影にあるように感じた、という内容でした。

そう考えると、経営に限らず、個人でも「知の探索」は当てはまるし、「学び直し」などと言われている現代ではより必要なことなのでは、とも思います。

さらに言えば、探索、そのものも必要ですが、新しいことに関心を持ち、自らに取り込んでいこう、自らを変えていこう、というマインドが最も必要なことだ、と改めて思いました。

情報は周りにたくさんあります。
訳知り顔で「それ知っている」という態度では、せっかくのチャンスも台無し。
「無知の知」ではなく、「知の無知」となってしまいます。


最後までお読みいただきありがとうございました。

個人的な感想ではありますが、参考になるところがあれば幸いです。

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